プライベート・ナイやん 1-1 沈黙の外来
2005年1月7日僕は閑散とした外来に腰掛けていた。
患者が1人来たということで、呼ばれたのだ。
当院にとっては「貴重な」症例だ。
「問診表では・・・咳がしつこい、とある。熱は37.2℃。既往歴なし、薬アレルギーなし、か。入って!」
さっきまでいたナースがもういない。よく見ると向こうでダベッている。
仕方なく、自分で呼びに。20代の女性。
「どうぞ」
マスクをした女性がゴホゴホ言いながら座る。診察室に入ったとたん咳がひどくなるのを
よく見るが、これは交感神経が過度に緊張するからだろう。
「咳がひどいようですね」
「これが止まらなくて・・」
「いつから?」
「2日前かな・・」
「小さいのはもっと前から?」患者は聞かれると反射的に過少報告するところがある。
遠慮なのだろうが、ここは詳しく聞きたい。
「そうですね。1週間前からちょくちょくしたのはありましたが」
「・・周りははやってます?」
「周り?」
「職場とか、家族とかで同じ症状の人が多いとか」
「けっこう多いですね」風邪はただでさえも移りやすいが、インフルエンザ・マイコプラズマ系統は特にその傾向が強い。
「さて、あと・・何か薬を?」
「市販のやつ、飲みました」たまに病院の薬を飲んでる場合がある。そのときは内容を聞いておかないと、同じものを出してしまうことにもなりかねない。
「効いてないわけですね。熱はそれで少し下がったのかもしれないし」
高熱ではないようだがあくまでも今での話。市販薬で“修飾”されているかもしれないし、
夜間になって上がってくるのかも。
「あとは・・下痢は?」
「全然」
感冒性胃腸炎も来たしてないか注意。
じゃ、問診はこれくらいにして。
ペンライトを点灯し、口へ。
「はい、アーンして」
咽頭発赤は軽度。真っ赤っ赤というわけではないな。
頸部リンパ節は・・・両手の指で、首の両側をグリグリ・・耳下腺・・顎下腺、と。
あんまり、よう分からん。
胸部の聴診は・・まあ若いし、肺炎ってことはないと思うが・・。いやいやしかし。
酸素飽和度は96%。まあまあ正常だ。95%以下は異常と自分は解釈する。
「すみませんが、胸の音を」
ナースが無言で背後に回り、おもむろに服をまくり上げた。
「おい!いきなりすんなよ!」
ブラはそのまま、前胸部と胸の両側を聴診。
「はい、後ろ向いて」
上から順番に、両側を3回ずつ聴診・・って、別に決まってないよ。
でも下部ほど耳は澄まして。吸気時のラ音、呼気時の喘鳴に注意。
まあ、何も聞こえんよな。そうだよな。
僕は何パーセントだろうか?こっそり当ててみる。
97%。もうちょっと上かと思ったが。
でも咳がひどいな。酸素飽和度、やっぱ気になるな。
とにかく、この患者さん・・肺炎の有無を調べないと。
「レントゲンを撮りましょう」
問診表には妊娠は・・なし。
「看護婦さん、胸部レントゲンを2方向で」
「へいへい」
「採血もして、点滴しながら待ちましょうか」
「あのう・・」
女性はもじもじしていた。
「はい?」
「お金、けっこうかかりますか・・?」
「そそ、そうですね・・」
「できれば必要最小限でお願いしたいのですが」
「うーん・・?」
「できれば薬だけで・・」
「そ、そうなんですか・・」
そうだな。採血とかけっこうかかるしな。
じゃ、こうするか。
「家・・近所?」
「すぐそこです」
「じゃあ、調子悪いなと思ったら、すぐに来てね」
「ええ」
「飲み薬だけにしておきます」
「どうも。そのほうが」
笑顔が見られた。
「じゃあ3日分・・」
「仕事でなかなか来れないので、できれば7日くらい・・」
「7日も?」
「ダメでしょうか?」
いくら都合で来れないにしても、効かなかった場合のことを考えると・・。
「5日ならなんとか」
「ではそれで」
「うがい薬は?」
「緑茶でしてますが・・」
「あ、それでいいです。十分」
では、処方を書こう。おっと、その前に・・。
「すみません。仕事はどうしても行かれる?」
「休めないんです」
「車で出勤?」
「ええ」
「じゃ、眠気はないほうがいいですね」
「はい」
この時点で、PL顆粒(ホグス顆粒)はやめておく、と。
この人の訴えは、しつこい咳。けっこう流行してそう。
となると、マイコプラズマ系統がどうしても気になるな。
動物飼ってるかどうか聞けばよかったかな。
・ クラリス 2錠 分2 朝夕 食後
・ ダーゼン 3錠 分3 毎食後
・ ロキソニン 3錠 分3 毎食後
・ ムコスタ 3錠 分3 毎食後
・ ホクナリンテープ(2)1枚 1日1回
風邪の9割がウイルスだから抗生剤出さないって学会などでは
言うけど(学会は医療費削減の立場もあるしなあ)・・やっぱ効かなかった場合のことを考えると、つい出してしまうのが人情。
