「あ・・ああ。あーる」
「聞こえないよ」
赤井先生が壇上のアパムをジロッと威嚇した。

「ある・・RCA(右冠動脈)はよよ・・末梢の4番に83%の狭窄」
「で?」
「ひ・・左かんどうみゃくの前下行枝・・・なな、7番に96%のきょうさく」
「院長?」

沖田院長は最前席で赤井先生と座っているが・・どうやら寝ているようだ。

「日が暮れますね」
赤井先生は容赦なくプレッシャーをかける。
「どうしたらいいかな・・」
「回旋枝の12番に77%のきょうさく・・」
「どうしたらいいか・・」
「き、今日インターベンション・・」
「知ってますよそれは。君のことです」

いきなり話題の標的がアパムに摩り替わった。

「もうちょっと医師としての適正を・・」

あたりが静まり返った。

「考え直すかな・・?」
赤井先生は立ち上がった。

「彼のオーベンは?」
院長がうつむいたまま呟いた。
「週1バイトのドクターです」
「週1?」
「ですが5年目です。うちは大半が1・2年目なので」
「そうか。そんなに人手が減ったか・・」
院長は重い腰を上げ、毛むくじゃらの手でよいしょと立ち上がった。

「右の冠動脈は末梢。左の回旋枝はハイラテだ。一番重要な前下行枝をやる!」
「(一同)よろしくおねがいします!」

みんな立ち上がり、1人ずつ駆け足で部屋を駆け抜けていった。
1年目ドクターはカテの準備などがあるためだ。

こんな活気ある病院が閉鎖されるなんて噂・・どうやらただの噂かな。

僕はキョロキョロ周囲を見回した。広末似は・・・見失ったか。

カテ室ではすでに準備が整い、レジデントの1人が患者に布をかぶせたあと、
肘の上の(布の)丸い穴から消毒している。

「スタンバイできましたー!」

術衣を着た2人のドクターが近づき、穿刺にかかる。
「パンクチャー(穿刺)!」
僕もカテ室内で見ているが、彼らの後姿しか分からない。

3分後、患者の上下左右の透視カメラがグルグル回転し始めた。
「まず一通り、造影!RAO30度!」
術者の横で透視を操作しているのは・・・この声は、ヒロスエ似だ!

術者は年配の中堅クラスの先生のようだ。角度がイマイチなのか、
彼が手を伸ばして補正している。

「造影する!」
彼はペダルを踏み、3〜4の画面に造影の画面が流れた。
夜中に徹夜で何度も見た画面だ。1日しかたってないので血管の状態は同じだ。

術者は心電図モニターも交互に見る。
「右の冠動脈もなんとかせんとな・・心電図で時々ブロックが。おい!院長は?」
彼は腕組みしたままガラス窓のほうを向いた。放射線技師が『まだ』とサイン。
「左の冠動脈にコラテが伸びてるな。左の末梢からも右にコラテ。ジャパダイズか。
いっちょ、俺がインターベンションやって・・」

「やってみろ!」
アナウンスが流れた。どうやら院長に聞こえていたようだ。

「あわわ・・」
術者はたじろいだ。院長は術衣で入ってきた。

「どけ!」
術者はすごすごと出て行った。ヒロスエ似は戸惑っていた。
「左の造影、するぞ!」
院長は角度の調整をいきなり始めた。ヒロスエ似は呆然と立ち尽くしていた。

「造影!」
左の冠動脈が造影。カンファのフィルム通りだ。
「む?」
彼は角度をグルングルンと調整していった。
「今、6番にスリット病変がなかったか?」

周囲のみんなは誰も気づいてない。もちろん僕も。

「昨日のカテーテルをした医者は?」
「私です」
これまた中堅のドクターが隅で手を上げた。
「貴様の記録のフィルムでは・・これは映ってたのか?」
「いえ・・・カンファのときも見ましたがやはり・・」
「フィルムを分析した者!」

僕とアパムは手を上げた。

「弘田!」
「ひ・・」
「コマ送りで作業しても、見当たらなかったか?」

彼は喋ると同時に撮影もやっている。

「ひ・・」
アパムは僕のほうをじっと見た。

「どうなんだ!コラア!」
「ひい・・・!」
彼は泣き顔になった。

「わわ、分かりませんでした」
とっさに僕は言葉が出た。
「何だお前は?」
院長はジロリと後ろの僕を睨んだ。

「ユ、ユウキといいます。弘田先生のオーベンとして・・」
「黙れ!」
彼は近くのトレイの水を手でひっかけた。
「わ!」
僕の術衣に水がかぶった。

「はあ・・貴様か。うちの家族が世話になったな」
彼は落ち着いて喋りだした。そこがまた不気味だ。

「あ、赤ん坊の件はすみません・・」
「また、頼むぞ」
彼は静かに画面に向き直った。

「やはり左前下行枝の近位部にスリット病変がある!」

スリット病変・・実際、血管の狭窄っていうのは両側・片側の壁が盛り上がって、それが造影で
狭い道として見えるから狭窄、と判断しているが・・。実際そうでない「狭窄」もある。例えばその盛り上がりが
富士山のような山のようでなくて、鋭い二等辺三角形のような薄い病変だとしたら。角度によっては全く狭窄のない血管に
見えてしまう。

そうだな・・。

透明な画用紙(そんなのあるか?)を丸めて、その中に三角定規を横に立ててみて・・。外からの見ようによっては定規を見逃してしまう。
定規がちょうど直線に見えたときだ。この直線が見えればそれが「スリット病変」だ。

例えが下手だな・・。

このような病変を見逃さないためにも、さまざまな角度から造影を試みる必要がある。
イメージトレーニングの量がものをいう。

「近位部を拡張する。シースを変更。ガイドカテ!バルーン!」
レジデントが走ってきて、バルーンを選定してもらう。
「IABPは準備できてるんだろうな!」
彼は血管の拡張を始めた。

隅ではレジデントたちがIABPの機械を確認している。

「先生。血圧が少しですが低下を」
ヒロスエ似がオドオドしながら声をかけた。
「貴様は黙ってそこにいろ!」
「う!」

造影画面では・・6番の拡張が終了。引き続き7番だ。
「拡張する!ステントを準備!」
「はい!」
別のレジデントがステント付バルーンを取りにいく。

こうしてカテ室内をレジデントたちが縦横無尽に駆け抜ける。
手が止まっている者はいない。ガラス張りの向こうの技師も出たり
入ったりだ。

「造影剤!きちんとやらんか!」
沖田院長の渇が飛ぶ。
「じゃまだどけ!」
院長のキックがヒロスエ似の細い脚を蹴飛ばした。

僕は思わず駆け寄ったが、彼女は体勢を立て直し立ち上がった。
だが術衣が不潔になった。

彼女は顔を真っ赤にしながらカテ室を出て行った。
代わりに中堅医師がバトンタッチ。
さらに後ろにレジデントが待機。

技師は透視カメラに体をぶたれながらも造影剤の補給を行っていた。
「造影!」
院長は即、造影にかかった。防護服を着てなかった技師は逃げ遅れた。

「IABPで今夜はモニタリングを!」
院長は勇ましくカテ室をあとにした。
中堅医師が代わった。

「(一同)沖田院長!ありがとうございました!」

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