「うさぎさん。最近元気ないですね」

須川先生の声で、僕は目覚めた。医局でウトウトしていたんだ・・。なんてザマだ。

「須川先生。この間は助かりました」
「うさぎさんにお礼を言われるとは・・」
「いえいえ、ほんとに」
「胸部内科の大家(たいか)である大先生に、そんなそんな」

病棟の主任から呼び出し。
『家族の方、来られました』
「家族・・」
『ハマさんの家族』
「それはあさって・・日曜日のムンテラの予定だよ」
『私達に言われても困るんですよ!』

主任はいきなり切れた。

「はいはい・・降ります降ります」
『なるべく早くとおっしゃってますので』

僕は再びドッと腰を下ろした。

「降りるというのは、イスに降りるという意味ですか?うさぎさん」
須川先生がパソコンの向こうで呟いた。

「家族へのムンテラです。約束の日を無視して、今日いきなり来たようで」
「ま、療養型に見舞いもろくに来ない家族でしょう?」
「そうです」
「だから先生。あまり一生懸命されないほうがお利口ですよ」
「しかし・・」
「そこがやっぱり・・うさぎさんたる所以ですね」

やれやれ・・。

 詰所へ行くと、モニター画面の前面にドーンと座っているグレイスーツ姿が2人。1人は長男、50歳代後半といったところ。その横に座っている神経質そうな若い男性。どうやら荷物持ちのようだな。

「お待たせました」
僕が喋ると彼らは一斉に顔を上げ、立ち上がった。

「長男の、幹夫です」
彼は名刺を差し出した。○○繊維・・。大きな会社っぽいな。

横の男は軽く会釈した。

「この方は・・」
「あ!失礼!おい!」
長男は肘でつついた。

「秘書を担当しております、ミツナガと申します」
彼も名刺を差し出した。≪社長≫の荷物を持ったまま立っている。

 それにしても、この名刺の色・・・風格が違う。2人とも同じ会社だが、住んでいる次元は明らかに区別されてる。そんな雰囲気を感じる。

「いやね。取引先との用事があって、ここを通りかかったんですわ」
 長男はポケットをゴソゴソし始めた。
「ここ、灰皿は?」
「病院は禁煙です」
当然、こう答えた。

「ミツナガ!」
「はい!自販機で缶を買ってきます」
「まあこれくらいはええでしょう?先生」
「だ、ダメですよ!」
僕は後ろの婦長たちを見回した。

知らんふりして仕事してる。注意しないといけないだろ。

ミツナガは廊下へと消えた。

「ま、先生。わしも今は非常に重要な時期でな」
「重要な・・?」
「不景気の煽りでな、会社を減らすようになったんや」
「・・・」
「で、大規模なリストラを断行することになったわけや」

この男、ここをどこだと・・。

「2万人のクビが飛ぶんやで!2万人!」
「・・・では病状から話を」
「ミツナガが戻ってからにしてくださいや!」
「な、なんで?」
「でな。それでも会社としてはまだまだなんや」
「何がです?」
「生き残りやがな!」
「・・・?」
「あんた、人事ちゃうで。患者さんのことばっかりやってて、そのまま食っていける時代とは違うよ!」

ミツナガが戻ってきた。

「はあはあ・・この缶でよろしいでしょうか?」
彼はカラになった空き缶を持ってきた。
「そこへ置け」
「はっ!」

長男はタバコを吸いだした。

「じゃ、話を始めてもらいまひょか」
「僧房弁膜症・・・進行は徐々にみられはいます。超音波検査でこのように計測して、左心房の大きさを見たりカラー写真で逆流の程度を」
「まあ先生。信用しとるがな。わしら素人集団にあんたそんな説明されてもな。どうとでも騙せる・・いや失礼、説明できるやないですか」
「・・・・・」
「話のポイントに移りまひょ」

ミツナガはメモを用意、いきなり記録を始めた。

「わしの母親は、ずっとここに居られるんでっか?ってこと!」
「その話ですか・・」
「なに?その話ですか?ってどういう事やねん?」
「・・・」
「わしの母親が、ここにずっとおられんってこの前聞いたわけや。何?追い出される?わしは気が気じゃなかった!」

困ったな。一番苦手な人種だ。不動産よりもタチが悪い。

「なあ先生よ!母親だけやなく、何万人もの従業員を抱えとるわしに免じてやな・・!これからも!おい!ミツナガ!」
ミツナガは内ポケットから封筒を取り出した。
「どうぞ」

「なんだよこれ!」
僕は頭に来て、弾き飛ばした。
「この前お話した通りなんですが・・入院が長期になるとどうしても」
「病院の立場ではな!でもあんたの立場ではどうなんや!」
「・・・」
「やっとこの病院にも慣れて、先生も優しい、っちゅうて本人は気に入ってるわけや!」
「・・・」
「それをまた、たらい回しにすんのか!」
「しかし・・」
「わけのわからん病院へ飛ばされてやな、泣きを見るのは本人なんじゃ!」

 もっともな内容にも聞こえるが、あくまでも「木を見て森を見ない」人間の言う事だ。

「看護婦さん。事務長は・・」
「忙しいようです」
「何が忙しいだよ!呼んでよ!」
ナースは嫌々、電話をプッシュした。

「なあ先生。こんなの受け取るん、しょっちゅうでしょうが?」
「・・・」
「大丈夫や先生。皆、もらってんねん。何人かには渡したんねん。けどもやな、それを盾にして話を進めようとは思ってない!な!ミツナガ!」
「もっともでございます」

こいつら・・。職員の奴らも、買われたか。

事務長が走ってきた。
「これはどうも!」
「さっきはどうも!」
長男が片手を上げた。
「あ、どうも・・」
事務長は目を逸らした。

「事務長さん。例の話だよ」
「え、ええ」
「転院については家族は同意できないと」
「ええ」
「病状はやや進行はみられるが、ADLを著しく阻害するものではない」
「はい」
「転院に関しては僕は許可するけど」
「・・・はい」

事務長は長男の顔色を伺った。

「よろしいでしょうか?」
「あかん」
「・・先生」

何で僕に振るんだよ?

「先生。まあベッドのほうは何とかなりますし」
「?いいの?」
事務長、この前まで≪入院させたい候補が何人もいるから≫って言ってたじゃないか。

「はっはは!わあっはははは!」
長男が高笑いした。
「もう少し、事務系統と、医局との系統との接続をしっかりせんとな!」

ぬうう・・。

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