『もしもし先生。今よろしいでしょうか。詰所です』
「なに?」
『さきほど点滴の指示を頂きました、患者さんですが』
「鼻からチューブ入れてたけど、嘔吐した人?」
『そうです』
「レントゲンで見たら、チューブの位置がちと浅かった。途中で抜けたみたいだぞ」
『さあ、それは私は・・担当でもないので』
「で?なに?」
『点滴を確保して間もなく、高熱が』
「誤嚥したのかな・・」
『40℃あります』
「なに?それは高すぎる!」
『神谷副院長にレントゲンは見ていただいたのですが、異常はないと』
「・・あの先生の読影だからな・・」
『?』
「ああ何でもない!うわ!」
『先生?なにを?』
「あとでかける!」

僕は芝生の上を猛ダッシュしていた。玉は何度もバウンドして、手前で止まった。
それを拾い、思いっきり振りかぶって・・。

ダメだ。また間に合わなかった。ランナーは2塁でストップ。その間に1人生還。

そう、ここは小学校のグラウンドだ。土曜日、貸切で行われている硬式野球。
病院のスタッフに対するは・・老人ホームのスタッフチームだ。

年に4回行われる試合のために、スタッフたちは命がけで猛特訓を積んでいたらしい。
先日僕に誘いをかけた事務長の「出るだけでいいから」には騙された。

だがもう遅い。僕はセンターに配属。レフト・ライトが両側から挟みこむようにガードしてくれてはいたが・・。

「ほうれ、センターセンター!センター狙え!センター!」
野次馬たちが1塁側ベンチからざわめく。中には主婦たちの姿も。
いつも通りで優しく挨拶する人たちが、僕を目の敵のように・・。
「ヘナチョコセンター!オカチメンコ!」

オカチメンコ?何のことだ?岡地・面子・・。違うな。

センター狙え、か・・。昨年の大学でも「センター狙い」があったようだ。
野中のコベンが有力だったらしいが、直前になって野中が名乗り出たという。
あいつらしい。まあ大学よりはここのほうが平和でいいな。精神的にも落ち着くし・・。

「おいユウキ!浅いフライが来ても、セカンドがバックするから。無理すんな!」
須川先生が3塁側から叫んだ。セカンドは何度も後ろを気にしている。

落ち着かんな。

相手チームは三振し、僕らはベンチへ戻った。

回   1 2 3 4 5 6 7 
僕ら  0 0 2 1
相手  3 2 4 1

自称インストラクターという、見たことのない頑固じじいが迎えた。
「おい、お前」
いきなりお前、かよ。
「肩が弱い。脱臼でもしとんか?」
「え?いや」
「フライは無視せえ。他の奴が取る。だがライナーの場合な。取ろうとはするな。
体でぶつかれ!」
「うーん・・」
「どうした?玉が怖いのか?」

これはイジメか?じいのほうが怖い。

「怖くないです」
「よおし!では・・あのファールグラウンドで特訓じゃ!ほら!」
彼は僕を押し出し、じい自らグラブを握った。
「勉強ばっかりしとるから、体が固いんかの?わはは」
といいつつ、彼は股の下からいきなりボールを投げつけた。
「おわ?」

意表をつかれ、僕はトンネルした。

「ボールはな!いつ来るかわからん!」
「・・・」
「病院でもそうだろうが!急患はいつ来るかわからん!」
「そ、それもそうだな・・」
「常にどんなことにでも対処できるように!ほら!」
「くっ!」
「それが本物の、エキスパートっちゅうわけや!」

こ、これはスカポン、いやスポコンマンガか?
何度も球を体に当てられた。一方で試合は白熱。
何点かまた入ったようだ。

メガネ事務長がやってきた。
「言い忘れてました。この試合に負けたら、今日の打ち上げはこちらの驕りになります」
「おごり?」
「ええ。ドクターの負担は多めになりますが」
「な、なして?」
「そりゃ・・給料が私たちより多いから」
「このスコアじゃ、負けるだろ?」
「でも野球は分かりませんよ。もうすぐラッキーセブンですし」
「でもボードは7回までしか!」
「あ、そうか」

なにが『あ、そうか』だ!スカタン!

僕は詰所へ連絡した。
「すまない、さっきのつづき。抗生剤をいこうと思うが・・」
「何にしましょうか」

だが、肺炎以外にも疑いはあった。点滴ルート入れて、即高熱っていうのも
何か意味がありそうだ。末梢ルートから菌が入った可能性も。詰所で指摘して
騒がれたことあったから内緒だが。ならブドウ球菌をターゲットに。

「ペントシリンのゾロで。2グラムと生食100ml、それを8時間ごとで」
「はい」

最初ここへ来たときはわずかな事でも騒ぎ立てたものだが、最近はすこし
あきらめモードも入っているようだった。先輩方が言ってた通りだな。
年数が経つにつれて、妥協を許すようになる。許さない人間は自分から
潰れていく、ってことか。

ま、明るく考えよう。

「先生!バッター!」
またか。3打席目。1打席はキャッチャーフライ。2打席目は三振。

打席に立った。なんともいえない雰囲気だ。真剣勝負そのもの。
ピッチャーは老人ホームスタッフのケンさんで、あだ名は「アパッチ25」だ。
田舎なのか、発想自体が古い。

アパッチはガムを噛みながらうなずき、ふりかぶった。
「おらあ!」
なんで叫ぶんだ?

速球がいきなりズドン!と、ど真ん中に打ち込まれた。
審判の老人(英語の先生)が一息おいて、エクスタシーっぽくのけぞった。
「スットラ〜ッイックゥ〜〜〜〜!」

また野次馬たちがざわめき始めた。
「あ、あれは打たないといかん!」
「ああ、あかんわ!ど真ん中!」
「これはいかん!」
「三振やな」

「お、おのれ・・」
つ、次は・・・どうやら次もど真ん中か?

彼は何度もボールをグラブに叩きつけ、サインを待った。
また不気味にうなずく。

夢中でバットを振ったが・・。
ズドン!またど真ん中だ。

「スットラ〜ッイック、ツゥ〜〜〜〜ンナ!」
最後の「ンナ」が英語らしい発音だ。さすが英語の先生。

くそう。また三振か。だがさっきの大降りでは、ど真ん中でも
外してしまう。バットを短めに持って、と。
「おっと!」
思わず左手にバットが渡り、ピッチャー側に引っ張られるようにつかんだ。

「ほお?やんのか?」
ピッチャーは力んだ。どうやら「先制」の格好に見えたようだ。

♪違う違う、そうじゃない。

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