「む、胸が・・」
「胸が苦しいんですかあ?」
僕は超音波を持ってきた。腹部エコーしかとれないが、
これでやるしかない。心臓を無理やり観察。

さすが見にくいな・・。AMラジオとFMラジオの差だ。

「動きは問題なし、と・・心のう液の貯留もなし・・」

レントゲン室の電源がようやく入ったようだ。胸部レントゲン、
腹部レントゲンも。胸部CTも追加。

検査待ちの間、医局へ。

やはりみんな、揃ってる。みなパソコン画面と格闘中だ。
僕だけが持ってない。

「妊娠だったんだって?」
須川先生が声をかけた。
「そうでした。国営のときの検査キットが余っててよかった・・」
「一番おい、基本的な内容だぞ?」
「え、ええ」
「妊娠の可能性があるかどうか。そんなの、問診の段階で聞いとけ!」
「はい。問診の段階でも確実ではなくて・・」
「まあそうだろな。俺も学生のときはヒヤヒヤしたもんだ」
「?」
「今日は安全なのかどうか、ちゃんと彼女とインフォームドコンセントを
とったわけだ」
「・・・」
「そして後になってからだぞ。『たぶん安全日』だと。たぶんって何だ?たぶんって!」
「じ、自分はそれに関してはなんとも・・」
「で、結局デキたわけだ。その女性が今のワイフだということだ」
「そ、そうなんですか・・」

居場所がなく、病棟へ。相変わらず詰所内は誰もいない。
というか、おむつの交換にみな追われているようだ。
廊下にはシーツや汚物などが大量に置かれている。

僕の提案した「ボード」には、僕宛の申し送り内容が。

『胃チューブ、入りません。交換お願いします』
『家族の方が病状を聞きたいと』
『リハビリ中に転倒』
『○○さんが、たまには来てほしいと』

1つずつ実行し、詰所近くの談話室へ。
難聴のおばあさん「ハマ」さんはいつもここにいる。
背が低く腰が曲がり赤ら顔。やはり僧房弁膜症がある。
MR(閉鎖不全)のほうで、左心房はどんどん拡大傾向。
うちのプアな(貧弱な)超音波でも、左心房は8センチと
計測可能。血栓像は見当たらないが、かなり淀んでるはずだ。

「ハマさん。こんにちは」
『・・・・』
彼女はこっちを見ているが、かなりの難聴だ。反応はない。
痴呆は軽度。問題行動はなし。杖での独歩。
可愛そうなことに、家族は他人同然で行き場がない。

今の僕と重なるところもあり、僕の訪問回数も比較的多かった。

「ハマさん。今度カラオケ大会があるね・からおけたいかい(大声)!」
『・・・ちょっと』
彼女は僕を手招きした。
「え?何?」
『ええからええから・・』

僕は思いっきり顔を近づけた。

『ぱっ!』
「うわ!」
彼女は勢い余ったのか、いきなり唾を吐き出した。
『ぱは・・ばばあはみみが遠いでんねん。でも・・』
「で、でも?」
『いまの声はばあでも聞こえた』
「そうか。よかった」
『あに?』
「そうか!よかった!(大声)」
『何が?』
「・・・声が聞こえたのが(大声)!」
『こえ・・・誰の?』
「ぼく!」
『ぼく・・・せんせい?』

彼女は不思議そうに僕を指差した。

「そうです!」
『せんせい・・・を歌うの?』
「え?」

そう来たか。すごいなこの人。

「すごいね!ばあさん!いやいや、ハマさん!」
『?』
「先生っていう歌ありますよね!(大声)もりまさこ!」
『・・・ああ・・』
「うんうん」
『それ・・・』
「え?」
『だれ?』

