プライベート・ナイやん 5-14 九死に一生
2005年5月30日僕が正面玄関へ出たところ、携帯が鳴った。
「先生。病棟は落ち着いてる?」
副院長の声だ。これは・・ただ事ではない。
「今すぐ、出勤できる?」
「え?ええ・・・しかし明日は」
「今。今、来て欲しい。今は1人でも」
「心カテでしょうか?」
「いや違う。どうしても頼みたい」
「重症ですか?」
「それは来てから」
何だ?
「赤井先生。できれば内容だけでも」
「うん。じゃあ引き受けてくれるわけだね」
「はい」
「よし。赤ん坊を頼む」
「え?」
「沖田院長は入院中で、調子が悪い」
「赤ん坊の世話・・・今日だけですか?」
「いや。日曜の夜。できたら月曜日の朝まで」
僕はカッとなった。
「ダメです!それは絶対にダメ!」
「え?」
副院長ははじめてたじろいだようだ。
「明日の朝からは・・・ダメです!絶対です!」
「用事?」
「え、ええ。ほ、法事が」
「法事か。仕方ないな。では別の人間に頼むとする」
「では赤井先生。明日の早朝までは僕が」
仕方なく、一部引き受けた形に。
「沖田!さっさとオペして、退院しなよな!」
アクセル全開で、マーク?は官舎を出た。
気が焦るのか、カーブでのハンドルがぎこちなく急だ。
山のカーブとも、もうすぐオサラバか。トンネルが近づく。
手前は橋で、両側は当然、川だ。
トンネル前は濡れている。タイヤは水に沿って回っている。
どうやらおかしい。タイヤが微妙に左右にずれる。
そうだ。山道ばかり走ってるから、タイヤが擦れているんだ。
ガソリンスタンドでもワイヤーが少し出かかってると言われた。
だがタイヤ交換するほどの時間はないし、金もない。
トンネルの前に来たとたん、それは起こった。
「わっ?ちょっと・・!」
車がいきなり斜めを向いたので急いで立て直すと、今度は
反対の斜めに向いた。調整しようとするうち、車は時計回りに
回転し始めた。
「うわ!うわ!」
フロントガラスに、対向車であろう車が何台か映った。トンネルから
出てきた車だ。しかしこちらはコントロール不能で、絶えずハンドルを
廻してる。車は等速に円運動をし続けた。
「死ぬ!死ぬ!」
僕はこのまま死ぬのか。
あのとき、ガードレールにぶつかりかけたときに車を点検してもらう
べきだった。ごめん。今度はちゃんとします、ちゃんとします・・・!
車が対向してくるたび、全身の毛穴が開いた。しかし衝撃を受ける
ことはなく、円運動は次第に対向車線で止まっていった。
「ふう・・・」
冷や汗が、ドッと噴き出した。ドラマならここで音楽だろうが、無事なら
無事で、また目的地へ向かうしかない。
車は法廷速度並みになり、おそるおそる赤ん坊の待つ家へと向かった。
僕は家の玄関先で立ち止まった。
息を殺し・・・
「ごめんください」
待つこと2分。中でガチャガチャ、という音。
<ダイアナ>が場違いな黒いドレスで出てきた。
「はああ!間に合わん!間に合わん!」
「こんばんは。何か変わりは・・」
「あらへん!」
彼女はタクシーに乗り込み、また街へと消えていった。
「失礼します・・」
運良く、赤ん坊は寝ていた。今はスタッフが激減したため、
この赤ん坊の当番の回数が増えていた。しかし、これもあと
10日足らずだ。そう思うと胸が痛い。
だが、どうも調子が悪い。体が自分のもののようでない・・。
おかしいぞ。
そういや唾を飲み込むと・・どこかひっかかる。ヤバイ。
風邪をひいているらしい。僕は首の両側のリンパ腺を触れてみた。
痛い。腫脹してる。カッターのエリがどことなく当たってキツイ。
弱気になったとたん熱っぽくなってきた。
この赤ん坊に移ってもいけないな。
僕は赤ん坊から距離をおき、お互い部屋の隅と隅に分かれた。
