バイト先に到着。正面玄関から入ると鬼軍曹に見つかる。
夜の外来診療(夜診=やしん)はもうすでに始まっていた。

裏玄関から入る。

そのまま非常階段経由で、医局へ。

そこでは一部グループの勉強会の途中だった。
僕はそろりと机のほうに進んだ。

「両頸部の動脈・・厳密には総頚動脈だな」
ハカセが講義している。

「この動脈は脳のほうに向かうにつれて2本に分岐する。外頚動脈と
内頚動脈。これら頚動脈の壁。壁だな。血管の壁」

僕はおもむろに着替え始めた。

「ユウキ先生。プリント・・ありますか」
丸坊主のハカセは親切に中断した。
「あ、あるよ。どうも」

ジェニーが一瞬振り向いたが、すぐに向こうを向いた。

「続き。超音波で見えるこの壁の部分が重要だ。厳密には動脈の
内膜・中膜を見ていることになる。この厚さの計測が、動脈硬化の
進行の指標となる。これを・・アパム!」
アパムが急に当てられた。

「ひ・・・」

「時間がないから言うぞ。IMT。intima-media thickness。内中膜複合体厚。
観察にはこれだけでは十分ではない。動脈内の流速、血管径そのものの計測、
プラークの有無、狭窄」
「IMTの測定ぐらいなら、素人の僕でもできますね」
あるレジデントがつぶやいた。

「そうだな。でも計測は1箇所だけじゃダメだ。総頚動脈、頚動脈洞、内頚動脈
の3箇所でのIMTを、最も厚いところで計測することになってる」
「IMTの正常は・・」
「高齢者でも1.1mmまでだ」
「細いですね。普通のエコーのプローブでの計測は・・」
「当然、頚動脈用のプローブが必要だ」

僕は着替え終わり、ゆったりと座った。
とりあえず、周りに同化する。

「じゃあIMTがだんだん厚くなる場合はどうすれば・・?」
レジデントは質問を続ける。
「動脈硬化が進んでるってことだ。背景の血糖値や危険因子の厳密なコントロールを」
「厚くなり続けたら、予後が悪いんですね?」
「それも欧米で証明済みだ。脳卒中・心筋梗塞の発症が有意に増える」
「予後の指標ですね。どうも」
彼は呼ばれたらしく、紙をたたんで外へ駆け出した。

動脈硬化の程度をこうしてスクリーニングする方法としては、この「頚動脈エコー」の
ほかに「ABI=足首上腕血圧比」がある。前者は脳外科・循環器医が主にするのに
対し、後者は技師がするのでオーダーの機会は後者のほうが多い。検診的にも
よく行われる。

「次は症例検討だ。よろしく」
違うレジデントに代わる。中堅ドクターが2人ほど最前列にいる。

「ミエローマです。高齢男性。初発は胸痛」
彼は何も見ずに、配られたプリント内容をたんたんと述べている。驚きだ。
「TP(総蛋白)が高値でした。開業医の受診歴がありましたが、そこでも異常値
だったにも拘らず見落とされています」
「そこらの開業医じゃな」
中堅ドクターが皮肉る。

多発性骨髄腫=multiple myeloma = MM、単に「ミエローマ」とも呼ばれるこの疾患。
発症頻度は10万あたり3人と少ないが、内科医師なら疑い症例に誰もが出くわしてるんじゃないか。
年齢は60-70歳台にピークあり。

免疫応答の細胞のうち、B細胞というのがある。これが成長して最終形態となった「形質細胞」
というのは本来、抗体をミサイルのように送り出す。体にとっては防衛軍で、「ジェダイ役」だ。
しかしこの細胞が「腫瘍化」・・つまり異常な形となり無数に増えていく。ダークサイドに落ち、
ベーダー役となり悪の抗体を撒き散らす。悪の抗体というか、抗体の役目をもってない役立たずの
失敗作である。

この役立たずの集まりは処理されず、結果的に蛋白(TP)の増加という形で現れる。
また増える抗体によって病気のタイプが分類される。一番多いのは「IgG型(6割)」。
次にIgA型、BJP型(それぞれ2割ほど)と続く。

IgG型、IgA型では過粘チョウ度症候群を生じやすく、BJP型は腎障害を生じやすい。

「本患者のデータ、揃いました。ヘモグロビンの低下、正球性正色素性。高カルシウム。尿中電気泳動
でM蛋白を検出。正体はベンス・ジョーンズ蛋白。腎機能も悪いです」
「活動性はどう評価を?」
中堅ドクターが質問。
「血中M蛋白の量。それとβ2-MG」
「そんなに何回も測定できないだろ?」
「マルク(骨髄穿刺)での結果も・・」
「患者の負担も考えろ。基本は血中TPやカルシウムだろ。で、この患者はBJP型か。
このタイプの予後はどうなんだ?」
「本疾患で一番悪いです」
「腎障害があるからな」

全部ひっくるめても、この疾患の平均生存期間は32-36ヶ月が多い。

「治療は・・どうしましょうか?」
「お前の意見は?」
「70代で高齢者ですので・・僕は様子見でいいかと」
「何もしないの?」
「といいますか・・」
「なんでここに入院してるの?」
「それは・・」
「寝たきり?」
「歩けます。PS(安静度)はいいです」

中堅ドクターはしばらく考えた。

「MP療法だな。ただし少量の持続投与」
「少量持続・・」
「教科書ごときには載ってないぞ」
「は、はい。調べてからにします」
「当然だ。今日まで調べて、明日論文を見せるように」
「はい」
「内容も解釈して僕に見せろ」
「は、はい」
「ビスフォスフォネート、サリドマイド関連もな。知ってるか?」
「え?それも治療法・・・?」
「もういい。死になさい」

中堅ドクターは赤井先生の声マネをして終了した。
「さ!夜診の手伝いに降りるぞ!重症回診もやっとけ!」
みな一斉に散らばり始めた。

「ユウキ先生!」
中堅ドクターが呼び止めた。
「はい?」
「リウマトレックスという薬。昨日から使ってるんだが」
「せ、先生の患者さんですか」
「ああ。胸部のCTがこれだが。投与前のな。線維化はないだろ?」
「・・・呼吸機能検査は・・」
「拡散能か?この患者はモチベーションが難しく、実行できてない」
「KL-6は」
「線維化の指標か。投与前の検体で測定しとく」
「できればSP-DにSP-A・・」
「ほかないか?」
「動脈血ガスの圧較差・・・」
「俺、呼吸器は苦手でな」
「誰でも苦手はあります」

「だれでも、にがてはありま〜す」
みな固まった。鬼軍曹の声だ。

「僕にも君が、苦手で〜す!」
機嫌がいいのか、彼は腰で手を組んでニヤニヤしていた。
しかしそれはタダのまやかしだった。

「ボサッとするな!お前!」
「ひっ!」
「院長の見舞いはちゃんとしたのか!」
「見舞い・・!」
「バカモン!早く行け!」
「ど、どこ?」

彼は無言で僕の手を引っ張った。
「いてててて!」
「ホラア!はやくご挨拶して、重症回診に重症管理・・!」
「ててて!」
「寝るヒマなんかないんやあ!」

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