プライベート・ナイやん 2-14 幻影
2005年3月29日 イナカ救急病院に患者を紹介。
救急車が玄関前に到着すると、もう既に十数人のドクター達が待っていた。後部トランクを開けると、そこへ一斉になだれ込んできた。
「おいそこ持て!」「玄関ドア!」「あけてあけて!」
ストレッチャーは物凄い勢いで運ばれていった。
久しぶりに見る、アパムとあだ名のついた小男がドアを開けたままふんばっている。
「ユウキです。お久しぶりです」
「うう・・」
彼は狼狽しながら駆け出した。
初めて目にするドクターがゆっくり歩いてきた。長身で肩で風を切る。2,3年目っぽい。
「外科研修中の、東郷です」
「ユウキです。このたびは・・」
「消化管穿孔、なんですね?」
「はい。レントゲンは患者さんの脇に・・」
「ええ、見ておきます。オペ場も準備はスタンバってます」
「ありがとうございます」
「血液検査のデータは・・?」
「見切り発進で来ました。データは病院から結果出しだい、FAXで送られるかと」
「了解です」
応接間に通された。
救急室では入院時の検査が順調に進んでいるようだ。
いろんな声が聞こえてくる。
「血圧はオッケー」
「病棟はいつ空く?」
「ここかアパム!早くルート!」
<アパム>が怒られている。
「こらあ!」
いきなりドスの利いた声が響き渡った。その瞬間から、部屋は無音状態だ。いったい誰が・・。
間もなくすると、副院長の赤井先生がやってきた。やはり雰囲気は高倉健だ。眼光鋭いがジェントルだ。
「紹介を・・どうも」
「あ、いえ」
「うちには・・いつ来る?」
「は?」
違う話題になった。だが歓迎すべきだ。
「人手がね。なくてね。今は1人でも欲しい」
「ぜぜ、ぜひ!なのですが・・」
「君のところの副院長が許可しない・・」
「そ、そうなんです」
「何か問題を?」
こう言われると、悲しい。
「問題・・ないとはいえません」
「修行をしたいと?」
「はい。このままでは自分は・・」
「よかろう」
「?」
「もう1回、君の副院長に圧力をかける」
「・・・大丈夫でしょうか」
「ああ。で、丸1日勤務してもらうが・・」
「ええ」
「1つ条件が」
さきほどのドクターがレントゲンフィルムを持ってきた。
「ユウキ先生!これ・・」
「はい?」
彼は応接室のシャーカステンにフィルムを掲げた。赤井先生は一瞥し、小さく微笑んだ。
「大腸ガス・・」
「うそ?」
僕は思わず叫んで、フィルムへ詰め寄った。
「フリーエアだと思ってたのですが・・」
「フィルムはきちんと・・見た?」
赤井先生が一瞬、僕を睨んだ。
「み、見ました。ただその、廊下で天井にかざすようにして」
「バカだね」
「・・・」
目から火が出そうだ。
消化管に穴が空いて出てきたガスかと思ったら、単に大腸のガスが横隔膜下に入り込んでいただけの所見だった。当然、異常所見ではない。
赤井先生は首を横に振った。
「ま、逆でなくてよかった」
「・・・」
「過小評価より、過大評価する人間のほうがマシだね」
「・・・す、すみません」
「修行は1から必要だね」
「はい・・」
「東郷。下がれ。採血とかいろいろ見たが・・潰瘍はありそうだ。GFやれ」
「はい!」
東郷先生はクルッと回転し、持ち場へ戻った。
赤井先生は再び僕のほうを向いた。
「1つ条件が」
「はい。何でも」
「1人、面倒を見て欲しい人間が」
「入院患者さんですか?」
「いや。職員の家族。自宅で介護してる」
「高齢の方ですか」
「・・・夕方ここの勤務が終わったら、その家での介護をお願いしたい」
妙な申し出だ。
「ユウキ先生は療養病棟で、介護のことなど詳しいと聞いてる」
「そ、そんなあ・・」
「家は病院から近いので問題ない」
「じゃあ、そこで当直待機ですか」
「病院の夜は常に十数人が寝泊りしてるから大丈夫」
すごい病院だな・・。全国から募集が殺到すると聞いてたが。ここは熱気を感じる。
昼間は救急。夜は介護か。
「赤井先生。その職員っていうのは・・」
また割り込みが入ってきた。スレンダーな女医だ。青い術衣を着て、それがすごくキマっている。
「赤井先生。カメラ中ですが、十二指腸のアルサー(潰瘍)、ステージA1です」
「出血は?」
「少量ありまして、クリッピングを」
「下がってよし」
彼女は僕を見て少し微笑んだ。
「新入生?」
「いえ・・」
赤井先生は呟いた。
「来月から来る」
「ホントに?」
「私がなんとかする」
「じゃ、介護係は・・」
「もちろんやってもらう」
赤井先生は立ち上がった。
「今は誰が介護を・・?」
「矢倉先生がされてます」
「矢倉か・・じゃ、伝えてくれるか」
「先生。矢倉くん、来週で辞めるんです」
「そうだったな・・」
聞き捨てならない会話が続く。
「彼は、3ヶ月か?」
「2ヶ月です」
「中間値だな」
どうやら、人が1人辞めるらしい。
スマートな女医は僕を見下ろしてまた微笑んだ。
「がんばってね!」
「は?」
彼女は去っていった。何か懐かしい感覚を覚えた。
恥ずかしい思いをしたが、結果的には患者に役立ったと自分を納得させ、玄関前へ。
さっきの彼女の笑顔が、まだ頭に残る。どうしたんだ、最近。女を意識してどうする。もう女で仕事まで台無しにするのはコリゴリなんだ。
ふと空を見上げた。
『君は今・・・どこで、何をしてるの?』
