常勤の病院に入るなり、事務から品川くんが出てきた。

「な、なにかあったので?」
「シッ!せっかく・・」
「?」
「せっかく気づかれずに入ろうかと思ったのに」
「だって先生。朝の11時になっても見えないし。携帯も応答がないし」
「大げさになってないかな・・」
「大丈夫のようです。病棟も変わりなし。外来も来ずで」

それも虚しいな・・。

品川くんとはカラオケ以来だ。思えば彼はかなり酔っ払っていて、ナースの
子になにやらし放題だった。

それがまたいい女だと・・・なお嫉妬を感じるな。

「先生。この前は・・」
「え?」
「楽しかったです!ありがとうございました!」
「金は払ってないよ」
「いや!そうではなくて。あんなに楽しんだのは久しぶりで」
「あのあとホテルにでも?」
「ええ。いただいちゃいました」
「なっ!・・・・・そっか。それはよかったね」
「先生!」

僕は素っ気なく医局へと上がっていった。

医局ではみな爆睡している。今は7月で、テレビでは金属バットの音が響く。
これこそ夏らしい医局だ。

とりあえず病棟へ。
「おはようございます」
「・・ます」
ナースが2人、黙って薬を分けている。
「変わりは?」
「ないです」
「そっか。じゃあ回診を」
「あ、そうだ」
うち1人のナースが顔を上げた。

「ハマさんが息が苦しそうで」
「変わり、あるじゃないか!」
「お願いします」
「バイタルはどうだったの?酸素とか」
「動脈血は私らでは取れませんし」
「いやいや。せめて指先のSpO2は?」
「・・・・みてきます!」
「あのなあ・・」

大部屋でハマさんは起座呼吸している。喘鳴のような音が聞こえる。
心不全による心臓喘息なのか・・。

「ハマさん。座ったほうが楽なんだよね」
「ヒーヒー・・」
「看護婦さん!いくら?」
「SpO2 78!」
「酸素!それから5%TZで点滴を!」

酸素マスクを投与するが・・上がりが悪い。

「もう1人のナースは?」
「家族に電話しに・・」
「処置が一通り済んだらでいいだろ!」
「怒ってる・・」
「情けないぞ!もう!」

僕は沖田院長なみに怒鳴りまくった。

「レントゲンでは両側の肺の透過性が低下してる。超音波で今度は」
スイッチを入れると、部屋の電気が一瞬暗くなった。
「大丈夫なのか?この部屋は?」

その意味もあり、個室へ移動。

「超音波では左心室は拡大してないが・・右心不全が著明だ」
三尖弁での逆流が不明なので程度は不明。しかし右心室は左心室より
大きい。その時点で右心不全は確実だ。

「点滴はしぼって・・・利尿剤を!」
「どれで?」
「フロセミドを1アンプル」
「1アンプル・・・これですね」
「ああ、頼む」
「1アンプルですね」
「そうだよ」
「フロセミドですね」
「そうだってのに」
「静脈経由ですね」
「そりゃそうだ・・」
「1アンプル。全部ですよね」
「もういい!貸してくれ!もう!」
僕は奪い取り、注射した。

「しっかりしてくれよ!」
周囲のナースに反省の色はない。
「平和ムードになると、これだ・・」
だが、救急病院のバイトに向かう前の僕もそうだった。
平和ボケは怖い。

ハマさんはいったん落ち着いたが予断は許さない。高齢者の場合栄養状態が特に
気がかりだ。心不全や肺炎の治療が長期化すると栄養状態が悪化し、それによる
合併症が治療の足を引きずる。

「ハマさん、今の時点でアルブミン2.8g/dlか。厳しいな・・」
カルテをレトロスペクティブ(後ろ向きに)確認。
たしかに最近の僕は救急病院の方に心がいってしまって、ここの監視を怠っていたのかも
しれない。

「体重がこの2週間で4キロ増えてる・・」
頻回の体重測定は、僕が出していた指示だった。ナースが気づいて報告してくれていたら、
というのは甘い考えなのは分かってる。

心不全の初期兆候としての体重増加、食欲不振は重要だ。

「来ました・・」
次男がやってきた。
「お久しぶりです。何か・・」
「詰所の中へどうぞ」

座ってもらい、レントゲンフィルムを飾る。

「心不全が悪化して」
「ああ。先生、この前言いよりましたなあ!」
「酸素吸って、尿道に管入れてます。食事は絶食」
「あと何時間でっか?」
「今のレントゲンがこれ。前回のは・・これ」

なんと2ヶ月前の写真だ。会議で検査費用の抑制の話が出たから、というのは言い訳か・・。

「なんか、肺が白くなってまんな」
「それはすべて、水なんです」
「へえ・・」
「肺の周囲に溜まって、進行すれば肺の中に溜まる」
「じゃあ・・」
「利尿剤で尿を出すことで素直に減ればいいんですが」
「もし悪くなったら・・」
「人工呼吸器が必要になるかも」
「機械でっか。先生・・」
彼は首を落とした。

「機械で動かされるんやったら・・」
「設定によっては、機械からの呼吸でなしに自分だけの呼吸でもいける場合が」

先日の胃癌のターミナルの例を思い出した。

「そうでっか。機械が一方的に押すってわけではないんやな」
「そうでない方法もなくはないです」
「じゃあ先生。出来る限り・・」
「・・・・・」
「お願いします」

家族が出たあと、ナースが1人愚痴っていた。
「もう年やのにい。ええんちゃうのお先生?かわいそうだしい」
「年だから挿管せんっていう決まりはない!」
「なっ・・?」
「それこそ、かわいそうだと思う」

だが、僕の不注意でこうなったのかもしれないんだ・・。

指示を出し、医局へ上がった。
うしろから品川くんがしつこい。

「ユウキ先生。郵便が」
「郵便?」
「松田、とあります」
「この先生もしつこいな」
「お友達ですか?」
「以前、大学でお世話になった先生だよ」
「オーベン、というやつで?」
「違うけど。ご親切に、転職のススメをしてくれるんだ」

封筒を破り、手紙を見る。

『ユウキ先生。名誉教授の息子さんの病院を断ったのは正解』

なんで知ってるんだ?まあいい。そんな世界だ。

『でもこれからは医局にいづらくなるでしょうね。おそらく大学へ戻されるでしょう』

だろうな・・。

『そこで先生。もう1度考え直されてはいかがでしょうか?例の病院の件。真田病院・分院』

「なんか、深刻な内容でも?」
品川君は顔色をうかがった。
「いや」
「差し支えなかったら、内容を」
「内容?内容はな・・ちょっと耳!」
「はいはい・・・小声でね」

僕は大声で叫んでやった。

「あのですね。♪はいりはいりふれはいりほお!」
「うわっ?」
「ハハハ!りはりふれ!ほっほお!」

階段を昇りきり、非常口ドアを開け彼を見下ろした。
セリフを決めようとしたが・・。

「大きくなれよ〜」
彼に先を越されたのには驚いた。

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