ブレよろ 16
2004年12月29日一方、大阪南部の真田<分院>。本院から独立したこの病院は、
ここ数年で目覚しいほどの成果を上げて注目を浴びていた。
玄関から入った受付では野戦病院のごとく人が溢れている。300床の病院で、7割が一般病棟だ。
その200人余りの一般病棟患者を内科4人、外科2人、整形外科1人が診ている。
内科外来は、病院の中でも最大の「売り」だった。「胸部内科外来」は、その町の周辺の町にも評判が届き、患者数は激増していた。
外来受付、午前9時前。
新・事務長の品川くんは、まとめ役としてやっと慣れかけていた頃だった。
「さあさ!がんばろうぜ!」
パンパンと威勢のいい合いの手が響き、あと6名の事務員も所狭しと動き回っていた。
「どうした?」
「いえ・・」
新入りは自信なげに席に着いた。
「さ、今日もがんばっていこう!」
受付のシャッターがガラガラと動き始めた。突然待合室のざわめき音が聞こえてきた。
今日は連休明けの平日とあって、かなりの人数だ。
品川君はカルテに日付をバシバシ押しながら指示を出す。1秒に1冊の速さ。
「今日は内科1診は臨時だよね?シロー先生のフォローを!」
「はい!」
「2診の隼先生は重症患者がいるから、病棟コールで不在があるかも」
「はい」
「適宜1診にお願いしてバックアップを図って!」
「了解!」
次々と事務員が出入りしていく。早足から駆け足へ。
内科1診では常勤の医師がピカピカの白衣で降りてきた。
「僕は病棟しか診てないから・・」
「大丈夫ですよ、シロー・・・石丸先生」
「そんなに早くはさばけない」
「いけますとも」
若いナースは絶大な信用をもって石丸先生の側についた。
石丸先生はやはり不安だった。
「先生はいつ戻ってくる?」
「午後でしょうね」
「もし早く戻られたら、交代をお願いできるかな・・」
「ええ、そのときは私が・・・・では、よろしいでしょうか?」
机にはもう20冊ほどのカルテが積み上げられている。
ナースが呼びに走り、患者が入ってくる。血圧などはあらかじめ測定してある。
石丸先生はカルテに目を通す。しょっぱなから分厚いカルテだ。ふだんの主治医は
外科の院長で、字が汚く全く読めない。保険病名が多数あり、主病名もわからない。
こういうときは・・・。そうだ。マイオーベンの教訓に従おう。
どんな薬、飲んでるかだ・・・。
シグマート、アイトロール、カマグ、テオロング・・・狭心症と気管支喘息といったところか。
46歳の男性患者はもう目の前に座って沈黙している。
「おはようございます」
石丸先生は深々と頭を下げた。
「なんや、若い先生やな。まあよろしゅう・・」
「む、胸はどうですか?」
「胸?ああ、胸な。いつものとおりですわい」
「胸痛は・・」
「きょうつ?」
彼は外来自体、するのが初めてだった。
横のナースがサポートする。
「胸の痛みはないかって」
「痛み?ああ・・・痛みはない。ないけども・・しくしくするような。その・・・
なんと言えばいいかの・・」
石丸君はひたすら訴えをカルテに書き続ける。
「では、診察します」
ナースは患者の後ろに回り、服を上げた。
突然口を空けたトラの絵に、石丸先生は驚いた。
入墨か・・。
聴診では喘鳴が・・・ある。SpO2 93%。
ふだんもこうなのか?記載は・・・・どうやらないようだ。
「あの、よろしければ検査のほうを」
「あ?検査?」
「む、胸の検査をしたほうが」
「検査はたしか、したよ。3ヶ月前」
「ですが、今回は・・」
「悪いんでっか!」
「い、いえ。悪くは・・」
「また今度にしてえな」
「きょ、今日しましょう」
「なんや。なんか怖いな」
ナースが後ろから服を直した。
「今日、検査したほうがいいって。先生がおっしゃってるんだから」
「せやけどもやな。院長先生はそんなん、言ってなかったわけや」
「院長先生の外来は明日ですし」
「なら明日、来るがな」
石丸先生はまだ必死にカルテ記載をしている。
「なあ先生!それでええやろ?」
