プライベート・ナイやん 1-11 よい旅を!
2005年1月18日療養病棟の回診。神谷副院長が婦長を従え、
それ以外のオマケは後ろに続く。
基本的に治療向けの病棟ではないが、中には肺炎、
尿路感染を起こしたりで時折治療を要する人が多い。
あと、褥創。寝たきりでは体位変換を頻回にしないと
床ずれが発生しやすい。理想的には2時間おきの体位変換が
必要だが、民間で人手がないところとなると、3時間が精一杯
であることも多い。
僕らも、こういった業務の改善には口を挟みにくい。
「・・・この前の患者だな。ユウキ先生のな」
野球のときにコールがあった患者だ。脳梗塞後遺症でリハビリ
目的で紹介入院。鼻からのチューブで流動食。しかし入院
しょっぱなから熱発。呼吸音が喘息ぎみであやしいことはあやしかった。
「ふむ。呼吸音からすると・・喘息か?」
「誤嚥性の肺炎による音かと」
「?」
神谷副院長はさっぱり、といった表情だ。頭が固すぎて、自分に理解できない
ことはもはや受け入れられない。最近まで開業医だったから仕方ないが。
「鼻からチューブが入っているのに・・・嘔吐したのは?」
「え?」
「流動食が、このチューブ通して胃に入ってるんだろ?」
「そうです」
「なら・・チューブ通して逆流するだろ」
「それでも嘔吐もすることあります」
「消化管の蠕動が悪いのでは?」
「ガスモチンは入れてました」
「そこまで聞いとらん!」
彼は機嫌が悪くなり、僕のカルテをめくりはじめた。
「わしが座薬を処方して、とりあえず熱は下がった」
「・・・」
「なに。そのあと血圧が落ちたのか。頻脈で・・」
「・・・」
「敗血症か?コールド・ショック?」
「座薬の副作用かと・・」
「胃潰瘍か?」
こいつ、マジか?もう少し謙虚ならいいんだが。
目覚めろ!
「ユウキ先生。君は前の病院で一般病棟ばかりやてった。
それは分かるが、あまりここで徹底した治療はできん」
「え、ええ。必要最小限で」
「わしも村長からときどき絞られるのだ」
「・・・」
「みんなもわかったな。医療費がかかりそうなら、手っ取り早く
他院へ紹介するのだ」
みんな、しげしげと頷いた。
「では、次・・ユウキ先生。あとでわしの部屋へ」
「はい」
「さ、回るぞ」
このようにして、ねちっこい回診は3時間余りも要した。
僕は副院長の部屋に呼ばれた。
「かけたまえ」
「はい」
「ここに来て1年になるな」
「はい」
「君んとこの医局長がお見えになるが・・」
その時期が来たか。今は冬の2月。
大学人事(じんじ)に、みな敏感になる時期だ。
「君の希望は?」
「希望は・・ではオフレコで」
「ん。何だね」
「大学には戻りたくないです」
「本音か」
「ええ」
「じゃ、そのように報告を・・」
「ちょ、ちょっと!」
「それはせん。慌てるな」
「・・・」
「もう1年ここで、という希望だな?」
「ええ。お願いします」
ここの病院は平和で、居心地はよかった。今思えば、それがいけなかった。
一般論だが、ホント人間は楽なほう、楽なほうへと・・流される。
だが僕の脳細胞は日に日に死滅している。それも想像を絶する速度でだ。
ドアの外がノックされた。
「おや?もう来たな」
「え?あれは・・」
「医局長だ」
「え?もう?」
板垣医局長が入ってきた。1年ぶりだ。
「う〜さむいさむい。ユウキ先生!やってますか?」
「何をですか?」
僕は平然と答えた。
正直、この先生も嫌なんだ。クールだが、冷淡なクールさは。
「では私は、失礼をば・・」
副院長はおそるおそる出て行った。
僕と医局長が向かい合った。
「で・・どうかな」
「・・とは?」
「地域に根ざした診療はできてますか?」
「・・根ざしすぎて、困ってます」
「ほほう・・」
彼は何やらメモしている。
「副院長先生の話では、一般病棟での経験をここで生かしてるとか」
「イヤミですか、それ・・」
「とんでもない。それにしても、君・・・ちょっと口調が乱暴だね」
「改めます」
「まあ、人間関係とかいろいろストレスもあるんだろ・・さて」
きた。大学の上層部の人間はいつもこうやって話題を転換し本題に入る。