 まだ僕の対応は下手なようだ。ポケベルが振動してる。
たぶん検査結果が揃ったんだ。

「じゃあちょっと行って来ます!」
『わしな・・。あのな。歌・・下手やねん』
「そんなことないない!上手上手!」
『なして・・?まだ・・・歌ったことないのに』

確かにそうだ。

「期待してますよ!じゃあ」
『だから!歌わんっちゅうてるのに!』
ハマさんの顔が少し攻撃的になった。
「できたらお願い!」
会話をスムーズに終わらすべく、僕はゴマをすりはじめた。

『先生。わたしのびょうきは何なんですか?』
「それはこの前・・」

もう7回は説明した。またポケベル鳴ってるので、ここで失敬・・。
「すみません!では!」
『言うたらいかんびょうきなんやろか?』
「そ、そうじゃないですって!」
『じゃあ、なんで言うてくれんの?』

おむつ交換中のヘルパーさんが出てきた。
「ハマさんよ。今のうちにしっかり聞いておきいよ!」
『先生が、なんかなんか、かくしとんねん!』
「呼び出しがあってね!ごめん!」
『わしも呼び出しとんのに!先生!』
「は、はい!」
『いつも、ありがとうございます』
彼女はいつもこうして頭を下げてくれていた。

外来ではフィルムが揃っていた。採血結果は例により外注。デキスター
(血糖)は幸い測定器がある。90mg/dl。正常。
胸部レントゲンでは・・気胸はないし、コンソリデーション(浸潤影)
もない。というか、『明らかなもの』なし。相変わらず見苦しい写真だ。
腹部レントゲンもフリーエアなし。CTもあくまで大まかだ。どれどれ、
胸部CTも・・・これもこれといったものは・・。

頻脈があることくらいしか分からないな。虚血は不明。超音波では心筋梗塞ではないことは確か。狭心症が否定できないのがなあ・・。スッキリしない。

事務からメガネ事務長が入ってきた。
「ご苦労さまです!ユウキ先生。院内旅行のパンフレットができ・・あ!」
彼は立ち止まった。患者の顔で何かわかったようだ。
「どうしたんだ?」
事務長は薄目の患者に向かってかがんだ。

なにやらぶつぶつ話し込んでいる。知り合いなのだろう。
メガネ事務長は顔を上げた。

「先生。彼、不安神経症で通院中で」
「そうなんですか」
「僕の行きつけの飲み屋で働いてる人がいて」
「あ、そこのスタッフ?」
「いえ。その知り合いです。合コンが縁で」
「合コン?男と合コンを?」
「いえ。合コンにもいろいろありまして」
「はあ・・」
「薬を切らしてたようですね」
「そうか。僕らも『心臓神経症』の診断で経験が」
「何か薬を出してほしいと」
「最近はあれ、SSRIが出たんだよね?パキシルとか」

我に返った。うちにあるはずがない。うちにあるのは
もう必要最低限の薬だけだ。

僕は院内のくすり一覧を見た。
「あいうえお順か・・。薬効別のやつ、作ってよ!」
ナースは無表情のまま数人で固まっていた。
「これを出そう。ソラナックス!」
かろうじで処方できるのがあって、よかった。

僕は処方箋とカルテに両方記入した。

やがてナースが戻ってきた。
「では飲んでもらいます」
「うん。落ち着いたら心電図はもう1回とっておいて。
確認はいちおうしときたい」
「はい・・・アタPとかの注射は?」
「せんよ、そんなの!眠っちゃうよ!」
「ソラナックスも眠くなることあるし」
「ま、そうだけどさ・・」

こういう危険なアドバイスをする迷惑ナースが時々いる。
レジデントたちは要注意だ。

1時間後、患者は落ち着いた。心電図も異常なかった。
37℃の熱があったので、もう1度受診はしてもらうことに。

その日はふつうに帰ることができた。
だが官舎の玄関の手前、近所の駄菓子屋のばあさんが散歩していた。
この前は期限切れのものなんか売りやがって!

ただでおくものか!

「おいしかったかい?」
「うん」

反射的に子供に。

これも若さか・・。

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