「はい・・」
「下ばっか見んと、こっち向いて喋ってえな!」
「今日検査しないと、夜になって悪化するかもしれませんよ」
「いやあ、そんなことない」
患者はふてくされて立ち上がった。
「なんか、気分悪いわ」
ナースは止めにかかったが、患者は出て行った。
カーテンごしになにやら聞こえた。
「今日はあの先生かと思って来たんやがなあ・・・」
石丸先生は軽く動揺した。
ダメだ・・。自分はこんな忙しい外来はできない。代医として引き受けはしたが、もう
この3日間で限界だ。
そもそも自分は病棟患者だけを診るという契約で来たんだ。外来は1回もやったことないし。
医者として4年目になる石丸先生は自分にそう言い聞かせた。
次の患者はもう座っている。82歳の女性。心エコーで大動脈弁閉鎖不全。主治医は院長でなく、経過はわかりやすく
書かれている。
「なんか、最近足が腫れたような・・」
後ろの嫁らしき人が患者の両足を指差した。
「弁膜症が進んだとか・・どうでしょうか?」
石丸君はちょうどエコーの練習中だった。
「そうですね。見てみましょう」
彼は近くに置いてある超音波をガラガラ引っ張り出してきた。
「先生。エコーは予約で・・」
ナースの注意は彼には聞こえなかった。
「じゃ、しますね」
患者を横にし、彼は電源をつけた。
カルテはどんどん積み重なっていく。
通りかかった品川君は立ち止まった。
「(石丸先生は、緊急の検査かい・・?)」
「(品川くん!急がせてちょうだい!)」
ナースは小刻みに体を揺らして訴えかけた。
だがドクターの判断での検査だ。品川君は仕方なく次の仕事へと向かった。
「ポータブルのこんな白黒エコーじゃ、逆流がわからない!」
汗をかきはじめた石丸先生は額をぬぐい、ため息をついた。
「困ったなー・・・・うーん。困った」
SpO2 97%はある。今日は入院させなくてもよさそうか。
「明日、また受診をお願いします」
家族は言われるまま患者の手を引っ張り、奥へと消えた。
ここ数年で目覚しいほどの成果を上げて注目を浴びていた。
玄関から入った受付では野戦病院のごとく人が溢れている。300床の病院で、7割が一般病棟だ。
その200人余りの一般病棟患者を内科4人、外科2人、整形外科1人が診ている。
内科外来は、病院の中でも最大の「売り」だった。「胸部内科外来」は、その町の周辺の町にも評判が届き、患者数は激増していた。
外来受付、午前9時前。
新・事務長の品川くんは、まとめ役としてやっと慣れかけていた頃だった。
「さあさ!がんばろうぜ!」
パンパンと威勢のいい合いの手が響き、あと6名の事務員も所狭しと動き回っていた。
「どうした?」
「いえ・・」
新入りは自信なげに席に着いた。
「さ、今日もがんばっていこう!」
受付のシャッターがガラガラと動き始めた。突然待合室のざわめき音が聞こえてきた。
今日は連休明けの平日とあって、かなりの人数だ。
品川君はカルテに日付をバシバシ押しながら指示を出す。1秒に1冊の速さ。
「今日は内科1診は臨時だよね?シロー先生のフォローを!」
「はい!」
「2診の隼先生は重症患者がいるから、病棟コールで不在があるかも」
「はい」
「適宜1診にお願いしてバックアップを図って!」
「了解!」
次々と事務員が出入りしていく。早足から駆け足へ。
内科1診では常勤の医師がピカピカの白衣で降りてきた。
「僕は病棟しか診てないから・・」
「大丈夫ですよ、シロー・・・石丸先生」
「そんなに早くはさばけない」
「いけますとも」
若いナースは絶大な信用をもって石丸先生の側についた。
石丸先生はやはり不安だった。
「先生はいつ戻ってくる?」
「午後でしょうね」
「もし早く戻られたら、交代をお願いできるかな・・」
「ええ、そのときは私が・・・・では、よろしいでしょうか?」
机にはもう20冊ほどのカルテが積み上げられている。
ナースが呼びに走り、患者が入ってくる。血圧などはあらかじめ測定してある。