救急車が玄関前に到着すると、もう既に十数人のドクター達が待っていた。後部トランクを開けると、そこへ一斉になだれ込んできた。
「おいそこ持て!」「玄関ドア!」「あけてあけて!」
ストレッチャーは物凄い勢いで運ばれていった。
久しぶりに見る、アパムとあだ名のついた小男がドアを開けたままふんばっている。
「ユウキです。お久しぶりです」
「うう・・」
彼は狼狽しながら駆け出した。
初めて目にするドクターがゆっくり歩いてきた。長身で肩で風を切る。2,3年目っぽい。
「外科研修中の、東郷です」
「ユウキです。このたびは・・」
「消化管穿孔、なんですね?」
「はい。レントゲンは患者さんの脇に・・」
「ええ、見ておきます。オペ場も準備はスタンバってます」
「ありがとうございます」
「血液検査のデータは・・?」
「見切り発進で来ました。データは病院から結果出しだい、FAXで送られるかと」
「了解です」
応接間に通された。
救急室では入院時の検査が順調に進んでいるようだ。
いろんな声が聞こえてくる。
「血圧はオッケー」
「病棟はいつ空く?」
「ここかアパム!早くルート!」
<アパム>が怒られている。
「こらあ!」
いきなりドスの利いた声が響き渡った。その瞬間から、部屋は無音状態だ。いったい誰が・・。
間もなくすると、副院長の赤井先生がやってきた。やはり雰囲気は高倉健だ。眼光鋭いがジェントルだ。
「紹介を・・どうも」
「あ、いえ」
「うちには・・いつ来る?」
「は?」
違う話題になった。だが歓迎すべきだ。
「人手がね。なくてね。今は1人でも欲しい」
「ぜぜ、ぜひ!なのですが・・」
「君のところの副院長が許可しない・・」
「そ、そうなんです」
「何か問題を?」
こう言われると、悲しい。
「問題・・ないとはいえません」
「修行をしたいと?」
「はい。このままでは自分は・・」
「よかろう」
「?」
「もう1回、君の副院長に圧力をかける」
「・・・大丈夫でしょうか」
「ああ。で、丸1日勤務してもらうが・・」
「ええ」
「1つ条件が」
さきほどのドクターがレントゲンフィルムを持ってきた。
「ユウキ先生!これ・・」
「はい?」
彼は応接室のシャーカステンにフィルムを掲げた。赤井先生は一瞥し、小さく微笑んだ。
「大腸ガス・・」
「うそ?」
僕は思わず叫んで、フィルムへ詰め寄った。
「フリーエアだと思ってたのですが・・」
「フィルムはきちんと・・見た?」
赤井先生が一瞬、僕を睨んだ。
「み、見ました。ただその、廊下で天井にかざすようにして」
「バカだね」
「・・・」
目から火が出そうだ。
消化管に穴が空いて出てきたガスかと思ったら、単に大腸のガスが横隔膜下に入り込んでいただけの所見だった。当然、異常所見ではない。
赤井先生は首を横に振った。
「ま、逆でなくてよかった」
「・・・」
「過小評価より、過大評価する人間のほうがマシだね」
「・・・す、すみません」
「修行は1から必要だね」
「はい・・」
「東郷。下がれ。採血とかいろいろ見たが・・潰瘍はありそうだ。GFやれ」
「はい!」
東郷先生はクルッと回転し、持ち場へ戻った。
赤井先生は再び僕のほうを向いた。
「1つ条件が」
「はい。何でも」
「1人、面倒を見て欲しい人間が」
「入院患者さんですか?」
「いや。職員の家族。自宅で介護してる」
「高齢の方ですか」
「・・・夕方ここの勤務が終わったら、その家での介護をお願いしたい」
妙な申し出だ。
「ユウキ先生は療養病棟で、介護のことなど詳しいと聞いてる」
「そ、そんなあ・・」
「家は病院から近いので問題ない」
「じゃあ、そこで当直待機ですか」
「病院の夜は常に十数人が寝泊りしてるから大丈夫」
すごい病院だな・・。全国から募集が殺到すると聞いてたが。ここは熱気を感じる。
昼間は救急。夜は介護か。
「赤井先生。その職員っていうのは・・」
また割り込みが入ってきた。スレンダーな女医だ。青い術衣を着て、それがすごくキマっている。
「赤井先生。カメラ中ですが、十二指腸のアルサー(潰瘍)、ステージA1です」
「出血は?」
「少量ありまして、クリッピングを」
「下がってよし」
彼女は僕を見て少し微笑んだ。
「新入生?」
「いえ・・」
赤井先生は呟いた。
「来月から来る」
「ホントに?」
「私がなんとかする」
「じゃ、介護係は・・」
「もちろんやってもらう」
赤井先生は立ち上がった。
「今は誰が介護を・・?」
「矢倉先生がされてます」
「矢倉か・・じゃ、伝えてくれるか」
「先生。矢倉くん、来週で辞めるんです」
「そうだったな・・」
聞き捨てならない会話が続く。
「彼は、3ヶ月か?」
「2ヶ月です」
「中間値だな」
どうやら、人が1人辞めるらしい。
スマートな女医は僕を見下ろしてまた微笑んだ。
「がんばってね!」
「は?」
彼女は去っていった。何か懐かしい感覚を覚えた。
恥ずかしい思いをしたが、結果的には患者に役立ったと自分を納得させ、玄関前へ。
さっきの彼女の笑顔が、まだ頭に残る。どうしたんだ、最近。女を意識してどうする。もう女で仕事まで台無しにするのはコリゴリなんだ。
ふと空を見上げた。
『君は今・・・どこで、何をしてるの?』
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