しかしそれでも移るのが心配のため・・・
2階の床で寝ることにした。戸は開けっ放しで下の声が聞こえるように
配慮を。
苦しい。だるい。熱い風呂に入っているようだ。
いったい何度あるんだろう。
性格上、体温計で測るのはイヤだった。熱があるのを認めることになる。
外来での患者への対応と逆なのが情けない。
喉が渇いた。
「しまった・・!今日は何も持ってきてない・・・!」
夕ご飯はおろか、飲み物さえも。
僕は1階の冷蔵庫を開けた。
「ビールしかない・・・」
缶ビールの山だった。酒はダメだ。利尿作用で、逆に脱水になってしまう。
尿路結石の患者が<水分補給>と称してビールをがぶ飲みし、
結局脱水になって夜間に結石を再発するという事実を思い出した。
そんなことはどうでもいい。み、水が欲しい。
ユラユラ歩く僕は、洗面台の水を流してみた。
どう見ても白っぽい。飲むのは毒だ。風呂場の水も同様だろう。
玄関をガラッと開けたが、外は住宅しかなく自販機も見当たらない。
仕方ない。やっぱり洗面台の水を・・・。
待てよ?そうだ!
僕は赤ん坊のミルク作り専用の水の入ったボトルに注目した。
常温で置いてあるその水は1リットルボトルで2本ある。
1本くらい飲んでもよかろう。僕は張り切ってフタを開けた。
コップに少し移して飲むと、なんの味もないが・・
「おいしいこと、この上なし!」
これで薬でもあれば・・。
携帯に電話だ。品川君だ。
「先生。こんばんは!」
「なんだよ?」
「試合のほう、出席でいいんですね?5日後くらい」
「村民との試合?それもあったな。ああ!そうだ!」
「では伝えておきます」
「強いのか?相手は」
「みんなユウキ先生を集中攻撃するそうです」
「へえ?やったろうじゃないか!」
「私も助太刀を」
「そのときはよろしく」
「明日の朝は、病院で待ち合わせですね?」
「ああ。頼む」
電話を切ったが、実は不安でいっぱいだ。
「ひい・・・・みんな僕をいじめる・・・ん?」
足元が冷たいと思ったら、床が水浸しになっている。
その中に赤ん坊が四つんばいになっていた。
赤ん坊がボトルを倒したのだ。
「ば、ばかもの!」
ハッハッと機嫌がよさそうな赤ん坊の口は、やがて<へ>の字に変わった。
眉間にシワがより、険しい顔になっていく。
「し、しまった。泣くな!」
「ふ・・・・ふ・・・ふんげ・・・」
「すまん!泣かないでくれ!」
「ふんげ!ふんげ!ふんげ!」
間に合わず、赤ん坊の号泣が始まった。
「あああ!しまった!」
「ふげ!ふげ!ふげ!ぎゃあ!ぎゃあ!ぎゃあ!」
水浸しの赤ん坊を抱き起こし、タオルの上に寝かせた。
これでは全部、着替え直しだ。
しかしやはり疲れているせいか、1つ1つの動作がトロく、
時間を要する。
ボトルはとうとう1本だけになってしまった。この赤ん坊の場合、
一晩で半分は確実に使う。
また携帯が鳴った。
「ユウキ先生。品川ですけど、いけました」
「何がいけただ!スカタン!」
「はあ?試合参加の許可が出まして・・」
「そんな電話よこすから、こんなことになった!」
「こんなことって、どんなこと?」
「びしょ濡れだ!バラモン!」
「バラモン?カースト制度?」
「服が汚れたんだ!着替えしないと!」
彼は受話器の向こうで笑っている。
「ははは。さては先生。変な店にでも行ってますね?」
「違うわい!」
「踊り子に手を触れたりしたんですか?」
「切るぞ!」
明日のデートが思いやられる。
「先生。病棟は落ち着いてる?」
副院長の声だ。これは・・ただ事ではない。
「今すぐ、出勤できる?」
「え?ええ・・・しかし明日は」
「今。今、来て欲しい。今は1人でも」
「心カテでしょうか?」
「いや違う。どうしても頼みたい」
「重症ですか?」
「それは来てから」
何だ?