手洗い場へ。ナースが後ろを通り過ぎる。
「看護婦さん。次の人は?」
「え?いませんよ」
ヒマな職場だ。外来を開け1時間経つが、まだ1人しか来てないとは。
医局へ戻ろう。病棟は午後からの回診でゆっくり診よう。
しかし階段を上がる途中、詰所の中の婦長に見つかった。
「あ、いた」
「ちっ・・」
何か用がありそうだったので、詰所へ。
「何かある?」
「転倒したんですよ」
「なんだよ。またか?誰が?」
「88歳のおじいちゃんです」
「個人名で言えよ!」
「・・浜田さん」
「出血は?」
「・・どうだったかな?」
「人事かよ、まったく・・」
僕らは廊下を歩いて大部屋に入った。
部屋ではヘルパーさんたちがオムツの交換中だ。
ものすごい臭気が襲う。
患者は脳梗塞の後遺症で寝たきり。食事は介助。
自分から動いて転倒したとは思えないんだが・・。
外傷はなし。
「どこで転倒したの?」
「さあ。深夜の者から聞いたもので」
「なに?じゃあ夜間帯に転倒を?」
「でしょうかねえ」
「今、朝の十時だぞ?十時!」
「はあ」
「それで今になって報告かよ?」
「先生、朝早く病棟に来ないし」
「そういう問題なのかよ?せめて当直医に・・」
「当直医にねえ。はあはあ。でも夜中に起こしたら機嫌悪いし」
「いいのかよ?それで!」
埒が開かないので、いったん詰所へ。
「どこを打ったとかの記載もないじゃないか?」
看護記録には「夜間転倒。声かけには応答」とあるだけ。
「このときの担当に連絡しよう!婦長、頼む」
「え?夜勤の方は、今は自宅で・・」
「それがどうした?」
「お休みなのに、いいんですか?」
「あのな・・」
連絡したが、留守。
「仕方ない。せめて頭部は確認しよう。頭部レントゲン2方向と、頭部単純CT。CTは骨条件も」
結局このあと骨盤、胸部、腹部のレントゲンも撮った。だがいずれも所見なし。
だがこういう事故があった以上、家族には伝えておかないとな。
「家族の電話番号はと・・外線、使うぞ」
電話で出たのは患者の長男の・・・嫁。
「何でしょうか」
「山の上病院です。長男さんは」
「何でしょうか」
「え?その、長男さんを」
「主人はいますけど。何ですか?」
カルテではキーパーソンは長男とあるのだが。
※ 治療内容は当時のではなく、2005年現在の内容を意識し改変を行っています。
患者が1人来たということで、呼ばれたのだ。
当院にとっては「貴重な」症例だ。
「問診表では・・・咳がしつこい、とある。熱は37.2℃。既往歴なし、薬アレルギーなし、か。入って!」
さっきまでいたナースがもういない。よく見ると向こうでダベッている。
仕方なく、自分で呼びに。20代の女性。
「どうぞ」
マスクをした女性がゴホゴホ言いながら座る。診察室に入ったとたん咳がひどくなるのを
よく見るが、これは交感神経が過度に緊張するからだろう。
「咳がひどいようですね」
「これが止まらなくて・・」
「いつから?」
「2日前かな・・」
「小さいのはもっと前から?」患者は聞かれると反射的に過少報告するところがある。
遠慮なのだろうが、ここは詳しく聞きたい。
「そうですね。1週間前からちょくちょくしたのはありましたが」
「・・周りははやってます?」
「周り?」
「職場とか、家族とかで同じ症状の人が多いとか」
「けっこう多いですね」風邪はただでさえも移りやすいが、インフルエンザ・マイコプラズマ系統は特にその傾向が強い。
「さて、あと・・何か薬を?」
「市販のやつ、飲みました」たまに病院の薬を飲んでる場合がある。そのときは内容を聞いておかないと、同じものを出してしまうことにもなりかねない。
「効いてないわけですね。熱はそれで少し下がったのかもしれないし」
高熱ではないようだがあくまでも今での話。市販薬で“修飾”されているかもしれないし、
夜間になって上がってくるのかも。
「あとは・・下痢は?」
「全然」
感冒性胃腸炎も来たしてないか注意。
じゃ、問診はこれくらいにして。
ペンライトを点灯し、口へ。
「はい、アーンして」
咽頭発赤は軽度。真っ赤っ赤というわけではないな。
頸部リンパ節は・・・両手の指で、首の両側をグリグリ・・耳下腺・・顎下腺、と。
あんまり、よう分からん。
胸部の聴診は・・まあ若いし、肺炎ってことはないと思うが・・。いやいやしかし。
酸素飽和度は96%。まあまあ正常だ。95%以下は異常と自分は解釈する。
「すみませんが、胸の音を」
ナースが無言で背後に回り、おもむろに服をまくり上げた。
「おい!いきなりすんなよ!」
ブラはそのまま、前胸部と胸の両側を聴診。
「はい、後ろ向いて」
上から順番に、両側を3回ずつ聴診・・って、別に決まってないよ。
