長男は腕時計を一瞥した。

「さて、もう帰らないと」
長男とミツナガは立ち上がった。

僕は横の事務長に話しかけた。
「じゃあハマさんはもうここでずっと・・入院なんですね?」
「え、ええ」
「おかしいな。昨日まで逆の事を言ってたのに・・」
たぶん<買収>されたのだろうと思いつつ・・。

「先生は、名刺は?」
長男が見下ろしていた。
「名刺?」
「先生のも下さい。私のは渡したから・・礼儀でしょうが」
「名刺は・・・ありません」
「え?ない?おっほほ・・」

彼は勝ち誇ったようにミツナガのほうを向いた。

「天下のお医者さんが、何?名刺がない?それくらい、はは・・!」

 何がそんなにおかしいんだ。医者で名刺を持ち歩く奴なんざ・・。クラブをはしごするような連中ばかりだ。

 長男ら2人は、挨拶もなく詰所を出た。

「ユウキ先生。すみません・・」
事務長がすまなさそうに頭を下げた。

「何が?あやまったって・・」
「実はですね。長男さんが村の役場にも来まして」
「アイツが?なんでまたそこへ?」
「圧力をかけたようなんです」
「圧力?」
「まあ、これからも母親をよろしくと」
「なんで役場なんです?」
「役場関係の方々は、いろいろ仕事の面で長男さんの会社にお世話に・・」

 権力をちらつかせたのか・・。嫌な奴だ。

「ユウキ先生。すんません。で、さきほど村長から電話があって・・」
「事務長さんも、圧力に屈したわけか」
「すみません・・」
「僕はそんなの、一番嫌だ」

 しかし実際は長男の意見が通った。僕ら医師はしょせん、病気を診はじめて退院させて・・その範疇での仕事しかできない。

 全部仕切りたければ、経営者になるしかない。

 ハマさんの部屋へ、回診。彼女はテレビの「暴れん坊将軍」を見ていた。盛り上がる前の悲しそうな場面だ。

「ハマさん。こんにちは!」
「・・・ああ」
「長男さん、来られまして」
「・・・わしは会ってないが」

難聴があっていつも1度は聞き返すが、今回はすぐ反応してくれた。

「そうですか。会ってないですか。それは・・」
「いつもそうじゃよ」
「入院の期間のことで」
「入院?またどっか入院・・」
「いえ。それはないです」

彼女は不審そうだ。

「看護婦さんから、よう言われる」
「なんて?」
「もうええかげん、どっか行ったらどうやって」
「な・・・誰です?そんな事言うのは?」
「仕返し、怖い怖い」

彼女はそれ以上は話さなかった。

「ハマさん。ここは居心地悪くないですか?」
「いごこち?ああ・・・」

彼女も軽度の痴呆はあるが、周囲は寝たきりで無口な人がほとんどだ。

「ま、子供も人生があるしの・・」
「・・・・」
「わしは1人でぽっくりいけたら」
「やめましょうよ。そんな話」
「息子らに嫁がついたら、んもう!嫁の言いなりや!」

なんとなく話は分かる。

「そうですか・・・。ん?息子、ら?そうか・・」
「?」

詰所へ戻ってカルテを確認した。
長男のほかに、次男がいる。

次男も近所に住んでる。
ちょっと相談してみよう。

ハマさんは家に帰りたがっている。家族のもとへ。

次男とは近々会う予定とし、医局へと戻った。

「うさぎさん。呼吸器ついた人はどうですか?」
須川先生がコーヒーを沸かしていた。

「おかげさまで、炎症は軽快の傾向です」
「でも高齢者ですから、抜管できないかもしれませんね。うさぎさん」
「ですね・・あまり長期なら、気管切開ですね」
「そーら、大変だ・・」

医局でもテレビがついていて、<暴れん坊将軍>をやってる。ちょうどチャンバラのシーンで、躍動感あふれる音楽が鳴り響く。

♪チャーチャー、チャチャーチャチャー、チャーチャーチャーチャチャー!  キュイン!バサッ!ドカッ!

ああ、これを聴くと、今日の仕事ももう終わったなあと感じる。

事務長が入ってきた。
「よろしいですか?」
「僕?今日はもう、終わりだから帰りますよ」
「せ、先生。お願いできませんか?」
「何?野球は嫌ですよ」
「検死ですよ。検死」
「けんし・・?」

テレビでは将軍が悪をすべてぶった切り、刀を鞘におさめているところだ。

♪チャーチャチャチャチャーチャ・・チャーーー・・・。

マツダイラ、ケン・・・ケン・・・

ケン・・検死か。

「他の先生にお願いするわけには・・」
「お願いします!ユウキ先生!」
「雑用はいつも僕だよ」
「では先生のほうから上の先生に」
「事務長がやってよ!」
「わ、わたしにはそんな・・」
「くっそ・・・」
「・・・・・」
「わかったよ!」
「ありがたきしあわせ」

こんな時だけだな。

「場所はどこ?」
「病院の近くの無料駐車場です」
「え?いったい何が・・?」
「人が死んでたそうです」
「死んでた?」

そりゃ、検死だもんな。

「じゃ、そこまで行けばいいんですね?」
「警察の方がお待ちしています」
「はいはい・・」

僕はいったん脱いだ白衣をまた羽織った。

だんだん足早になる両脚。そういや、急患もあまりなく、走ることもなかったな。

「加速装置!」
ダッシュで詰所をすり抜け、玄関へ直行した。

ダッシュ!ダッシュ!バンバンババンだ!

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