石丸先生はカルテに目を通す。しょっぱなから分厚いカルテだ。ふだんの主治医は
外科の院長で、字が汚く全く読めない。保険病名が多数あり、主病名もわからない。
こういうときは・・・。そうだ。マイオーベンの教訓に従おう。
どんな薬、飲んでるかだ・・・。
シグマート、アイトロール、カマグ、テオロング・・・狭心症と気管支喘息といったところか。
46歳の男性患者はもう目の前に座って沈黙している。
「おはようございます」
石丸先生は深々と頭を下げた。
「なんや、若い先生やな。まあよろしゅう・・」
「む、胸はどうですか?」
「胸?ああ、胸な。いつものとおりですわい」
「胸痛は・・」
「きょうつ?」
彼は外来自体、するのが初めてだった。
横のナースがサポートする。
「胸の痛みはないかって」
「痛み?ああ・・・痛みはない。ないけども・・しくしくするような。その・・・
なんと言えばいいかの・・」
石丸君はひたすら訴えをカルテに書き続ける。
「では、診察します」
ナースは患者の後ろに回り、服を上げた。
突然口を空けたトラの絵に、石丸先生は驚いた。
入墨か・・。
聴診では喘鳴が・・・ある。SpO2 93%。
ふだんもこうなのか?記載は・・・・どうやらないようだ。
「あの、よろしければ検査のほうを」
「あ?検査?」
「む、胸の検査をしたほうが」
「検査はたしか、したよ。3ヶ月前」
「ですが、今回は・・」
「悪いんでっか!」
「い、いえ。悪くは・・」
「また今度にしてえな」
「きょ、今日しましょう」
「なんや。なんか怖いな」
ナースが後ろから服を直した。
「今日、検査したほうがいいって。先生がおっしゃってるんだから」
「せやけどもやな。院長先生はそんなん、言ってなかったわけや」
「院長先生の外来は明日ですし」
「なら明日、来るがな」
石丸先生はまだ必死にカルテ記載をしている。
「なあ先生!それでええやろ?」
「はい・・」
「下ばっか見んと、こっち向いて喋ってえな!」
「今日検査しないと、夜になって悪化するかもしれませんよ」
「いやあ、そんなことない」
患者はふてくされて立ち上がった。
「なんか、気分悪いわ」
ナースは止めにかかったが、患者は出て行った。
カーテンごしになにやら聞こえた。
「今日はあの先生かと思って来たんやがなあ・・・」
石丸先生は軽く動揺した。
ダメだ・・。自分はこんな忙しい外来はできない。代医として引き受けはしたが、もう
この3日間で限界だ。
そもそも自分は病棟患者だけを診るという契約で来たんだ。外来は1回もやったことないし。
医者として4年目になる石丸先生は自分にそう言い聞かせた。
次の患者はもう座っている。82歳の女性。心エコーで大動脈弁閉鎖不全。主治医は院長でなく、経過はわかりやすく
書かれている。
「なんか、最近足が腫れたような・・」
後ろの嫁らしき人が患者の両足を指差した。
「弁膜症が進んだとか・・どうでしょうか?」
石丸君はちょうどエコーの練習中だった。
「そうですね。見てみましょう」
彼は近くに置いてある超音波をガラガラ引っ張り出してきた。
「先生。エコーは予約で・・」
ナースの注意は彼には聞こえなかった。
「じゃ、しますね」
患者を横にし、彼は電源をつけた。
カルテはどんどん積み重なっていく。
通りかかった品川君は立ち止まった。
「(石丸先生は、緊急の検査かい・・?)」
「(品川くん!急がせてちょうだい!)」
ナースは小刻みに体を揺らして訴えかけた。
だがドクターの判断での検査だ。品川君は仕方なく次の仕事へと向かった。
「ポータブルのこんな白黒エコーじゃ、逆流がわからない!」
汗をかきはじめた石丸先生は額をぬぐい、ため息をついた。
「困ったなー・・・・うーん。困った」
SpO2 97%はある。今日は入院させなくてもよさそうか。
「明日、また受診をお願いします」
家族は言われるまま患者の手を引っ張り、奥へと消えた。
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