でも下部ほど耳は澄まして。吸気時のラ音、呼気時の喘鳴に注意。
まあ、何も聞こえんよな。そうだよな。
僕は何パーセントだろうか?こっそり当ててみる。
97%。もうちょっと上かと思ったが。
でも咳がひどいな。酸素飽和度、やっぱ気になるな。
とにかく、この患者さん・・肺炎の有無を調べないと。
「レントゲンを撮りましょう」
問診表には妊娠は・・なし。
「看護婦さん、胸部レントゲンを2方向で」
「へいへい」
「採血もして、点滴しながら待ちましょうか」
「あのう・・」
女性はもじもじしていた。
「はい?」
「お金、けっこうかかりますか・・?」
「そそ、そうですね・・」
「できれば必要最小限でお願いしたいのですが」
「うーん・・?」
「できれば薬だけで・・」
「そ、そうなんですか・・」
そうだな。採血とかけっこうかかるしな。
じゃ、こうするか。
「家・・近所?」
「すぐそこです」
「じゃあ、調子悪いなと思ったら、すぐに来てね」
「ええ」
「飲み薬だけにしておきます」
「どうも。そのほうが」
笑顔が見られた。
「じゃあ3日分・・」
「仕事でなかなか来れないので、できれば7日くらい・・」
「7日も?」
「ダメでしょうか?」
いくら都合で来れないにしても、効かなかった場合のことを考えると・・。
「5日ならなんとか」
「ではそれで」
「うがい薬は?」
「緑茶でしてますが・・」
「あ、それでいいです。十分」
では、処方を書こう。おっと、その前に・・。
「すみません。仕事はどうしても行かれる?」
「休めないんです」
「車で出勤?」
「ええ」
「じゃ、眠気はないほうがいいですね」
「はい」
この時点で、PL顆粒(ホグス顆粒)はやめておく、と。
この人の訴えは、しつこい咳。けっこう流行してそう。
となると、マイコプラズマ系統がどうしても気になるな。
動物飼ってるかどうか聞けばよかったかな。
・ クラリス 2錠 分2 朝夕 食後
・ ダーゼン 3錠 分3 毎食後
・ ロキソニン 3錠 分3 毎食後
・ ムコスタ 3錠 分3 毎食後
・ ホクナリンテープ(2)1枚 1日1回
風邪の9割がウイルスだから抗生剤出さないって学会などでは
言うけど(学会は医療費削減の立場もあるしなあ)・・やっぱ効かなかった場合のことを考えると、つい出してしまうのが人情。
手洗い場へ。ナースが後ろを通り過ぎる。
「看護婦さん。次の人は?」
「え?いませんよ」
ヒマな職場だ。外来を開け1時間経つが、まだ1人しか来てないとは。
医局へ戻ろう。病棟は午後からの回診でゆっくり診よう。
しかし階段を上がる途中、詰所の中の婦長に見つかった。
「あ、いた」
「ちっ・・」
何か用がありそうだったので、詰所へ。
「何かある?」
「転倒したんですよ」
「なんだよ。またか?誰が?」
「88歳のおじいちゃんです」
「個人名で言えよ!」
「・・浜田さん」
「出血は?」
「・・どうだったかな?」
「人事かよ、まったく・・」
僕らは廊下を歩いて大部屋に入った。
部屋ではヘルパーさんたちがオムツの交換中だ。
ものすごい臭気が襲う。
患者は脳梗塞の後遺症で寝たきり。食事は介助。
自分から動いて転倒したとは思えないんだが・・。
外傷はなし。
「どこで転倒したの?」
「さあ。深夜の者から聞いたもので」
「なに?じゃあ夜間帯に転倒を?」
「でしょうかねえ」
「今、朝の十時だぞ?十時!」
「はあ」
「それで今になって報告かよ?」
「先生、朝早く病棟に来ないし」
「そういう問題なのかよ?せめて当直医に・・」
「当直医にねえ。はあはあ。でも夜中に起こしたら機嫌悪いし」
「いいのかよ?それで!」
埒が開かないので、いったん詰所へ。
「どこを打ったとかの記載もないじゃないか?」
看護記録には「夜間転倒。声かけには応答」とあるだけ。
「このときの担当に連絡しよう!婦長、頼む」
「え?夜勤の方は、今は自宅で・・」
「それがどうした?」
「お休みなのに、いいんですか?」
「あのな・・」
連絡したが、留守。
「仕方ない。せめて頭部は確認しよう。頭部レントゲン2方向と、頭部単純CT。CTは骨条件も」
結局このあと骨盤、胸部、腹部のレントゲンも撮った。だがいずれも所見なし。
だがこういう事故があった以上、家族には伝えておかないとな。
「家族の電話番号はと・・外線、使うぞ」
電話で出たのは患者の長男の・・・嫁。
「何でしょうか」
「山の上病院です。長男さんは」
「何でしょうか」
「え?その、長男さんを」
「主人はいますけど。何ですか?」
カルテではキーパーソンは長男とあるのだが。
※ 治療内容は当時のではなく、2005年現在の内容を意識し改変を行っています。
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