「わが医局のスタッフ不足は今後も続きそうだ」
「入局者、今年も少ないんですか」
「少ない。しかし・・この1年は、大変だった」
「・・・」
「大黒柱だった野中君を失って、その1学年下が2人辞めた」
「へえ・・」
「これからはおそらく、君ら含めた外の人間が、徐々に戻されることになるだろうね」
「す、すると自分も今年・・?」
「どうだ。大学へ戻ってチャンスを!」
「チャンス?なんの?」
「大学院へ入って、世界的に活躍するチャンスさ!」
「世界?」
「論文をバリバリ書いて、学生への指導も行うのさ!」
うまいこと言って誘惑するんだな、この人。
「そんな意欲はないかね?」
「うーん・・・・非常に嬉しいのですが」
「?」
「僕はやはり、地域に根ざしたほうが」
「根ははってはいかんよ。戻るときのために」
「でもはらないと、根ざすわけには」
わけの分からない理屈が出た。
医者を数年して思うが、僕も少し彼らに感染したのでは?と
思うときがある。だが彼らは耐性菌だ。僕はそうではない。
「耐性(がまん強さ)」がないから。
「わかった。考えておきましょう」
彼は立ち上がった。
「ユウキ先生。あまりこういった病院に慣れすぎると・・」
「?」
「覇気がなくなってしまいますよ」
「こういった病院」へ僕を送り込んだのは、あんたらじゃないか。
「では。ユウキ先生。人事の決定は後日知らせます」
「どうも先生、山奥までわざわざ」
「車で来たんだが・・ガソリンが少ないんだ。どこか近道を?」
「近道?そうですね・・では先生」
僕はカーテンを開けた。
「あの電灯の横をまっすぐ行って・・右折」
「ふむふむ。右折だね」
「そのまままっすぐ。道なり30分」
「広い道?」
「途中で狭窄がありますが」
「狭いんだね。はは、面白いこと言うよね」
「やがて解除されて、広い道へ出ます」
「ありがとう!」
彼が車に乗り込むまで、見送りに行った。
車は寒い風の中、走っていった。
僕は思い出した。そうだ。あの道は・・・そうだ!
「おーい!おーい!」
しかし車はどんどん消えていく。
「おーい!・・・しまった・・」
あの「狭窄」道は、がけ崩れで通行止めになっていたんだった。
「狭窄」ではなく、「完全閉塞」だ。
「ワイヤーが通れば、バルーンで拡げてステントを・・」
そういう問題ではなかった。
ともあれ医局長!よい旅を(GODSPEED)!
ゴッドスピード、グッドスピード、グッドスペル。
『ザ・ロック』より。
それ以外のオマケは後ろに続く。
基本的に治療向けの病棟ではないが、中には肺炎、
尿路感染を起こしたりで時折治療を要する人が多い。
あと、褥創。寝たきりでは体位変換を頻回にしないと
床ずれが発生しやすい。理想的には2時間おきの体位変換が
必要だが、民間で人手がないところとなると、3時間が精一杯
であることも多い。
僕らも、こういった業務の改善には口を挟みにくい。
「・・・この前の患者だな。ユウキ先生のな」
野球のときにコールがあった患者だ。脳梗塞後遺症でリハビリ
目的で紹介入院。鼻からのチューブで流動食。しかし入院
しょっぱなから熱発。呼吸音が喘息ぎみであやしいことはあやしかった。
「ふむ。呼吸音からすると・・喘息か?」
「誤嚥性の肺炎による音かと」
「?」
神谷副院長はさっぱり、といった表情だ。頭が固すぎて、自分に理解できない
ことはもはや受け入れられない。最近まで開業医だったから仕方ないが。
「鼻からチューブが入っているのに・・・嘔吐したのは?」
「え?」
「流動食が、このチューブ通して胃に入ってるんだろ?」
「そうです」
「なら・・チューブ通して逆流するだろ」
「それでも嘔吐もすることあります」
「消化管の蠕動が悪いのでは?」
「ガスモチンは入れてました」
「そこまで聞いとらん!」
彼は機嫌が悪くなり、僕のカルテをめくりはじめた。
「わしが座薬を処方して、とりあえず熱は下がった」
「・・・」
「なに。そのあと血圧が落ちたのか。頻脈で・・」
「・・・」
「敗血症か?コールド・ショック?」
「座薬の副作用かと・・」
「胃潰瘍か?」
こいつ、マジか?もう少し謙虚ならいいんだが。
目覚めろ!
