僕とジェニーはさっきの話題に戻った。
「ジェニー先生。2センチ以下がEMRの適応なら、この患者は・・3センチだよ。無理だね」
「赤井先生なら、ESDでなんとかやれると思います」
「ESD?」
「Endoscopic Submucosal Dissection。内視鏡的粘膜下層剥離術」
「さっきのEMRとは・・全然違うのかい?」
「EMRは小さい病変を取るんですけど、取り残しとかうまく取れない問題があったんです」
「病変を手前に引っ張って、根元を切る手技なんだな。EMRって」

僕は手帳のスケッチを見ていた。

「ESDっていうのは?ジェニー」
「粘膜下層から上を剥離するんです」
「粘膜下層を剥離?どうやって?」
「局注ですよ。生食とかいろいろ」
「すると、その上がモチみたいに隆起するのか?」
「そうなんです」
「簡単じゃないか」
「でも消化管の壁は薄いですから。経験要ると思います」
「そうか・・」
「この方法だと、2センチ以上でもできるんです」
「転移があくまでもない前提っていうのは同じだな」

あっという間に時間が過ぎ、僕らはカンファレンス室へ集まった。

「じゃ・・・在郷軍人病!」
みんな高らかに笑った。あまりにも忙しいと、何かふっきれたようになる。

「軍曹はちょうど気管支炎で高齢、ユウキ先生のおっしゃるとおり、
コンプロマイズドホストの状態だ」
彼はいつの間に作ったのかわからない資料を配った。

「原因のレジオネラ菌は、グラム陰性桿菌。感染時は食細胞である
好中球やマクロファージの内外で増殖する。問診で大事なことがあるな。
そう!温泉!循環風呂!」

温泉旅行の既往と、施設・・特に老健施設などにある循環風呂の存在だ。
施設の点検がきちんと行われていないと、レジオネラ菌がはびこることが多い。

「さっきのホームに聞いたが。ビンゴ!循環風呂の点検に問題があるようだ。たぶん近々
新聞に載るだろう」
「お前の名が?」
中堅医師がからかった。

「神経症状が特徴的だ。逆行性健忘に振戦、小脳失調」
「もの忘れ、まごつく手技、疲れてフラフラ・・お前らのことだ!」
中堅医師が笑いを取った。

「採血ではCPKや肝酵素、低ナトリウムなど。あまり特徴的とはいえないな」
「異型肺炎といくつか共通するんだよね」
僕がつぶやいた。
「比較的徐脈、肝障害という点とか」
「そうです。で、確定診断は尿中のレジオネラ抗原。血液検査は保険適応外です。
で、治療は・・エリスロマイシンが第一選択です。あと静注用キノロン」
「シプロキサンだね」
「そうです」
「炭ソ菌テロに備えて、承認が早くなった薬だな」
「はい。で、もし抗菌薬が不適応だったら致死率は6−7割。適応してれば1−2割。
エリスロマイシンはさきほど開始しました。こ、今後みなさん。気をつけましょう」

最後はやけに丁寧になり、勉強会は終了した。

「もう1つ!」
軍曹が出てきた。
「この菌は、人から人には感染しないのだ!よって俺にはその可能性はないのだ!」
「知ってました」
ハカセが笑顔で答えた。
「なぬ?こいつめ!」
鬼軍曹は走ってハカセを追いかけた。

付け足すが、レジオネラ症=<レジオネラ肺炎>と<ポンティアック熱>の総称。後者は軽症で
対症療法で治る。前者のレジオネラ肺炎を在郷軍人病と呼ぶ。区別されたい。

3人の患者はエリスロマイシンにて徐々に軽快をみた。

階段でジェニーとすれ違った。
「いろいろどうも。ジェニー先生」
「え?はい」
「・・・・じぇじぇ、ジェニー先生!」
「なんですか?」
彼女は疲れきった顔で上から振り向いた。

「今度、行ってみようか。その・・」
「行ってみよう?」
「欽ちゃんの、ドーンじゃなくて。その・・」
「急ぐんですけど」
「ああ、ごめん!時間があったら今度、車で一緒に。僕のターニングポイントになった場所」
「あ?静岡のですか?」
「そうだ!」

口実は、何でもよかった。

彼女はウーンと天井を見上げた。そして。

「じゃ、お願いします!」
照れたような表情がまた可愛かった。
「ジェニー先生。2日後の日曜日!電話する!」
「うん!」

ところが。彼女はまた振り向いた。

「絶対いきましょうね!」
「あ、ああ!」
「みんなで!」
「うん!・・・いっ?」
彼女は去った。

予後不良の一言だった。

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