「赤井先生。できれば内容だけでも」
「うん。じゃあ引き受けてくれるわけだね」
「はい」
「よし。赤ん坊を頼む」
「え?」
「沖田院長は入院中で、調子が悪い」
「赤ん坊の世話・・・今日だけですか?」
「いや。日曜の夜。できたら月曜日の朝まで」
僕はカッとなった。
「ダメです!それは絶対にダメ!」
「え?」
副院長ははじめてたじろいだようだ。
「明日の朝からは・・・ダメです!絶対です!」
「用事?」
「え、ええ。ほ、法事が」
「法事か。仕方ないな。では別の人間に頼むとする」
「では赤井先生。明日の早朝までは僕が」
仕方なく、一部引き受けた形に。
「沖田!さっさとオペして、退院しなよな!」
アクセル全開で、マーク?は官舎を出た。
気が焦るのか、カーブでのハンドルがぎこちなく急だ。
山のカーブとも、もうすぐオサラバか。トンネルが近づく。
手前は橋で、両側は当然、川だ。
トンネル前は濡れている。タイヤは水に沿って回っている。
どうやらおかしい。タイヤが微妙に左右にずれる。
そうだ。山道ばかり走ってるから、タイヤが擦れているんだ。
ガソリンスタンドでもワイヤーが少し出かかってると言われた。
だがタイヤ交換するほどの時間はないし、金もない。
トンネルの前に来たとたん、それは起こった。
「わっ?ちょっと・・!」
車がいきなり斜めを向いたので急いで立て直すと、今度は
反対の斜めに向いた。調整しようとするうち、車は時計回りに
回転し始めた。
「うわ!うわ!」
フロントガラスに、対向車であろう車が何台か映った。トンネルから
出てきた車だ。しかしこちらはコントロール不能で、絶えずハンドルを
廻してる。車は等速に円運動をし続けた。
「死ぬ!死ぬ!」
僕はこのまま死ぬのか。
あのとき、ガードレールにぶつかりかけたときに車を点検してもらう
べきだった。ごめん。今度はちゃんとします、ちゃんとします・・・!
車が対向してくるたび、全身の毛穴が開いた。しかし衝撃を受ける
ことはなく、円運動は次第に対向車線で止まっていった。
「ふう・・・」
冷や汗が、ドッと噴き出した。ドラマならここで音楽だろうが、無事なら
無事で、また目的地へ向かうしかない。
車は法廷速度並みになり、おそるおそる赤ん坊の待つ家へと向かった。
僕は家の玄関先で立ち止まった。
息を殺し・・・
「ごめんください」
待つこと2分。中でガチャガチャ、という音。
<ダイアナ>が場違いな黒いドレスで出てきた。
「はああ!間に合わん!間に合わん!」
「こんばんは。何か変わりは・・」
「あらへん!」
彼女はタクシーに乗り込み、また街へと消えていった。
「失礼します・・」
運良く、赤ん坊は寝ていた。今はスタッフが激減したため、
この赤ん坊の当番の回数が増えていた。しかし、これもあと
10日足らずだ。そう思うと胸が痛い。
だが、どうも調子が悪い。体が自分のもののようでない・・。
おかしいぞ。
そういや唾を飲み込むと・・どこかひっかかる。ヤバイ。
風邪をひいているらしい。僕は首の両側のリンパ腺を触れてみた。
痛い。腫脹してる。カッターのエリがどことなく当たってキツイ。
弱気になったとたん熱っぽくなってきた。
この赤ん坊に移ってもいけないな。
僕は赤ん坊から距離をおき、お互い部屋の隅と隅に分かれた。
しかしそれでも移るのが心配のため・・・
2階の床で寝ることにした。戸は開けっ放しで下の声が聞こえるように
配慮を。
