プライベート・ナイやん 1-2 健忘
2005年1月7日続き、といきたいところだが・・。ちょっと中断。
2003年(当ブログの『レジデント』初回場面に戻る)。
僕はバー「アカンティ」のトイレからやっと出てきた。
カウンターでは、ある病院の事務長が座っている。
「下痢ですか」
「便秘かも」
「は・・」
僕は腰掛け、飲みかけだった酒をちびちび飲みだした。
「こうしてちびちび飲んでいたら、つい・・」
「は?」
「あの頃を思い出した」
「あの頃・・バブリーな頃?」
「もっと以前の話」
「私は先生の以前の職場の出来事は、あまりよく知りませんが・・」
「あのとき、僕は医者4年目だった」
「また始まったな」
「何か?」
「いえいえ、どうぞ」
「僕にとって、ターニングポイントとなった時期だ」
彼は、ふと眉をしかめた。
「ユウキ先生。先生が飛ばされた山の上病院・・あそこは確か・・」
「国営から民間になったとこだよ。一般外来、療養病棟しかない」
「終わってますね」
「話はこれからだぞ」
「え、ええ」
「それにしてもヒマな病院だった」
「いいじゃないですか。そういう時期もたまにはあっても・・」
「いや、それが・・」
「?」
「そうでもなかったんだ」
彼は興味深そうに覗き込んだ。
「先生。たしかそこで・・職員の家族の介護をされたと以前・・」
「そう話したな」
「ヒマな病院だといっても・・」
「ああ」
「次第に地獄と化した生活というのは・・」
「そうだ。あれでもう最後にしたい」
ポンポポン・・・・ポンポポン・・・
また太鼓の音が聞こえてきた。
「ユウキ先生?どど、どうしたんですか?」
「(意識レベルダウン中)」
ポンポポン・・・・ポンポポン・・・
1997年・・・
ど田舎の山の中腹にある、山の上病院・・・。
老朽化して今にも潰れそうな病院は、すでに国から切り離されていた。
建て直しの面倒を見てくれるとこもない。
昔にタイムスリップしたような世界だ。
レコード店にはカラオケのテープくらいしか売っていない。
有線で流れるSPEEDの「WAKE ME UP!」が浮いて聞こえる。
人口わずか数千人のこの町は、まだ目覚めていない。
そ、そうだ。話を戻そう。
僕は閑散とした外来に腰掛けていた。
???
待て待て、その話はもう済んだ。外来で1人診て、
療養病棟に行って・・。その後の話からだ。
大丈夫か?
そうそう、ここからだ。
カルテではキーパーソンは長男とあるのだが。
「本人さんが転倒されたようで」
「え?大丈夫なんですか?」
「外傷はないようです。レントゲンなどで確認した範囲では目立った骨折なども見当たらないようですが」
「はあ」
「とりあえず報告をと思いまして」
「お願いしますよ。病院に安心して預けてるんですから」
「・・・・」
「主人に代わります」
やっとかよ。しかし嫁の権力は強いなぁ・・・。
「もしもし。ああ先生!」
「転倒されたんです」
「いつもお世話になります」
「どういう経緯かは不明なのですが・・二度とないよう職員と対策を話し合います」
「これはわざわざどうも!」
農作業が忙しいということで、来院はしないという結論だった。
「婦長さん。どうしてそうなったのか、ちゃんとハッキリさせてよ!」
「また今度聞いておきます!」
結局は目撃者はおらず、各人の意見も食い違ったりで、いつ・なぜそうなったなどの
話にすらもっていけなかった。
さて、また外来に呼ばれた。また風邪だという。
70歳男性。老人保健施設からの紹介だ。車椅子でぐったりしている。
「ここ4日、食欲がなくて熱もあり点滴などしてきましたがいっこうによくならず・・」
「もとは脳梗塞があるんですか。食事は・・」
「介助ですが」
「むせるようなことは」
「さあそれは・・私は担当ではないので」
「あっそ・・記録では38度台がバンバン出てますね」
週に2回の出張医師による指示で、セフェム系抗生剤の点滴が3日間。だが効いてないようだ。
「SpO2の測定は・・」
「測定してません」
「肺炎かもしれないのに・・」
「測定の機械がないもので」
「マジ・・?」
今測定すると・・87%?だがきちんと測定できないようだ。手を触ると冷たい。循環が悪いのだ。
「動脈血を取るから。看護婦さん!通常の採血も取る!」
pH 7.34 , pO2 64mmHg , PCO2 32mmHg。
