ブレよろ 28
2004年12月29日真田分院では医局会が会議室で開かれていた。
品川事務長は熱弁を奮う。
「・・・今月の売り上げは先月より3千万増の、5億5千万円」
みんな顔を見合わせていた。売り上げはここ2年ほど上がり続けている。
いったいどこまで増えるのか。
この病院は分院ということで、以前は収益面でも本院にはかなわなかったが・・。
今はもう追い越している。
「売り上げ増の主体は内科病棟、内科外来、特に胸部内科の勢いによる
ところが大きいかと思われます」
みなトシキ先生に視線を注いだ。横には石丸先生が座っている。
彼は自分にも注目が集まっていると勘違いしていた。
「(そうさ。この病院の経営を支えてるのは、トシキ先生と僕なんだ・・・!)」
確かにそうだった。彼ら2人が入局してからの入院患者稼働率、しかもそれまで
本病院の苦手な分野であった胸部内科を彼らが引っ張っていった。
そのためか消化器科の2人、≪キンキチーム≫のハヤブサ・トドロキは自分たちの存在の
危うさを感じずにはいられなかった。
そのせいなのか、トドロキはすでに陰で別組織と契約を結んでいる。
彼の使命は、都合のいい医者だけをここに残すこと。真珠会の乗っ取りやすいように、
都合の悪い(言うことをききそうにない)医者を追い出すことだった。
後輩のハヤブサは不愉快だった。
「トドロキ先輩・・」
「いい気になりやがって」
「噂は本当ですか?」
「どんな?」
「真田理事長の脱税疑惑」
「そうか。知らなかった」
軽く驚いたそぶりを見せた。
「新聞に載ってました。内部告発から出た情報らしいですね」
「さあ・・・上のことは、俺にもわからんよ」
これを機に、本院は次第に崩壊の道をたどるようになっていた。
事務長は連絡事項を進めた。
「あと2ヵ月後にこちらにこられるドクターのことですが」
いきなりの発表にみんな驚いた。あたりがザワついた。
人事の話にはみな敏感だ。大学病院の場合は事務的な人事だが、
それ以外の場合は誰かの辞職・解雇に伴うことが多いからだ。
「私が以前勤めてました病院のドクターです。胸部内科の専門でして」
トシキ先生はコクンとなっていた頭を上げた。
「もう1人、入るのか?宮川先輩の代わりなら・・・内視鏡専門かい?」
「いえ。胸部内科の予定です」
「1人増えるのか。よかった。でも突然な話だな」
「すみません。本日の早朝のアナウンスなもので」
「・・・増員ってこと?」
「そのように聞いています」
厳密には、品川君が運んできてくれた人事だ。
収益が上がって事業を拡張するとき、人事を増員することはよくある話なので、
今回の話は自然ななりゆきだった。
会議は終わり、トシキ先生は石丸先生と歩き始めた。
「やっと楽になるな、シロー」
「ええ。先生」
石丸先生は顔がほころんだ。だがトシキ先生は用心深かった。
トシキ先生は患者家族の待つ部屋に入った。老人患者の長男50代。
「トシキです」
「もう1時間くらい待ってんやねんけど・・」
「サナエさんはここに入院して3ヶ月ですね」
「ええ。お世話になりますわ」
「で、どうでしょうか?」
「は?」
トシキ先生には長男がとぼけたように見えて気に入らなかった。
「肺炎が治癒して、今は鼻からチューブで流動食だけ」
「そうでんな。でもまたいつ悪くなるかは・・」
「その可能性はあります。でもここ2ヶ月はステーブルです」
「ステーブル?」
「安定しています」
「さよか。でも先生、うちでは見れませんぜ」
「おかしいな。最初はそういう話だったのに」
「うち、家が神戸でんねん」
知ったことか、とトシキ先生は冷ややかに見守った。
「家を新しくそこに建ててるねん。住宅ローン、なんとか通って30年払いですわ」
「そのような話は関係ないでしょう」
「でな。そこでうちの息子らがみんな住むわけやねん」
「でしょうね」
「わしとしても、母親を迎え入れたい気持ちはあんねん。いつも心配で眠れんぐらいやし」
長男の面会は月1回程度だった。
「でも嫁と相談したんやな。そしたらダメやっちゅうねん」
「嫁?」
「そうや、嫁やねん。慢性的に菌をもった人間が新築の家に戻ったら、みなに移るって
ぬかしよんねん!」
実際、喀痰からは緑膿菌・MRSAが検出されている。
「ですが、家に戻られる前提の話だったから、こうして何ヶ月も」
「なあ先生!ぶっちゃけた話、ずっとここに置いてもらうわけにいきまへんの?」
「ダメです」
「なんでやの?」
「病院としての方針です」
「なら老人ホームとか!」
「あたりましたが、かなり先の話です」
「じゃあそれまではここに」
「無理な話・・・」
長男はすかさず、まるで刺客のように大きな封筒を、トシキ先生の白衣ポケットに
しのばせた。
「あっ!」
「シー!先生!内緒!」
「このようなのをいただくわけには・・!」
「ええねん!ええねん!」
長男はダッシュで部屋を出て行った。
トシキ先生はドアに肩肘をついたまま、その姿を見ていた。
こうして何人もの患者がたまってきている現実もあった。
だが大阪ではいくつかの病院が連携して、患者を数ヶ月間ずつローテーションして長期入院を避けるシステムがあった。
トシキ先生はそのやり方は気に入らなかった。これではマネー・ローダリングと同じだ。
これらの患者は入院後はまず一般病棟で検査の嵐。用がなくなれば療養病棟。
そして数ヶ月で別病院。そこでまた同様の検査・・・。一体何をやってるのか。
病名が新しくつくことなどほとんどない。
彼は今回もその「無意味だが有益な」検査にあたろうとしていた。