苦しい。だるい。熱い風呂に入っているようだ。
いったい何度あるんだろう。
性格上、体温計で測るのはイヤだった。熱があるのを認めることになる。
外来での患者への対応と逆なのが情けない。
喉が渇いた。
「しまった・・!今日は何も持ってきてない・・・!」
夕ご飯はおろか、飲み物さえも。
僕は1階の冷蔵庫を開けた。
「ビールしかない・・・」
缶ビールの山だった。酒はダメだ。利尿作用で、逆に脱水になってしまう。
尿路結石の患者が<水分補給>と称してビールをがぶ飲みし、
結局脱水になって夜間に結石を再発するという事実を思い出した。
そんなことはどうでもいい。み、水が欲しい。
ユラユラ歩く僕は、洗面台の水を流してみた。
どう見ても白っぽい。飲むのは毒だ。風呂場の水も同様だろう。
玄関をガラッと開けたが、外は住宅しかなく自販機も見当たらない。
仕方ない。やっぱり洗面台の水を・・・。
待てよ?そうだ!
僕は赤ん坊のミルク作り専用の水の入ったボトルに注目した。
常温で置いてあるその水は1リットルボトルで2本ある。
1本くらい飲んでもよかろう。僕は張り切ってフタを開けた。
コップに少し移して飲むと、なんの味もないが・・
「おいしいこと、この上なし!」
これで薬でもあれば・・。
携帯に電話だ。品川君だ。
「先生。こんばんは!」
「なんだよ?」
「試合のほう、出席でいいんですね?5日後くらい」
「村民との試合?それもあったな。ああ!そうだ!」
「では伝えておきます」
「強いのか?相手は」
「みんなユウキ先生を集中攻撃するそうです」
「へえ?やったろうじゃないか!」
「私も助太刀を」
「そのときはよろしく」
「明日の朝は、病院で待ち合わせですね?」
「ああ。頼む」
電話を切ったが、実は不安でいっぱいだ。
「ひい・・・・みんな僕をいじめる・・・ん?」
足元が冷たいと思ったら、床が水浸しになっている。
その中に赤ん坊が四つんばいになっていた。
赤ん坊がボトルを倒したのだ。
「ば、ばかもの!」
ハッハッと機嫌がよさそうな赤ん坊の口は、やがて<へ>の字に変わった。
眉間にシワがより、険しい顔になっていく。
「し、しまった。泣くな!」
「ふ・・・・ふ・・・ふんげ・・・」
「すまん!泣かないでくれ!」
「ふんげ!ふんげ!ふんげ!」
間に合わず、赤ん坊の号泣が始まった。
「あああ!しまった!」
「ふげ!ふげ!ふげ!ぎゃあ!ぎゃあ!ぎゃあ!」
水浸しの赤ん坊を抱き起こし、タオルの上に寝かせた。
これでは全部、着替え直しだ。
しかしやはり疲れているせいか、1つ1つの動作がトロく、
時間を要する。
ボトルはとうとう1本だけになってしまった。この赤ん坊の場合、
一晩で半分は確実に使う。
また携帯が鳴った。
「ユウキ先生。品川ですけど、いけました」
「何がいけただ!スカタン!」
「はあ?試合参加の許可が出まして・・」
「そんな電話よこすから、こんなことになった!」
「こんなことって、どんなこと?」
「びしょ濡れだ!バラモン!」
「バラモン?カースト制度?」
「服が汚れたんだ!着替えしないと!」
彼は受話器の向こうで笑っている。
「ははは。さては先生。変な店にでも行ってますね?」
「違うわい!」
「踊り子に手を触れたりしたんですか?」
「切るぞ!」
明日のデートが思いやられる。
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