常勤先の土曜日。僕はどことなく元気がなかった。
医局で呆然と腰掛けていると、品川君がやってきた。

「あ!嫌な奴が来た来た!そう思ってる!」
「・・・・・」
「ね、そう思ってるでしょう?」
「人の心は、わからん・・・」

彼は後ずさりした。

「もしかして、恋わずらい?」
「よせよ!」
「みなさん!ユウキ先生は今!」
「おい!」
だが幸い、医局には誰もいなかった。

「親友として教えてよ。ユウキ先生」
「またタメ口かよ・・」
「悩みがあるなら私めが。帝王様!」
「バット将軍かよ?」
「はあ?」
「ま、いい。じゃ、誰にも言うなよ」
「ええ。ふっふっふ・・」
「まだ何も言ってないだろ?」

僕は周りを一瞥し、語り始めた。

「もうあと10日もしたら、この病院もバイト先も潰れる」
「さようで。でも建物はそのまんま・・」
「僕や大勢のスタッフが、ここを去る。ジェニーもだ」
「ジェニー?ああ。あの。♪ありがとう〜、ジェニ〜・・・ジェニ〜!」
「明日、約束までこぎつけた」
「デートの?」
「うん。まあそうなのかなあ・・・」
「10日でケリを?十分じゃないですか」
「いや、それなんだけど。別にいいんだ。くっつくとかそこまでは」

彼は近くの机に座った。

「やれやれ。困った狼さんだこと」
「ジェニーに、自分の気持ちを分かってもらえたら、それでいいんだ」
「ウソつけ」
「ホントだ!」
「でも先生。ジェニー先生は今度、東京でしょう?」
「よく知ってるな・・」
「遠距離恋愛に持ち込むつもりで?」
「そうなればいいな・・」
「もう遠距離はこりごりでしょうが!」
「だがまだ知り合って間もないし」
「同じ過ちを!」
「過ちだと?」
「望み薄!」
「うるさい!」

僕らは犬と猿のように言い合った。
しかし彼は親身になって考えていた。

「なんですって?2人で行くとの違うので?」
「そうなんだ。誰か誘わないと・・それでなんだが」
「はいはい」
「品川くんもいっしょに」
「3Pは経験がなくて」
「バカ!もういい!」

僕は立ち上がってトイレに行った。アパムに連絡しよう。

トイレに入ると、品川君がドアを叩いてきた。
「僕だよ!ドク!開けて!」
「うるさい!入るな!」
「僕は未来から来たんだ!」
「何かの見すぎだぞ!」
僕はアパムの携帯番号を押した。

「ユウキ先生!じゃあこうしましょう!みんなで出発して、それで・・・
そうだ。僕が途中で抜け出します!」
「ふん。それで?」
「名古屋あたりでね。体調が悪いとかで」
「できるのか?」
「ええ。私は先生のためなら・・」

アパムが電話に出た。
「弘田先生・・・ごめん。間違い電話」

僕は少し微笑んで、トイレを出るなりピースした。
「アイスマン・・くせえ!」
「?じゃ。それでいきますか?」
「ああ!頼むよ!」
「3P計画と名づけましょう」
「だからやめろって!」

外来診察。病院がいったん閉鎖ということで、診療時間も短縮されていた。

スタッフの数も微妙に減っている。しかし民間のスタッフはそう簡単には辞めない。

国公立の病院と違い、民間のスタッフはこの仕事で生活を支えている人が多い。特にナース。母子家庭では彼女らそのものが家計を背負う。なので経営者が変わるとか方針がどうとかで簡単に職場を変えられない。

「胃カメラで、潰瘍は治ってました」
「そうでっか」
40代の働き盛り男性が写真をのぞきこんだ。
「じゃあこの白っぽいのが、治ったという印なんじゃな」
「瘢痕、というやつです」
「ほう・・・」
「でね、ピロリ菌が陽性でしたよね。潰瘍を繰り返しているから、除菌治療について
今日は話を」

パンフレットを取り出し、渡す。

「これって必ず成功するんでしょうかいな?」
「施設にもよりますが。成功率は7−8割といわれています」
だが最近は耐性菌(主にCAMに対して)などの問題で5ー7割と解釈している施設も多い。

「1週間抗生剤を2種類でっか。それと胃薬」
「そうです。副作用としては2割に下痢・軟便。抗生剤が2種類ですからね、なんせ」

CAM(クラリスなど)はしかも苦味をもたらすことあり(2.6%)。CAMの苦味は独特で、
小児はその味がイヤで薬を飲んでくれないこともある。

「失敗したら、どうなるんでっか?」
「当院では尿素呼気試験という検査で見てみますが、もしピロリ菌が消えてなかったら、
2度目の治療を勧めるつもりです」
「同じ治療でっか」
「そうです」
「3回目もありでっか?」
「いや、それは・・・」

痛いところをつかれた。

「3回目となると、同じ薬ではダメなんです。しかしこの場合・・」
保険適応外の薬になるなど、課題は多い。

「ま、受けましょうか」
すんなり受け入れてくれた。
「看護婦さん?尿素呼気試験は・・いけるよね?かなり先だけど」
「それが先生・・」

メガネ事務長だ。

「新しい経営者になりますと、その検査は引き上げでして」
「じゃあ何で検査を?」
「といいますか、当院では外来はあまり積極的には・・」
「じゃあ抗体検査くらいかい?」
「ええ、まあ・・・」
「抗体検査より尿素呼気のほうがいいと思うんだが」
「はあ・・・ですが経営者の方が」

やれやれ。新しい病院も大変だな。コスト重視はいいが、現場を
無視し続けている。日本は以前のように、徒党を組んで一致団結する
精神がない。そこを僕ら労働者は利用されている。国や経営者にだ。

物価に関してもそうだ。納得いかない価格のものも多い。
例えばDVDソフト。日本では新作が3000-4000円。ところがアメリカでは
1000-2000円レベルだ。この差は何か?アメリカでも以前は日本くらいの
価格で売られていた。しかし市民は高すぎると主張、いっせいに買わない
運動が高まり売れなくなった。困ったメーカーは価格を下げ、今の段階で
売れるようになった。結果的に爆発的に売れ、メーカーは得をしたわけだが。

こういう動きが、日本にはない。

僕はヒマな外来の机で半分寝ていた。

「お疲れですね」
新人ナースがお茶を持ってきた。彼女は未だにキュートだった。
「おう!すまないな!」
「品川さん、何かあたしのこと言ってます?」
「は?」
「お母さんは、もう分かれなさいって言うんだけど・・」
「分かれなさいって・・・つきあってるの?まだ?」
「浮気してなでしょうか。彼」

知らんよ。

「品川君はまじめな奴だよ。浮気なんか・・」
「本当に?」
「仕事場が変わっても、君を大切にするとかなんとか・・」
「言ってました?」
「だったような」
「ありがとう。先生。お母さんに相談してみる」
「はあ?なんでお母さんに?」
「あたしとお母さんは、大の仲良しなんです」
「親友?」
「そう!お母さん大好きっ子なんです!」

アホか・・・。
品川くんも、これから大変だな。

「あたし、絶対彼から離れませんから!」
「ふんふんそうだね。そうしたら?」

僕が廊下へ出ると、MRや卸が数人座っていた。

「君ら。あのナースが目的なんだろ?」
そう言うと、彼らは首を横に振りながらニヤニヤしていた。
「甘いな!甘い!」

僕が正面玄関へ出たところ、携帯が鳴った。

「先生。病棟は落ち着いてる?」
副院長の声だ。これは・・ただ事ではない。

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