1月4日。

教授室をコンコンと叩く音。

教授はパソコンを起動させ、自分宛の年賀状を1枚ずつ確認していた。
「どうぞ」
「失礼します」

トシキ先生は私服でゆっくり入ってきた。
「おめでとうございます」
「ああ、おめで・・・君か・・・」

教授は少し不機嫌そうに彼を見つめた。

「新年早々こんなことを言うのも、まあなんだが」
まだ起動されてないパソコンを、教授はせっかちにクリックしている。
「名誉教授には一言謝っておいたほうがいいぞお・・」
「先生。時間がないんで」
「?」
「この年末、じっくり考えたことなんですが」
「ほお?」
「自分はこの医局には相応しくないと思いまして」
「何だ。何か不満がおありか?ン?」

「今日付けで、この医局を辞めます」
沈黙が数分、続いた。

「それは・・ホッホ。君がそういうなら仕方ないが。ここに居にくい
気持ちも、分からんではない」
「では・・」
「待て待て!待たんかあ!話の途中じゃ!」
「・・・・・」

教授は顔を真っ赤にして机をドンドンと叩いた。
「ここを辞めて、まともに生きていけると思うのかあ?ええ?」
「それはこれから・・」
「いったい誰に対して口をきいとるんじゃ!」
「教授です」
「うぬぬ・・・!」
「勤務は2月からですので」
「フン。後になって泣きべそかいて、泣きついてくるのがオチじゃわい!」
「書類は、秘書さんを通じて手続きします」
「勝手にせい!」

トシキ先生は動じることなく、医局を出た。
どこか洗脳でもされたような、氷のような表情で。

「おいおい、トシキ先生!」
医局長が走ってきた。
「捕まえた。大阪の南部の病院から、保険医登録書など寄越してくれと電話が」
「ええ。僕がもらいます」
「辞めるのですか?まさか・・」
「本当です」
「どうしたんです?先生。電池が切れたみたいに」
「書類はどこに・・?」
「こ、これです」

トシキ先生はサッと書類を奪った。
「今までお世話になりました」
「まあ、ちょっと体を休めなさい」
「・・・・・」
「知ってる知ってる。年末は僕らが悪かった。君らに負担をかけた。これからは
みんなで仕事を分担して・・」

トシキ先生は無視したまま廊下を歩き始めた。
医局の少ない荷物をダンボールに詰め込み、台車でエレベーター入り口へ。

「トシキ・・」
「水野?」
「俺たちに問題が?」
水野はうつむいたまま、声が震えていた。
「年末はすまなかった。妻がつわりで・・」
トシキ先生は水野の肩に手をやった。

「いやいや。もういい」
「戻ってこないのか?」
「ああ。僕も悪いことをしたし」
「悪いこと?」
「じゃ、いつかまた」
「あの子はいいのか!トシキ!」
「え?」
「ナースの子。付き合ってたんだろう?」
「多少は・・」
「いいのかよ?」
「もう、疲れた・・・」
水野は途方にくれ、もはや止めることもできなかった。

トシキ先生はエレベーターを降り、玄関へと向った。
玄関では窪田総統と川口先生が待っていた。

「あなた、マジ?」
総統は玄関先の椅子からいきなり立ち上がった。
「何考えてんの?このポケモン!患者はどうすんの!」
「伝えてきました」
「引継ぎも?」
「島が全部やると思います。会ってませんけど」
「・・・・・」
「お世話になりました」
「意地でも行かさないよ!殺してでも引っ張ってく!」
「いたたた!」
「あんたには居てもらわないと!」

総統がトシキ先生の台車を引っ張ったせいで、荷物がガラガラと崩れていった。

「大丈夫ですか?」
低い声の、背の高い黒服がのそっと現れた。サングラスしている。

「ええ。拾います」
トシキ先生は散らかった箱・書類を集め始めた。
「先生が。とんでもない。おい!」
どこからか現れた黒服がまた数人現われ、箱を1つずつ運んでいった。

「トシキ先生。この男が何か?」
ノッポの黒服は内ポケットに手を入れたまま、総統に歩み寄った。
「いや。いいよ。許してあげて」
「そうですか、なら・・・」

川口先生はビビりながら呟いた。
「先生ゴメン、あたしが悪かった!」
「先生。何を」
「先生たちがあんなに一生懸命なのに、ヒトゴトのようにしてしまって。
なんであんなこと、言ったのか・・!」
「・・・・・」
「ねえ先生、考え直して!」

トシキ先生はフーッと長いため息をついた。

「考え直すのは・・・」
「・・・・・」
「みなさんのほうでしょう?」

総統が歩み寄った。
「あんたを頼って、たくさんの入局者が集まるってのに!」
「先生・・」
「?」
「パソコンで確認を?」
「午後、みんなで一斉に見るんだけど。それが何?」
「いえ」

彼の表情は違った。まるで本当に何者かに洗脳されたかのような。

ノッポの黒服がサッと手を上げたかと思うと、右端から何台もの車が走ってきた。

外車のオンパレードは玄関先で停車した。

医局長がまた近づいてきた。
「医局長として聞きたい。何がいったい・・・問題だったのか?」
「・・・それが分かってないこと自体、問題です」
「なに・・・!」
痛いところを突かれた、といった表情だ。

「だがトシキ先生。野中くんが戻ってきたら、また声をかけるよ」
「野中・・」
「君のもとオーベンだ。君らは名コンビだったじゃないか!」
「彼が・・・帰ってくるとでも?」
「は?」

ノッポの黒服により、外車のドアは開けられた。
「どうぞ」
「・・・・・」

トシキ先生は振り向くことなく、先頭車の助手席に腰掛けた。
玄関先に次々と集まった医師たちに、目もくれず。

見送りの何人かは肩を落とし、すすり泣く者もいた。



それをフロントガラス越しに見ている車が1台。

運転席の若い男が1人、携帯で電話している。
「・・・・・職員、やっと引き上げたとこです」
「今日は、真田は現われなかったか」
「今日はええ。取り巻きだけです」
「乗っ取り屋が・・・!」

電話の向こうは老年のしわがれた声。

「会長。彼は私達にとって、なくてはならぬ存在です」
「それはわかっておる」
「彼が大病院を乗っ取って、買い取りやすい形で我々に提供するわけですし」
「そのためには医者が要る!」
「ええ」
「真田はもう何人も集めたぞ!」
「うちも数人は確保を・・」
「使える医者を集めんかい!いつもあの男に先を越されおって!」
「ええ。確かに、先を越されてばっかりです。今回も・・やられた」
「今回の医者も、金で釣られたか?」
「たぶんそうでしょう。ですがあの病院です。多分、すぐに音を上げるでしょう。私が水面下で交渉してみせます」
「頼むぞ。我々が病院を買い取って、まともな医者がいなくては話にならん!」
「ええ。お任せを」

若い男は電話を切り、リンカーンをゆっくりと走らせていった。


午後に起動した医局のパソコン。

到着したメールは、たったの2通だけだった。

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