ブレよろ 31

2004年12月29日
石丸先生は今日もなんとか仕事を終え、7時には帰宅できた。

「ただいま」
トントントン・・・・と、正面の廊下向こうからワイフが楽しそうな表情でやってきた。

「おかえり!」
「ああ・・」

奥の台所では、夕食がすでに用意してある。
彼はポケットの中のものをゆっくり歩きながら出し続けた。

ポケベル、携帯電話、鍵、財布・・・。

彼はどっと席に腰掛けた。
「つっかれた〜!」
ワイフは遅くなった洗濯物を部屋に取り込んでいた。

「状態悪い人、いるの?」
「ああ」
「肝膿瘍の人は?」
「え?ああ、その人か・・」

トシキ先生にカテーテルを入れかえしてもらった患者だ。

「カテーテルが少しひっこ抜けてね・・」
「で、シローが入れ換えたの?」
「う、うん」
「すぐできた?」
「あ、ああ。そんなの簡単だ」
「さすがシローね!」

こうすることで、彼の自分への威厳は守られていた。

彼は両腕のカッターをめくった。
部屋を見回す。この家を建ててもう2年になる。
思い切った買い物だ。

「給料、入ってたか?」
「入ってた。けど先月より少ないね」
彼は少しカチンとなった。
「この前言ったじゃないか。当直、2回代わってもらったから」
「そうだったね」
「例の荷物は来た?」
「来たわ。支払いしなきゃ」
「いくら?」

ワイフはブランド志向のバッグなどに目がなかった。

「16万かな。パーフェクトセットはあきらめたけど」
「なんだよ。あきらめた、って?」
「全部のセットだと30万するから。だから商品をけずって・・」
彼は彼女のこういうところが目障りだった。
「君が欲しいんだから、全部買えばよかったのに」
「うーん、でも・・」
「?」
「これからいっぱい、いるでしょ」

彼女は自分の少し出たお腹をナデナデした。

彼女は妊娠6ヶ月目で、これから誕生するであろう我が子のための準備も着々と進めていた。

「そりゃいるけどさ。月に100万近く入ってるんだ」
「今の家のローンが月30万。保険や光熱費で10万でしょ」
「なんだよ?」
「シローも本代とか自動車のガソリン代とか・・・」
「食費が高すぎるんじゃないかい?」
「あたしだって精一杯やってるつもりだし」
「もっと儲けろっていうのかよ?」

彼はネクタイを投げ出した。

「わかったよ、もう!当直を増やして、残業も増やして・・!」
「そんなのダメじゃないの!子供が生まれた後のことも考えて!」

彼女は負けてなかった。というより彼女のほうが正論だった。

「僕は、あんな大学病院を蹴ってここへ来てよかったと思ってる」
「それはあなたが選んだわけだし・・」
「人並み以上の生活だってできてる」
「それには不満はないわ。けど・・」

目の前のものに未だとらわれすぎている。彼女は彼に気づいてほしかった。

彼は通帳を見た。不思議なことに、ほとんど貯金がない。
思い出したように大量に徴収される税金、ボーナス払い・・。
彼は年俸制のため、ボーナス自体は支給されていなかった。
なんか損した気分だ。

彼はテレビ付の風呂で頭を洗っていた。
彼はこの時間が好きだ。誰にも干渉されないし、嫌なこともここで洗い流す。

ワイフの影が見えた。扉が少し開いた。

「シロー、怒ってる・・?」
「いや。ぜんぜん。大丈夫だよ」
「本当に?」
「ああ」
「あたしを捨てたりしない・・・?」
「何を言ってんだよ、はは」

扉は閉まった。

子供も生まれるというのに、そんな次元の会話など・・。

彼は仕事・家庭という2つの現実に立ち向かわねばならなかった。

押しつぶされないための強さが必要だ。

中身は空でも、鋼鉄の壁が欲しい。彼は切に願った。

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