「酸素吸入、経鼻で2リットルを。ポタコールR 500mlでルート確保して、胸部レントゲン・それから胸部単純CTを」
「ほかは?」
「そうだな。頭部の単純CTも」
「あたま?」
「ひょっとして脳卒中があって、それがキッカケだったらいけないだろ?」
「はあ・・」
どうやら分かってないようだ。
頭部CT画像では脳に出血はない。骨折もないな。いちおう気になる。
胸部レントゲン・CTでは右の下肺に広汎な肺炎像。教科書どおり、
(誤嚥性肺炎なら)好発部位だ。
採血の結果が出た。白血球8600 , CRP 13.8mg/dl。
抗生剤は何にするかな。
白血球が増えてない・・のは、まあ老人だから上がってないのかも。
ガイドラインとかに機械的にあてはめてマクロライドなどを選択する
ような安易なことは慎もう。
グラム染色は当然、当院ではできない。コストがかかりすぎる。
当院では外来を含めて高齢者が中心で、そのため免疫系が基本的に
低下している人がほとんどだ。この場合好んで使われるのがセフェム4世代の
抗生剤だ。
「ファーストシン1g+生食100mlを、1日2回で点滴」
あとは、指示を・・
「絶食で。輸液は末梢持続、?ポタコールR 500、?ソリタT3 500・・各6時間で」
「SpO2 95以下ならO2 1リットルずつ増量。3リットルからはマスクで」
「38℃以上は静脈血液培養を1回お願い。座薬は使用せず、クーリング(冷却)のみで」
高齢で末梢の循環不全があると座薬で増悪することもありうるのでこういう指示で。
「次の採血は3日後。CBCとその分画、CRPを。胸部レントゲンも」
抗生剤の効果判定は3日後が目安。重症なら1・2日後もありうるが。
「これでよしと。家族を呼んでおいて」
「あの、先生・・」
ナースが睨んだ。
「何だよ?」
「いつの間にか、入院ってなってるんだけど」
「ああごめん。そうだよ。悪い悪い」
「ベッド、空いてないんだけど」
「ひえっ?」
「おまけにうち、療養だし」
「はは・・いっけねえ。艦長時代の、いや、一般病棟のときの癖が出ちまった。あっはは・・」
誰も笑わない。
結局、近医へ紹介。紹介状も書くなど、かなりの雑務を要した。
トホホのホ。
それからそれから?
2003年(当ブログの『レジデント』初回場面に戻る)。
僕はバー「アカンティ」のトイレからやっと出てきた。
カウンターでは、ある病院の事務長が座っている。
「下痢ですか」
「便秘かも」
「は・・」
僕は腰掛け、飲みかけだった酒をちびちび飲みだした。
「こうしてちびちび飲んでいたら、つい・・」
「は?」
「あの頃を思い出した」
「あの頃・・バブリーな頃?」
「もっと以前の話」
「私は先生の以前の職場の出来事は、あまりよく知りませんが・・」
「あのとき、僕は医者4年目だった」
「また始まったな」
「何か?」
「いえいえ、どうぞ」
「僕にとって、ターニングポイントとなった時期だ」
彼は、ふと眉をしかめた。
「ユウキ先生。先生が飛ばされた山の上病院・・あそこは確か・・」
「国営から民間になったとこだよ。一般外来、療養病棟しかない」
「終わってますね」
「話はこれからだぞ」
「え、ええ」
「それにしてもヒマな病院だった」
「いいじゃないですか。そういう時期もたまにはあっても・・」
「いや、それが・・」
「?」
「そうでもなかったんだ」
彼は興味深そうに覗き込んだ。
「先生。たしかそこで・・職員の家族の介護をされたと以前・・」
「そう話したな」
「ヒマな病院だといっても・・」
「ああ」
「次第に地獄と化した生活というのは・・」
「そうだ。あれでもう最後にしたい」
ポンポポン・・・・ポンポポン・・・
また太鼓の音が聞こえてきた。
「ユウキ先生?どど、どうしたんですか?」
「(意識レベルダウン中)」
ポンポポン・・・・ポンポポン・・・
1997年・・・
ど田舎の山の中腹にある、山の上病院・・・。
老朽化して今にも潰れそうな病院は、すでに国から切り離されていた。
建て直しの面倒を見てくれるとこもない。
昔にタイムスリップしたような世界だ。
レコード店にはカラオケのテープくらいしか売っていない。
有線で流れるSPEEDの「WAKE ME UP!」が浮いて聞こえる。
人口わずか数千人のこの町は、まだ目覚めていない。
そ、そうだ。話を戻そう。
僕は閑散とした外来に腰掛けていた。
???
