毎月末〜初めにかけて、病院の事務はレセプトの処理に追われる。
特に事務員たちは徹夜覚悟で締め切りに間に合わすべく
日夜奮闘している。

「ユウキ先生。病名をお願いします」
「外来の分ですね」
「今月の受診患者さんは、この7人」
「少ないなあ・・」
「いちおう、目を通してください」

目を通し、返却。

「ユウキ先生。BNPって何ですか・・?」
「知らない?心臓のホルモン検査みたいなの」
「けっこうされてるんですよね」
「いけないかい?高血圧や糖尿病がある人、肺気腫でも・・」
「まあそうなんですが。心臓の関連ってことは知ってたんで、『心不全』と
書いて出したんですけど」
「削られた?」
「全部バッサリ、ですよ。ですから今後は控え・・」
「『心不全』がマズかったんだよ。基礎疾患として『高血圧性心臓病』とか付けて、
その上に『慢性心不全の急性増悪』とかにすれば通るって聞いたよ」
「それ、だれから・・?」
「都会の病院の先生から」

メガネ事務長は賛同できなかった。
田舎者の典型で、古いやり方を好む人だ。新しいものには眉をひそめる。
老年の検査技師もやってきた。このじいさんも頭が固い。

「ユウキ先生な。ホルター心電図じゃが」
「ええ。病名はきちんと書きましたが・・」
「おんなじ患者に、ふた月連続してやってたじゃろ」
「・・そりゃ、そうですよ。治療前と治療後の判定に必要だし」
「これで4人目なんじゃよ。こういったのは目を付けられる」
「だから?」
「だから?・・・はっはは。監査が入ったらどうします?」

こんな患者もほとんど来ない病院に、監査なんて入らないって。

「必要だと思ったことは、やりますよ」
「わしは先生。困る。はっきり言って」
「?」
「先生にとっては、この病院は一時期的なものでしょう?」
技師と事務長は深刻そうに僕を見つめる。
もともと言いたかったことなのだろう。

「一時的?それは・・」
「あんたんとこ、だけとは限らんが、大学からの派遣医師は3年の勤務が
限界だろう?」
「・・確かにね。退職金が出てしまうまえに、っていうことらしいね」
「だがね先生。わしらはずっとこの病院を守っていかんといかんのじゃ」
「・・でも診療をするのは僕らだよ」
「上の先生に聞いてみましょうか?」

このイヤミな技師は、僕が最も苦手とする人間の典型だった。

事務長が追い討ちをかけた。

「ユウキ先生。真向かいの向井さんからですが」
「向かいの家の?」
「ええ。仕事とは関係ないのですが・・」
「?」
「夜遅くに車で出入りするエンジンの音がうるさいと」
「コンビ二に出かけたりするのが・・?」
「うん、まあ内容はともかく。なるべく夜9時以降は・・」
「9時以降が、僕の楽しみなのに」
「でも先生。ここは都会ではなくて、みな早朝から仕事があるんです」
「農作業に市場か。しかし、なんでこんな説教を・・」
「いいですか。伝えましたよ!」

一見過ごしやすそうな田舎町では、「出る杭は打たれる」宿命にある。

仕事も身が入らず、散髪屋へ。散髪屋は1時間かけて行ってたところがある。
というか、この村には怪しげな理髪店しかない。今回は車に乗ること自体が
めんどくさく、近所の理髪店で済ますことにした。

「ごめんください」
入ると、1席だけ空いてる。ていうか1席しかない。
誰もおらず・・。早々と、帰ることに。

だがそのとき、2階からトントン・・と階段を降りる音が。
「あ!待ってよ!」
頭にハチマキをしたおっさんが、白いステテコで降りてきた。
「ソファにかけといて!そこのマンガでも読むとか」
「は、はい」
なんか、捕まったような感じだ。

マンガ・・

『魔太郎がくる』『フータくん』『タイム・パトロールぼん』
『ザ・ゴリラ』『ブラック・エンジェルス』『けっこう仮面』

古いな。しかも、なんて取り合わせだ・・。
しかし意外と『魔太郎』が面白い。思わずのめりこんだ。
このストーリー、どうなるのか・・・?

