ブレよろ 3

2004年12月28日
詰所には誰もおらず、奥の小部屋でギャーギャーいう声が聞こえた。のれんごしに彼は中を覗いた。

「誰かいるか?」
「は、ははっ」
中年ナースはまんじゅうを咥えたまま振り向いた。

「あいつは?」
「・・・・」
ナースは手を横にブンブン振った。来てないということだ。

「まったく・・・。三品が言ってたが、あいつは必要なときには居なくて、どうでもいいときに居るとな」
ナースは噴出し、まんじゅうが床に落ちた。

モニター音も全くない閑散とした詰所をあとに、神谷先生は階段を降りていった。

その頃事務室では、1人の若い男性がなにやら書類を真剣に眺めていた。
「・・・・・・」
と、いきなりドアが開き、ノッポのメガネ事務長が不機嫌そうに歩いてきた。
「荷物は出したか?」
「はい」
「みんなに挨拶は?」
「しました」

品川氏は書類をカバンに詰め込み、立ち上がった。
事務長はすぐ側までやってきた。

「俺はな、たぶん後悔すると思うぞ」
「・・・・・」
「俺も以前はな、いろんな奴らと協力して、病院を変えようと頑張ったりしたこともあった」
「・・・・・」

外へ歩き出した品川氏を、事務長は追っかけた。

「だがな、考えてみろ。周りの圧力に押されて、いつかは音を上げる」
「自分は上げてませんよ」
「そうならないように、助言してきただろ?」
「ええ。それはありがたかったんですが」
「ここは大丈夫だってのに」
「あと1年くらいはもつかも・・」
「赤字経営でも大丈夫だ!大阪の病院の大半は赤字なんだぞ!」
「僕は不安です」
「俺たちは黙って、ただ給料もらってりゃそれでいいんだよ!」
「・・・・・では」

30代だがすでに紳士の風格がある品川氏は、救急入り口の近くに停めてあるリンカーンに乗り込んだ。携帯を取り出し、短縮を押す。

「もしもーし!ユウキ先生。もう出られました?・・・・・・あ、先生の車ありますね。え?え?」

彼の顔は次第に青ざめていった。

「あの話、本当だったんですか?・・・・いえ。事務側では話は全然進めてなくて。ごめんなさい!」
彼は電話を切り、また急いで車を出た。
「こりゃ大変だ!」

彼はまた事務室へ戻った。メガネ事務長が笑みを浮かべて立ち上がった。
「おお。少しは目が覚めて・・」
「どいてください!」
品川氏は僕が指定した場所のファイルを見つけた。

「これ・・・これだ!ホントだ!」
「な、何が?」
メガネ事務長が走ってきた。
「自分、ここで最後の仕事を忘れてました!」
「もういいよ。俺らがやっとく」
「いえ。自分が」

ファイルを開き、品川氏は病院の電話をプッシュした。
「・・・・・真田病院、分院ですね。事務長を。そうですか・・・」
メガネ事務長はいぶかしげに見ていた。
「わかりました。こちらの番号は・・・」
受話器を置いたあと、彼はまた廊下へ飛び出した。

救急室へ入ると、僕はそこで待っていた。
「ユウキ先生!もうこちらへ向ってるそうで」
「シーッ!」
「え?どうして?」
「あいつらに会いたくないんだよ」
「あいつら・・?ああ、ドクターたちね。その「あいつら」の中には私は・・」
「入ってるわけない。これから同じ職場に行くんだから」
「厳密には、時期が少しずれますね」
「半年くらいだったな・・」
「お先に失礼して、待ってますよ!」

この事務長はかつては真田会の理事長である真田氏と敵対するグループにいたが、内部で揉めたとかで、この民間病院で働いていた。
僕と性格が似ていて、本音が話せるヤツだった。

僕が今立っている救急室は・・といってもそれは名ばかりで、国営時代の名残でしかなかった。
医療器具は根こそぎ回収されていたが、こまごまとした物品や、老朽化した器具だけは残っていた。

「このメカ、動くぞ・・?」

品川氏は腕時計を見ていた。
「で、先生。診療情報提供書はあとで送るとして。あのリストから何人・・」
「ほとんど全部」
「全部?だって20人くらい・・」
「独歩がほとんどだよ」
「重症もいるんですか?」
「1人いる。その人は救急車で」
「で、でもこの重症は、神谷先生に申し送ったはずでは・・」
「いやあ、三品があいつに振り分けただけだよ」
「先生。できれば三品医長に直接連絡されて・・」
「パードン、ミー?」
「は?」
「よく聞こえませんでした」
「でも、私がするのも嫌だなあ・・」
「ありゃクズだよ。クズ!」
「それでもいちおう医者ですし・・」
「あんたの言い方も、ひどいよな・・」

僕はこの品川くんを通して、自分の受け持った全患者の転院計画を進めていた。
ただ彼は信じてなかったようだ。

「困ったな、先生。自分は冗談だと思ってて」
「品川くんのせいになるよ。俺はいちおう事務を通したつもりだし」
「うーん・・・でも先生のためなら。やりまひょ、やりまひょ!責任でも灯油でも、かぶります!」

僕の携帯が鳴った。
「はい。真田病院・分院ですか?患者の転院の件・・ええ、お迎えよろしくお願いします!」
品川君はまだ青ざめていた。
「迎えが来る前に、医局のドクターたちに説明されたほうが・・」
「いや、もう来たみたいだよ」
「ひっ!」

複数台の車のエンジン音が聞こえてきた。

何年かぶりに、中から救急室のドアを開け・・ようとしたが、なかなか開かない。

「以前は自動ドアだったらしいですね」
「じゃあ何だ?ドアだけ置いていって、自動の部分は国が持っていったの?」
「そのようで・・」
「俺、右のほう開けるから、品川くんは左を!」

わずかに開いた隙間の向こうに、さらにエンジン音が近づいてきた。かなりの台数だ。

「くっくく・・・」
僕の力ではドアはびくともしなかった。品川くんも大汗をかきながら奮闘していた。
「ホント、ようこそここへ、クッククック・・!」

隙間の向こうではエンジン音が止み、かけつける音が聞こえた。
向こう側からも何人かの力が加わった。

「よいしょー!こらしょー!」
まさに多くの手がそのドアにかけられていた。救出作戦のようになってきた。
しかし患者はまだ病棟から降ろしていない。無理もない。詰所はまだ知らないのだ。

かろうじて人1人がすり抜けれるくらいの隙間ができた。

次々と若い私服が入ってきた。みな男性だ。彼らは次々と握手を求めてきた。
1人、黒服の大柄が入ってきた。安岡力也ふうだ。

「辻岡といいます。よろしくお願いいたします、先生。では、患者さまを・・」
「ああ。そうだったんだけど、連絡が十分行き届いてなくて・・」

辻岡氏はサングラスごしに、ギロッと品川氏をにらみつけた。
「さっそく不手際というわけで?次期・事務長さんよ?」
「申し訳ありません!明日から勤務だというのに!」
品川氏は土下座した。僕は止めに入った。

「ユウキ先生がさっそく貴院にお世話になりますのに、従者の私がこのような・・!」
「品川くん、立て!立て!」
「私に立つ資格など」
「ここの床、3年ほど掃除してないよ!」
「おあ!」

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