待て待て、その話はもう済んだ。外来で1人診て、
療養病棟に行って・・。その後の話からだ。
大丈夫か?
そうそう、ここからだ。
カルテではキーパーソンは長男とあるのだが。
「本人さんが転倒されたようで」
「え?大丈夫なんですか?」
「外傷はないようです。レントゲンなどで確認した範囲では目立った骨折なども見当たらないようですが」
「はあ」
「とりあえず報告をと思いまして」
「お願いしますよ。病院に安心して預けてるんですから」
「・・・・」
「主人に代わります」
やっとかよ。しかし嫁の権力は強いなぁ・・・。
「もしもし。ああ先生!」
「転倒されたんです」
「いつもお世話になります」
「どういう経緯かは不明なのですが・・二度とないよう職員と対策を話し合います」
「これはわざわざどうも!」
農作業が忙しいということで、来院はしないという結論だった。
「婦長さん。どうしてそうなったのか、ちゃんとハッキリさせてよ!」
「また今度聞いておきます!」
結局は目撃者はおらず、各人の意見も食い違ったりで、いつ・なぜそうなったなどの
話にすらもっていけなかった。
さて、また外来に呼ばれた。また風邪だという。
70歳男性。老人保健施設からの紹介だ。車椅子でぐったりしている。
「ここ4日、食欲がなくて熱もあり点滴などしてきましたがいっこうによくならず・・」
「もとは脳梗塞があるんですか。食事は・・」
「介助ですが」
「むせるようなことは」
「さあそれは・・私は担当ではないので」
「あっそ・・記録では38度台がバンバン出てますね」
週に2回の出張医師による指示で、セフェム系抗生剤の点滴が3日間。だが効いてないようだ。
「SpO2の測定は・・」
「測定してません」
「肺炎かもしれないのに・・」
「測定の機械がないもので」
「マジ・・?」
今測定すると・・87%?だがきちんと測定できないようだ。手を触ると冷たい。循環が悪いのだ。
「動脈血を取るから。看護婦さん!通常の採血も取る!」
pH 7.34 , pO2 64mmHg , PCO2 32mmHg。
「酸素吸入、経鼻で2リットルを。ポタコールR 500mlでルート確保して、胸部レントゲン・それから胸部単純CTを」
「ほかは?」
「そうだな。頭部の単純CTも」
「あたま?」
「ひょっとして脳卒中があって、それがキッカケだったらいけないだろ?」
「はあ・・」
どうやら分かってないようだ。
頭部CT画像では脳に出血はない。骨折もないな。いちおう気になる。
胸部レントゲン・CTでは右の下肺に広汎な肺炎像。教科書どおり、
(誤嚥性肺炎なら)好発部位だ。
採血の結果が出た。白血球8600 , CRP 13.8mg/dl。
抗生剤は何にするかな。
白血球が増えてない・・のは、まあ老人だから上がってないのかも。
ガイドラインとかに機械的にあてはめてマクロライドなどを選択する
ような安易なことは慎もう。
グラム染色は当然、当院ではできない。コストがかかりすぎる。
当院では外来を含めて高齢者が中心で、そのため免疫系が基本的に
低下している人がほとんどだ。この場合好んで使われるのがセフェム4世代の
抗生剤だ。
「ファーストシン1g+生食100mlを、1日2回で点滴」
あとは、指示を・・
「絶食で。輸液は末梢持続、?ポタコールR 500、?ソリタT3 500・・各6時間で」
「SpO2 95以下ならO2 1リットルずつ増量。3リットルからはマスクで」
「38℃以上は静脈血液培養を1回お願い。座薬は使用せず、クーリング(冷却)のみで」
高齢で末梢の循環不全があると座薬で増悪することもありうるのでこういう指示で。
「次の採血は3日後。CBCとその分画、CRPを。胸部レントゲンも」
抗生剤の効果判定は3日後が目安。重症なら1・2日後もありうるが。
「これでよしと。家族を呼んでおいて」
「あの、先生・・」
ナースが睨んだ。
「何だよ?」
「いつの間にか、入院ってなってるんだけど」
「ああごめん。そうだよ。悪い悪い」
「ベッド、空いてないんだけど」
「ひえっ?」
「おまけにうち、療養だし」
「はは・・いっけねえ。艦長時代の、いや、一般病棟のときの癖が出ちまった。あっはは・・」
誰も笑わない。
結局、近医へ紹介。紹介状も書くなど、かなりの雑務を要した。
トホホのホ。
それからそれから?
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