しばらく無言が続く。バックミラーでは品川くんがこっちを見て微笑んでる。

「何?品ちゃん」
「いやいや。何か音楽でもと。ここにあるCDかけてよ!」
彼は足元のディスクケースを拾った。
「心臓聴診ディスク・・呼吸音聴診ディスク・・?」
「勝手に見るなよ!」
「勉強ばっかりすっから!」

彼女は後ろを覗き込んだ。
「品川さんって、事務員の方ですか?」
「は!はい!じむいんです!ひらですが!」
「今度の職場では事務長だよ」
僕が説明した。

「ユウキ先生と仲いいんですね」
彼女をそっと見ると・・・口紅を塗っているのがわかった。

「ええ。僕らマブダチですから。朝立ちも一緒」
何を言ってるんだ。この野郎・・。
彼女は気づかず、話し続けた。

「じゃあ、あたしがゆくゆくその病院で働くこともできるんですか?」
「へえ!そりゃもう!もちろん!顔パスで!へえへえ!」
「顔パス?」
「もうそのビューティフルな笑顔に釘付け!」
このバカ野郎・・・!

この男を会話から遠ざけよう。

「弘田先生」
僕はアパムに声をかけた。
「確か。脳梗塞の患者が入ったよね。74歳」
「そそ、そう・・・」
「治療はあのまま?」
「へ、へ。はい」

品川君は首をかしげた。
「あんた。いっつも、そんなしゃべり?」
僕は無視して続けた。

「弘田先生。その事務員は昨日酔っ払って、その酔いが残ってるんだ。
気にしない気にしない」
「ひとやすみひとやすみぃ」
品川くんが雰囲気をどうしてもリードしてしまう。
なんとか彼を会話から引きずり出したい。

※ 以下の内容は2004年ガイドラインを踏まえたもの。

「ジェニー先生。イナカ救急ではt-PAは使用は・・」
「脳梗塞の急性期ですね。時々、使用してますよ」
「あれは経験のある施設だけだろう?」
「保険適応外ですけどね」
「たしか6時間以内?」
「3時間以内です」

品川君は全く入っていけないようだが、レセプト病名などの経験のため
分からないこともない。
「ふーん。そうなんだ〜。へえ〜・・」

「僕らが研修医のときは、ウロキナーゼ使ってたけど」
「1日6万単位ですか?あれってどうみても少ないらしいですね」
「確かに、効いてなかった気がする」

結局仕事場の会話の調子が進んだ。
品川君が後ろから邪魔に入った。

「僕もレセプトでよく見る見る。ヘパリンとかね」
「ヘパリンもよく使うけど。ホントのとこはどうなのかな?ジェニー」
僕はあくまでも彼女のほうにふった。

「ヘパリンも結局、使用は確立されてないんですよね。ね、弘田先生」
「あ、あおうう・・」
彼女のアパムへの心遣いなど、可愛らしい配慮が心をくすぐる。

「グリセオールとかもよく使ってるなあ」
品川君がまた入ってきた。
「グリセはよく使うが、マンニトールはどうなのかな?ジェニー」
「グリセと違って、マンニトールは効果の根拠が乏しいんですよね」
「さすがジェニーだなあ」
「せ、先輩にはかないませんよ」

やめてください。そんな言い方。

僕は景色をまったく鑑賞していなかった。
車は生駒から三重県へ向かう道を選んでいた。

「スカイパークだ!スカイパーク!」
品川君はアパム先生の横を指差した。
「乗ろうよ!ジェットコースター!♪波は〜ジェッコオースター!」
「♪フ〜フフ〜フ〜」
彼女は鼻歌を歌いだした。

「あれ?行き過ぎちゃうの?」
わざとらしい彼の言葉をよそに、車は看板を通過した。
「目的は静岡だもんね。ジェニー先生、っていうの?先生」
「はい、そうです」
彼女は心を許したように微笑んだ。
「名前は?苗字」
「みょうじですか。あたし、この名前嫌いなんですけど・・」
「ふんふん!どうぞ!」
「ぜにがめ・・・」

