虎刈りにされて、次の日。
病院ではさっそく周囲から『うさぎさん』呼ばわりされた。

田舎の情報伝達速度は、当時のISDN以上だった。

「今日もお願いいたします」
外来でペコッと頭を下げたのは、最近配属になったナースだ。
準看で、20歳。病院では最年少。±2SDの範囲だ。
だがかなり太っており、ウエストもくびれなし。

どうでもいいことだが、目に付くところではあった。

「こちらこそ。じゃ、この人を」
「はい。神代さんですね。かみしろ、さーーーん!」
彼女は思いっきりデカイ声をはりあげた。
「ちょ、ちょっと・・ここで叫ばずに、向こうで」
「はーーーーい!」
ドップラー効果のように彼女はカーテンをくぐり消えていった。

やがてカーテンの向こうから40代の男性患者がやってきた。
いつもは降圧剤を内服している。

「胃の調子が悪い」
「胃・・どうして胃と?」
彼はみぞおちを指差した。
「ここは、胃じゃろ?」
「・・・じゃない場合もあるし」
「癌なんやろか・・」
「そう言ってるわけでは。まず簡単な検査を。採血、胸・腹部レントゲンを」

痛みは食事とはあんまり関係ないという。微熱あり。
腹部に圧痛なし。腫脹もない。

検査を待つ間、診察室で読書。

「先生は、どうしてお医者さんになられたんですか?」
「はあ?」
彼女が唐突に質問してきた。
「な、なにを・・そうだな。なんでだろう?」
「困った人を、助けたい?」
「困った人か・・。でも借金とかしてる人は助けてないな」
「ぷっ」
彼女は小刻みに笑っていた。こんな若い子にも、どこか距離を
感じるようになったな・・。

レントゲンでは小腸ガス多目、二ボーはなし。
採血では白血球増加で左方移動・CRP上昇、AST/ALT , ALP , r-GTP上昇。
ビリルビンが4もある。通りで顔が少し黄色い。腹部レントゲンでは胆石
は・・はっきりしない。

いつも腹部エコーを頼んでいる須川先生は不在。副院長には正直、頼みたくない。
では自分でやるしかない。

「横になって」
食後であるため胆嚢はめいっぱい確認ができないが、胆嚢の壁は厚いように思う。
だが古い炎症かも。石はよく分からない。総胆管は・・よく見えない。僕の腕が
未熟なのもあるんだろう。

「腹部CTを」

できあがった写真を取り出した。
「技師さん。これどう思う?」
「ふむ・・」
その技師は正直、あまり当てにならない人だった。
頭部CTの出血でさえも、目に入らない人だ。

「胆嚢の周囲はどうでしょう・・」
「胆嚢ねえ・・・周囲とは?」
「総胆管」
「これかな?」
「それは下大静脈でしょう?」
「ああそうだ。そうたんかん、そうたんかん・・」

本と照らし合わせ、部位を特定。

「技師さん、これでしょうかね。だとすると・・1センチ以上はある」
「ふむ」
「超音波では七ミリ以上が拡大だったような」
「さあ・・知らんが」
「この写真でも石ははっきりしませんが、総胆管結石による閉塞・炎症
かもしれませんね」
「ふむ」

なんとか言ってくれよ。
こういう現場ではそういうモチベーションも必要なんだ。

「ま、わしは医者じゃないから」
「あっそ・・」
僕は診察室へ引き上げた。

患者を入れ、フィルムをシャーカステンへ。
「総胆管炎だと思います。石がつまって起きたのかも」
「手術でっか?」
「炎症が高度なので、抗生剤による治療から」
「入院でっか?」
「うちは一般病棟がないから・・」

事務長が入ってきた。
「近くの病院はどこも・・無理でした」
「・・・じゃ、うちにとりあえず入院になりますね」
「ユウキ先生。ここに入院したらマルメ・・」
「知ってるよ。でも遠方になる」
患者も近所がいいということで当院を希望。

「じゃ、入院。抗生剤は、スルペラゾン・・」
指示を書いて、カルテを病棟へ。

「先生、すまんが」
患者は振り向いた。
「はい?」
「診断書を書いておいてくれんか?会社に必要だ」
「では・・・今日、これこれで入院した、という事実だけで?」
「ああ。なるべく重病にしてな」
「あのなあ・・」

夕方、外も暗くなってきた。
僕はレセプトに関するコメント書きのため、暗くなった診察室で
ワープロを打ち続けていた。
「・・・以上のように、医療費がたいへん高額となりましたが・・、と!」
手を休めながら、仕上げへ。
「いずれも必要な治療であったと思います、と!どうだ!」

すると、いきなりバン!と外来のドアが開いた。誰か来た・・。
カーテンの向こうから来た人影はこっちの診察室には入らず、横の処置部屋に。

ガサガサ、ゴソゴソ・・・。部屋が暗くなってるから不気味だ。
僕も時間を忘れて電気をつけていなかった。
誰かな。忘れ物でも・・。僕はゆっくり立ち上がろうとした。

「こなくそ!」
「?」

隣の部屋からいきなり罵声が飛んだ。この声は・・あの子じゃないか。

「あああ!もう!くそこら!」
どど、どうしたんだ?
僕は反射的に、息を潜めた。

「くっそー!ないない!」
「(ない?)」
「診断書、くそ!どこいったああ!」
「(診断書・・・僕が書いたのを・・・なくしたのか?)」

診断書の紛失くらい。また書き直せばいいことではあるが。

「あああ、どうしよ〜!どうしよ〜!」
今度は泣き声に変わった。かなりヤバイ声だ。
この豹変ぶりはものすごい。

「うわああ、うわあ〜!うわあ〜!」
恐ろしい。今出て行けば、間違いなく殺される。
そこまで恐怖を感じた。

「神さま〜!神さま〜!りゅういち〜!」

りゅういち?だれだ?

「あ、ここか?」
彼女はぴたっと立ち止まった。ここへ来るのか?

また横の部屋でごそごそ。
「ここや、たぶんここや!そうかもね!かもねか〜もね!そ〜かもね!」

この女、二十歳なのになんでこんな昔の歌を?

「ぴたりあっちゃうかも〜ね・・・・な〜い!!」
どうやら、なかったようだ。残念!
まずい。このままこっちへ来るのでは・・・?

だがまたそこでガサガサ。かなり散らかしているようだ。

「ふえ〜ん!ふえ〜ん!」
彼女はまた大声で泣き出した。
「りゅういちさま〜!りゅういちさま〜!かわむらさま〜!」
何だ?河村隆一のことかよ?

「あったー!」
どうやらホントにあったようだ。僕は釘付けのままだ。

「あったあったヤッホー!ホッホのホー!きゃあ!」
「(・・・・・)」
勢い余って、壁に激突したようだ。どうかもう、このまま出てくれ。

「りゅういちさん。ありがっと!サンクス!」
バタンとドアは閉まり、やっと静寂が訪れた。
5分ほどたち、僕は帰る準備を始めた。

「一見、天然でも、女ってやつは・・」
僕はカバンを肩にかけ、手をドアノブに伸ばした。
「♪ふ〜ゆの〜、りび〜えら〜あれ?」
閉まっている。このドアは中から開ける箇所がない。

「お・・おい!おい!」
何度戸を開けようとしても、やはり開かない。
「どど、どうすれば?おいおい!」

僕は力なく、そのまま腰を下ろした。
悲しい。

悲しければ、悲しいほど・・

「♪だ〜まりこむ〜、ものだね〜・・・」

結局その日は内線で事務当直へつなぎ、ドアを開けてもらった。

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