「先生。これ・・・薬物中毒?」

確かに、それが考えやすかった。僕は主治医の精神科医に問い合わせた。

「もしもし」
「内科のトシキです」
「ああ、どうも。では転科ということでよろしいですね」
「待ってください。先生、この方、内服を大量に・・」
「え?内服はカルテに書いてある通りで」
「胃からかなり大量に・・」
「内服はそのつど渡してましたから、1度に大量というのは考えにくいと・・」

患者の手首にリストカットが多数見受けられる。

「先生。この方、自殺企図の既往などは・・」
「うん。まあ、昔はあったようですけどね。よく分からないんですよ。
他の病院からいきなり変わったんで」
「どちらの・・?」
「うーん・・・忘れました」

看護記録のところに病院の名前があった。その下に、「薬物中毒で入院歴」
とある。今回も・・そうじゃないのか。1回ずつ薬もらって、まとめて飲んだ可能性も
なくはないし。

「転科でお願いします」
「いえ。先生。共診で」
「ええっ?でも・・・人工呼吸器がついたし。精神科的にすることは何も」

僕は内服中止の指示を出しながら答えた。

「心疾患もあるかもしれませんが、それだけとは言い難いので」
「まあ先生、仮に薬物中毒だとしても、点滴と利尿で・・」
「いえ。仮にそうだったら・・やはり共診でお願いします」
「先生。病棟医長の判断なんですか?」
「いえ。自分の」
「レジデントですよね、先生」
「は、はい。2年目です」
「もういいです。自分が先生のとこの病棟医長と相談します」

島と相談するっていうのか。

だが僕もムキにならず、自分1人で見ればよかったのかも。
しかし、こう一方的にどんどん業務を請け負うのは問題だ。

家族へのムンテラも終わり、カンファ室へ。

カンファ室は誰もいない。みんな病室を回ってるのか・・。
詰所へ。晩の9時か。もう時間的な感覚もマヒだ。

重症部屋へ。オウム病の患者さんを回診。
高熱は持続しており、CRPはむしろ上昇傾向。
オウム病と診断したのは外来主治医。

「ミノマイシン、効いてないか・・」

ふと見上げると、点滴台につってあるのは「バンコマイシン」。

「なんだ、これ?」
僕は近くの中年ナースを呼び止めた。
「これ、つないだの君?」
「はあ」
「バンコマイシンは指示出してないよ」
「え、でも・・・3日前から」
「ミノマイシンのはずだけど」
「ミノマイシンはこの方で・・」

ナースは別の患者さんを指差した。
僕は双方の指示簿を確認した。

やっぱり。間違ってる。互いのがすりかわっている。

「ほらやっぱり!」
「あ・・・ほんとだ」
「なぜ3日も続けて間違ってたんだよ」

僕は悔しくて怒りがこみ上げた。

彼女は冷淡に答えた。
「どうしましょうか」
「どうしましょうかって・・。こっちが聞きたいよ!」
「はあ・・・」
「僕のこの患者さんは腎臓が悪いんだ。間違ったバンコマイシンのせいで
悪化してたらどうすんだ!」

ナースは決して謝ろうという態度を見せなかった。

「で、どうしましょうか」
「どうしようもないじゃないか」
「点滴の側管を代えるのも、これからはドクターがしたほうが。わたしたち、怖いです」
「それで解決する問題じゃない。患者さんや家族に説明しないといけないのは僕だよ」

僕は受話器を握り締めた。

「電話するんですか?」
「ああ。これはしないといけないだろ!」

島が入ってきた。
「なんだ?どうした?」
僕は事情を話した。

島は天井を見上げた。
「ナッチャン、どしたの珍しい。いけないじゃーん」
ナースは目じりに深いしわを刻み微笑んだ。
「島っちい、やっぱりぃ、ドクターがしないとお」
「まあ、これからは何とかなるやろ」
「今度から気をつけるし!」
「バイタルは異常ないんだろ?」
「うん、多分」
「ならいいだろ」

ナースは島に寄り添った。

「なんかね、先生。トシキ先生、家族呼ぶって」
「いいだろ。しなくても」

そうはいかない。

「でも説明はしておくよ」
「待てよ。待てったら!」
島は僕の持った受話器を元に戻した。

「俺の了解もなしに、単独行動するな!」
「離してくれ・・」
「困るよ。こういったミスは珍しくないだろ?」
「一言、謝っておかないと」
「よく医者が務まるな・・。待て待て!」
「この3日間に点滴を間違われて、病態が改善してない!悪化してる
可能性もある。僕のせいじゃない!」
「だからといって、ナースの立場を不利にするな。大学の威信にもかかわる」
「島は許せるのか?あんな態度!」

僕はナースを指差した。
ナースは顔が青ざめていた。
島は相変わらず困った表情だ。

「トシキ。こういうのはまず上に報告して、病院側の了解を・・」
「うん。じゃあ、報告する」
「冬休みがあけてから・・」
「ダメだそんなの!1週間以上先だ!」

僕は過労と睡眠不足でかなりイライラしていた。

「島。君は病棟医長なんだろ。上に報告しろ」
「うーん・・・とりあえず、腎機能とCRPを再検して」
「もういい。僕が報告する」

僕は医局長の携帯番号をプッシュした。
島は恨めしそうに見下ろしていた。

「三品はあれでも上の人間だから手加減したが・・」
「あんなことするか、普通」
「覚えてろ・・」
「あ、もしもし!医局長ですか?板垣先生・・」

僕は時間をかけて詳細を説明した。

「・・・以上です」
「うーん・・・君の言い分も間違ってなくはないが。島君の言い分も・・」
「家族には説明をしておかないと」
「わかってる。だが今、上層部はみな年末の里帰りや当直などで・・」
「では島病棟医長から」
「そうだな・・ま、年が明けたら私が改めて説明はする」

それまで患者さんが持たなかったらどうする。

会話は終わり、受話器を置いた。

「島。ムンテラは君からだと」
「そうか。医局長が言うなら仕方ないな」
「家族を呼ぶ。来たらお願いするぞ」
「・・・・」

彼は少し戸惑っている。
僕は追い討ちをかけた。

「これが外来カルテ!いろいろ経過の長い人だ。目を通しといてくれよ!」

ところで今、何時だ。夜の9時・・・。

やがて家族が到着した。大人数だ。20人はいる。
みな詰所の中まで雪崩れ込んできた。
夜勤ナースが驚いた。

「ろ、廊下でお待ちください!」
「・・・長男の方!」

僕は長男さんを小部屋まで案内した。
島が緊張した面持ちで待っていた。
私服からいつの間にかネクタイに着替えている。

「どうぞ。病棟医長の島です」
「長男です。日頃はいつもお世話に・・」
「主治医のトシキ先生は、いつも・・・・いつも」

何ドモってるんだ、島。

「いつもお世話に・・いや、よくやってます。彼は」
「え、ええ。ほんとようしてもらいまして」
「実は」
「はあ」
「抗生剤がですね。この3日間、いってたんですけど。高熱はずっと
続いてまして」
「はい」
「それで確認しましたら、抗生剤は抗生剤なんですけど、どうやら効いて
なかったようでして」
「?」
「それで変更することに、なな、なりました」
「え、ええ。私は素人ですから。先生方が正しいと思われる治療を・・」
「それがどうやら、当初予定していた抗生剤とは」
「・・・・・」
「間違ったもののようで」
「はあ?」

島!

<つづく>

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