「はい!はよここへ!」
「は?」
気がつくと、さっきのやせ細ったオヤジが貧乏ゆすりしながら立っている。
「散髪すんねやろ?マンガは元の位置!」
「は、はい。すみません」
マンガを戻し、席へ座った。

「で?」
「横と後ろを短めに」
「わかった」

え?もういいの?

オヤジはタバコを咥えながら顔をしかめ、手馴れたハサミを取り出した。
沈黙の中、ジャキジャキ・・・退屈な時間が続いた。

「ほれ!顔!」
「は、はい」
少し顔が傾いていたのか、オヤジに顔の向きを補正された。

「仕事のほうは?」
「しごと?」
「順調でいけてまっか?」
「順調・・なときもあるし、そうでないときも」
「そりゃそうや!うまくいくばかりが人生やない!」

なんで怒鳴るんだ?

「わしがアンタ、あんたらの時はな。休みっちゅうのはなかったぞ」
「毎日、ここで散髪を?」
「何を言うてんねん、うさぎさん」
「?」
「その頃はとび職やったんや。寒い中、トラックに乗せられてな」
「そうですか・・」
「今の若いモンらを見よったら・・なんやあれ。チャラチャラしもって!」
「?」
「ホレ、あんたの近所の向井の息子!」

ぼ、僕のことを知ってるのか・・。さすが田舎だ。狭い。

「毎日ナウい服ばっかり着て、まともに仕事もせんと!」
「・・・・」
「その点、あんたらは賢いな」
「いっ?」
「そらアンタ、お医者さん言うたら、神様の次に偉いわけや」
「・・・・」
「うさぎさんも、はよう偉くなってえな。上の人に逆らわんとな」

なんとも答えようがなかった。
それにしても、だんだん短くなっているような・・。
オヤジはバリカンを取り出した。

あっという間に、後ろ、横を刈られた。
「もう終わるでえ」
すると階段からおばあさんが降りてきた。この人の母親か。
おばあさんはホオカンムリをして、なにやら細い棒のようなものを持っている。
「耳掻き、するで」

バアは耳かきを小刻みに、耳の入り口にしのばせた。手が震えてるのか、
時々奥に入ったりしていた。

「頭、洗うで!」
後ろから頭をつかまれ、洗面台へまっさかさま。熱湯に近いお湯がかぶせられた。
「うぐぐ・・・!」
「さ、顔洗い!」
「はい。ぶぶぶぶ」
「もうちょっと!」
「はい。ぶぶぶぶ」

もう、終わってほしい。
オヤジはドライヤーを至近距離から浴びせた。

「アンタ、勉強はできるみたいやが。野球の試合はサッパリやったな」
「?試合、見てたんですか?」
「そらあ、うさぎさん。わしら村民の楽しみなんやで!」
「中断になったのは、僕の責任で」
「あんたらの場合、人の命がかかっとるんや。謝らんでもええ!」

また怒鳴るし・・。

正面の鏡を見て驚いた。
「ああ!」
頭の両側が、逆台形になっている。角刈りだ。ヤクザのようにそりこみ
が入っている。

オーマイ、ジーザス・・。

「タイガースファンやろ?うさぎさん」
オヤジは勝ち誇ったようにタオルで手を拭いていた。
「うさぎさん、ちゅうかトラさん、かの?わはは!」
僕は服を着た。
「じゃ、料金払います・・」
「あいよ!ちょうど4千円でござい!」

高いな。カットだけなのに?
もしかしてレセプトみたいに○○指導料、とかも入ってるとか?

「おおきに!」
角刈りを手でかくしながら、僕は車に乗り込んだ。

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