呼吸器がついていたおばあさんは、ウィニングの段階。つまり呼吸器を外すべく、呼吸器離れの練習中だ。

「うーん・・」
 呼吸器のつまみを微妙に調節。現在は自発呼吸。プレッシャーサポート。つまり患者が自力で息を吸う、そのときに合わせて少し空気を押し出してあげる。サポート圧を上げるほど、押してあげる力は強くなり、患者の吸う体力は少なめですむ。

 その協力する力(サポート圧)を少しずつ減らしていって、抜管へともっていく。

「看護婦さん。痰は多い?」
「あまりないですね。でもさっき、出血してました」
「おいおい・・」
「結核?」
「それ、吸引チューブで気管を・・傷つけてないかな?」

 僕の良くない癖だ。せっかく協力してもらっているナースに向かって、と言えば良く言いすぎだ。

「うさぎさん。意地でも気管切開しないんですね」
後ろからまたヌッと須川先生が現れた。
「うさぎさんっぽいですよね。そこが」
「ど、どこが?」
「昼寝しないようにね」
「は、はい・・」

ま、途中で気を抜くな、という意味ってことにしよう。

その日は当直だった。

1回も呼ばれないまま、深夜に突入。さすが眠気が襲ってきた。


ピーピーピー・・・

院内ポケベルだ。久しぶりに音を聞いた。

「ふわい?」
「先生?詰所です」
高齢のナースだ。この人が夜間帯か。当直医からすると、「はずれ」と陰で言われている人だった。

最近、ツイてないなあ・・。

「なんかね。先生。さっきから呼吸器がピーピーピーピーいってて」
「ピーピー・・?警報音?」
「そうそう」
「それはなぜ・・?」
「さあ。バイタルは変わりなし。でもさっきからピーピーピーピー・・」
「何だよ。分からないのか?」
「ほらまた。ピーピーピーピー・・」

ピーピーピー・・って・・

長渕?

「分かった。行くよ」

病室に入ったが、音は鳴ってない。

「鳴ってないな・・」
「先生が入ると、やみましたね」
「関係ないだろ?」
「でも、鳴ってない」
「そうだけど」

やはり鳴らない。

「自発呼吸だからね。ひょっとしたら、無呼吸アラームかな」
「無呼吸?」
「呼吸の間隔が長くなって、それで呼吸器が反応して」
「おおこわ」
「ちょっと!聞いてる?」
「呼吸器なんか久しぶりで」
「仕事だろ?」
「ハイテクはよう分からなくて」
「・・・」
「先生が、この病室にずっといればええのよ!」

何を言い出すんだ・・。

「今は呼吸も浅くないので、CO2(二酸化炭素)がたまっているわけでもなさそうだ」
「様子見?」
「うん。でもまた鳴ったら・・」
「どうします?」
「そうだな・・」
「やっぱり先生!ここに居てください!」
「だ、だめだよ!」

彼女の気持ちも分かる。
とりあえず、そこで半時間、待機した。

「看護婦さん。今のところアラームも鳴らないんで」
「また鳴ったら呼びます」
「そ、そうだけど。なぜ鳴ってるか確認はして欲しいし」
「はい。そうですね」

分かってるのか?この人。
時計は夜の2時。

医局でさらに半時間起きていて、またそのまま寝た。

ピーピーピー・・・!

またか。

「もしもし?ユウキ」
「あ、先生。またピーピーピーピー・・今度は音が違う」
「はあ?」
「ピーピーピーピー・・」
「そんな音だけ言ってもわからんよ。どんなアラームかな?」
「とにかくさっきからピーピー・・」
「行くよ!もう!」

再び詰所へ。

「確かに、違う音・・?」
呼吸器の警報音とは違う音だ。

音源を辿っていくと・・。

「おい!」
「何ですか?先生」
「呼吸器の音じゃないぞ!シリンジポンプだ!」
「はあ」

患者の点滴ルート本体の横から注入している注射器をゆっくり押し出すポンプの機械の音だ。

「インスリンが入ってるんだよ」
「そうですね」
「中身がもうない!だから鳴ってる!」
「あ、そうか」

ナースは落ち着きを取り戻し、注射器の液を補充した。

「あたし、最近耳が悪いから」
「あのなあ・・耳そうじ、してんのかよ」
「してますよ!失礼な!」
「わ!聞こえてるじゃないか!」
「高い音がダメなんですよっ!」

医局へ戻ると、もう朝の5時。

久しぶりに、寝れない当直だった。

それとこれも久しぶりに、耳鼻科の本を開けた。

ふむふむ・・。

 人間の聞こえは20歳代をピークとして、それ以後は徐々に低下してきます。聴力検査の検査音域でいうと、8000Hz、4000Hzといった高い周波数から徐々に聴力低下がみられます。聴力低下が早く進むのは60歳代以降。老人性難聴では高音域を中心に聴力低下が生じる型を示します。したがって、初期には電話のベルが聞き取りにくい、かん高い声が聞き取りにくいなどの症状から始まります。

 そうか。彼女、60近いもんな。怒ったらいけないかな。しかも僕自身、聴力落ちてきてるんだな・・。

 『電話でブーブー言わず、とにかく患者を見にいくことだ』

 フォースが久しぶり聞こえた。

 別名、『心のオーベン』だ。

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