品川事務長は熱弁を奮う。
「・・・今月の売り上げは先月より3千万増の、5億5千万円」
みんな顔を見合わせていた。売り上げはここ2年ほど上がり続けている。
いったいどこまで増えるのか。
この病院は分院ということで、以前は収益面でも本院にはかなわなかったが・・。
今はもう追い越している。
「売り上げ増の主体は内科病棟、内科外来、特に胸部内科の勢いによる
ところが大きいかと思われます」
みなトシキ先生に視線を注いだ。横には石丸先生が座っている。
彼は自分にも注目が集まっていると勘違いしていた。
「(そうさ。この病院の経営を支えてるのは、トシキ先生と僕なんだ・・・!)」
確かにそうだった。彼ら2人が入局してからの入院患者稼働率、しかもそれまで
本病院の苦手な分野であった胸部内科を彼らが引っ張っていった。
そのためか消化器科の2人、≪キンキチーム≫のハヤブサ・トドロキは自分たちの存在の
危うさを感じずにはいられなかった。
そのせいなのか、トドロキはすでに陰で別組織と契約を結んでいる。
彼の使命は、都合のいい医者だけをここに残すこと。真珠会の乗っ取りやすいように、
都合の悪い(言うことをききそうにない)医者を追い出すことだった。
後輩のハヤブサは不愉快だった。
「トドロキ先輩・・」
「いい気になりやがって」
「噂は本当ですか?」
「どんな?」
「真田理事長の脱税疑惑」
「そうか。知らなかった」
軽く驚いたそぶりを見せた。
「新聞に載ってました。内部告発から出た情報らしいですね」
「さあ・・・上のことは、俺にもわからんよ」
これを機に、本院は次第に崩壊の道をたどるようになっていた。
事務長は連絡事項を進めた。
「あと2ヵ月後にこちらにこられるドクターのことですが」
いきなりの発表にみんな驚いた。あたりがザワついた。
人事の話にはみな敏感だ。大学病院の場合は事務的な人事だが、
それ以外の場合は誰かの辞職・解雇に伴うことが多いからだ。
「私が以前勤めてました病院のドクターです。胸部内科の専門でして」
トシキ先生はコクンとなっていた頭を上げた。
「もう1人、入るのか?宮川先輩の代わりなら・・・内視鏡専門かい?」
「いえ。胸部内科の予定です」
「1人増えるのか。よかった。でも突然な話だな」
「すみません。本日の早朝のアナウンスなもので」
「・・・増員ってこと?」
「そのように聞いています」
厳密には、品川君が運んできてくれた人事だ。
収益が上がって事業を拡張するとき、人事を増員することはよくある話なので、
今回の話は自然ななりゆきだった。
会議は終わり、トシキ先生は石丸先生と歩き始めた。
「やっと楽になるな、シロー」
「ええ。先生」
石丸先生は顔がほころんだ。だがトシキ先生は用心深かった。
トシキ先生は患者家族の待つ部屋に入った。老人患者の長男50代。
「トシキです」
「もう1時間くらい待ってんやねんけど・・」
「サナエさんはここに入院して3ヶ月ですね」
「ええ。お世話になりますわ」
「で、どうでしょうか?」
「は?」
トシキ先生には長男がとぼけたように見えて気に入らなかった。
「肺炎が治癒して、今は鼻からチューブで流動食だけ」
「そうでんな。でもまたいつ悪くなるかは・・」
「その可能性はあります。でもここ2ヶ月はステーブルです」
「ステーブル?」
「安定しています」
「さよか。でも先生、うちでは見れませんぜ」
「おかしいな。最初はそういう話だったのに」
「うち、家が神戸でんねん」
知ったことか、とトシキ先生は冷ややかに見守った。
「家を新しくそこに建ててるねん。住宅ローン、なんとか通って30年払いですわ」
「そのような話は関係ないでしょう」
「でな。そこでうちの息子らがみんな住むわけやねん」
「でしょうね」
「わしとしても、母親を迎え入れたい気持ちはあんねん。いつも心配で眠れんぐらいやし」
長男の面会は月1回程度だった。
「でも嫁と相談したんやな。そしたらダメやっちゅうねん」
「嫁?」
「そうや、嫁やねん。慢性的に菌をもった人間が新築の家に戻ったら、みなに移るって
ぬかしよんねん!」
実際、喀痰からは緑膿菌・MRSAが検出されている。
「ですが、家に戻られる前提の話だったから、こうして何ヶ月も」
「なあ先生!ぶっちゃけた話、ずっとここに置いてもらうわけにいきまへんの?」
「ダメです」
「なんでやの?」
「病院としての方針です」
「なら老人ホームとか!」
「あたりましたが、かなり先の話です」
「じゃあそれまではここに」
「無理な話・・・」
長男はすかさず、まるで刺客のように大きな封筒を、トシキ先生の白衣ポケットに
しのばせた。
「あっ!」
「シー!先生!内緒!」
「このようなのをいただくわけには・・!」
「ええねん!ええねん!」
長男はダッシュで部屋を出て行った。
トシキ先生はドアに肩肘をついたまま、その姿を見ていた。
こうして何人もの患者がたまってきている現実もあった。
だが大阪ではいくつかの病院が連携して、患者を数ヶ月間ずつローテーションして長期入院を避けるシステムがあった。
トシキ先生はそのやり方は気に入らなかった。これではマネー・ローダリングと同じだ。
これらの患者は入院後はまず一般病棟で検査の嵐。用がなくなれば療養病棟。
そして数ヶ月で別病院。そこでまた同様の検査・・・。一体何をやってるのか。
病名が新しくつくことなどほとんどない。
彼は今回もその「無意味だが有益な」検査にあたろうとしていた。
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