彼は一瞬、固まった。僕はその名前は知っていた。

「ぜにがめ?それで・・ジェニー?なるへそなるへそ!」
彼は何度も頷き、感心していた。
「ん?で?銭亀・・・ジェニーと亀・・・亀!」
彼は何かに気づいたようだった。
「ウサギと亀!う・・・うわっはっは!」

会話は完全に彼の独壇場だった。

「こりゃいい!ユウキ先生!ちょうどいいじゃないですか!」
「るさいな・・・!」
「うさぎさん!よかったよかった!ねえ!」
彼はまるで酔っ払いだった。

僕は説明した。
「ジェニー先生。うさぎさん、は僕のあだ名なんだ」
「ええ?そうなんですか?でも救急では・・」
「?」
「駆けてくるの、遅い気が・・」
品川君は噴き出した。
「あっははははは!」
「ふ・・・ふふ・・・・」
アパムまで笑い出した。

車は三重県に入った。

「もうすぐ名古屋だな。なあ、品ちゃん!」
僕はミラーを見つめた。
「うん。そうだね」
彼は平気な顔だった。

彼女は窓の外を見ている。少し退屈そうに見えた。

「ジェニー先生。東京の救急施設に行くっていう方針。あれは今も?」
「はい。もう採用が決まりましたし」
「そうか。だろうな。ジェニー先生ならやれる」
「ユウキ先生も来ます?」
「あ、それダメだから!」
品川君が入ってきた。
「ユウキ先生は、真田病院の大事なお客さんなので!」
彼の表情は真剣だった。

「え?ユウキ先生は大学に行くんですよね?」
彼女は真田病院のことは知らなかった。
「ジェニー先生。僕は・・・大学は戻るけど。でも半年くらいで彼の
病院へ行く計画なんだ」
「えっ?どうしてそんなこと、するんですか?」
「♪わ〜すれられないの〜」
品川君は歌い始めた。

「品ちゃん!やめろよ!」
「♪あ〜の人が・・」
「やめろって!」

彼女は何か感づいたようだった。

「本命がいるんですか?」
「は・・」
「大学で本命ともしうまくいったら、どうするんですか?」
何もかも、お見通しだった。
「グッチっていう<彼女>もそこへ?」
「な、何を言ってるんだ?ジェニー先生・・・」
「どんな人かは知らないけど。ま、私には関係ないですから」

疲れているのか、周囲の車をものすごく速く感じていた。マーク?は減速し、サービスエリアに入って停車した。

「あたし、トイレ行ってきます」
彼女はトイレへ歩いていった。
「弘田先生も、今のうちに。さ!」僕は勧めた。
「ひ、ふ・・・」
彼もトコトコ歩いていった。

「このバカ!」
僕は振り向いた。
「お前があんな歌、歌うから!」
「つい口から・・」
「ふざけやがって。お前の病院なんか、行かないぞ!」
「そんな」
「ああ!行ってやるもんか!あの話はナシだ!ナッシング!」
「先生。反則っすよ。まさかここまで可愛い子だとは・・」
「打ち合わせどおり、名古屋で降りてくれよ!さもないと!」
「ええ、ええ。分かってますって」
彼はかなり不服そうだった。

「でもユウキ先生。くれぐれも東京に行くなどそんな考えは・・」
「わかってる。それはない。そこまで彼女にのめり込んでない」

いや、その逆だ。

「私はユウキ先生の、そこが怖いんですよ」
「なに?」
「自分の行動を、感情に任せすぎなんですよ」
「感情で行動して、何が悪い?」
「ほら。そうしてすぐカッとなる。よく医者でつとまる・・・?」
「?」
「顔色、悪いですよ。先生」
「え?ああ・・・実は風邪でね」
「僕にも移る?」
「かもな」
「そういや、なんか・・・・うっ?」
彼は少し咳き込んだ。
「じ、自分までしんどくなってきた・・・!」…

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