「ユウキ先生。君は前の病院で一般病棟ばかりやてった。
それは分かるが、あまりここで徹底した治療はできん」
「え、ええ。必要最小限で」
「わしも村長からときどき絞られるのだ」
「・・・」
「みんなもわかったな。医療費がかかりそうなら、手っ取り早く
他院へ紹介するのだ」
みんな、しげしげと頷いた。
「では、次・・ユウキ先生。あとでわしの部屋へ」
「はい」
「さ、回るぞ」
このようにして、ねちっこい回診は3時間余りも要した。
僕は副院長の部屋に呼ばれた。
「かけたまえ」
「はい」
「ここに来て1年になるな」
「はい」
「君んとこの医局長がお見えになるが・・」
その時期が来たか。今は冬の2月。
大学人事(じんじ)に、みな敏感になる時期だ。
「君の希望は?」
「希望は・・ではオフレコで」
「ん。何だね」
「大学には戻りたくないです」
「本音か」
「ええ」
「じゃ、そのように報告を・・」
「ちょ、ちょっと!」
「それはせん。慌てるな」
「・・・」
「もう1年ここで、という希望だな?」
「ええ。お願いします」
ここの病院は平和で、居心地はよかった。今思えば、それがいけなかった。
一般論だが、ホント人間は楽なほう、楽なほうへと・・流される。
だが僕の脳細胞は日に日に死滅している。それも想像を絶する速度でだ。
ドアの外がノックされた。
「おや?もう来たな」
「え?あれは・・」
「医局長だ」
「え?もう?」
板垣医局長が入ってきた。1年ぶりだ。
「う〜さむいさむい。ユウキ先生!やってますか?」
「何をですか?」
僕は平然と答えた。
正直、この先生も嫌なんだ。クールだが、冷淡なクールさは。
「では私は、失礼をば・・」
副院長はおそるおそる出て行った。
僕と医局長が向かい合った。
「で・・どうかな」
「・・とは?」
「地域に根ざした診療はできてますか?」
「・・根ざしすぎて、困ってます」
「ほほう・・」
彼は何やらメモしている。
「副院長先生の話では、一般病棟での経験をここで生かしてるとか」
「イヤミですか、それ・・」
「とんでもない。それにしても、君・・・ちょっと口調が乱暴だね」
「改めます」
「まあ、人間関係とかいろいろストレスもあるんだろ・・さて」
きた。大学の上層部の人間はいつもこうやって話題を転換し本題に入る。
「わが医局のスタッフ不足は今後も続きそうだ」
「入局者、今年も少ないんですか」
「少ない。しかし・・この1年は、大変だった」
「・・・」
「大黒柱だった野中君を失って、その1学年下が2人辞めた」
「へえ・・」
「これからはおそらく、君ら含めた外の人間が、徐々に戻されることになるだろうね」
「す、すると自分も今年・・?」
「どうだ。大学へ戻ってチャンスを!」
「チャンス?なんの?」
「大学院へ入って、世界的に活躍するチャンスさ!」
「世界?」
「論文をバリバリ書いて、学生への指導も行うのさ!」
うまいこと言って誘惑するんだな、この人。
「そんな意欲はないかね?」
「うーん・・・・非常に嬉しいのですが」
「?」
「僕はやはり、地域に根ざしたほうが」
「根ははってはいかんよ。戻るときのために」
「でもはらないと、根ざすわけには」
わけの分からない理屈が出た。
医者を数年して思うが、僕も少し彼らに感染したのでは?と
思うときがある。だが彼らは耐性菌だ。僕はそうではない。
「耐性(がまん強さ)」がないから。
「わかった。考えておきましょう」
彼は立ち上がった。
「ユウキ先生。あまりこういった病院に慣れすぎると・・」
「?」
「覇気がなくなってしまいますよ」
「こういった病院」へ僕を送り込んだのは、あんたらじゃないか。
「では。ユウキ先生。人事の決定は後日知らせます」
「どうも先生、山奥までわざわざ」
「車で来たんだが・・ガソリンが少ないんだ。どこか近道を?」
「近道?そうですね・・では先生」
僕はカーテンを開けた。
「あの電灯の横をまっすぐ行って・・右折」
「ふむふむ。右折だね」
「そのまままっすぐ。道なり30分」
「広い道?」
「途中で狭窄がありますが」
「狭いんだね。はは、面白いこと言うよね」
「やがて解除されて、広い道へ出ます」
「ありがとう!」
彼が車に乗り込むまで、見送りに行った。
車は寒い風の中、走っていった。
僕は思い出した。そうだ。あの道は・・・そうだ!
「おーい!おーい!」
しかし車はどんどん消えていく。
「おーい!・・・しまった・・」
あの「狭窄」道は、がけ崩れで通行止めになっていたんだった。
「狭窄」ではなく、「完全閉塞」だ。
「ワイヤーが通れば、バルーンで拡げてステントを・・」
そういう問題ではなかった。
ともあれ医局長!よい旅を(GODSPEED)!
ゴッドスピード、グッドスピード、グッドスペル。
『ザ・ロック』より。
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