名古屋も近くなってきた。予定通り、品川君は運転席まで身を乗り出した。
「ふう。ほんとにしんどい・・」
「どこが?」
「どこがって。全身倦怠感。咽頭痛」
「ほんとに風邪ひいたな」
「先生。薬持ってないですか?」

僕は自分の薬は夕方の1回分しかない。これを渡してもいいのだが・・。
おそらく僕はそれ以上のしんどさだ。

「ユウキ先生。引き返しましょうよ」
ジェニーが警告してきた。
「可愛そうです。彼が」
「あ、ああ。でも・・・」
「いいんですいいんです!大丈夫!」

言い訳する彼を、彼女はいきなり診察し始めた。
「喉開けて。あーん」
「あーん・・・」
「首のリンパ節・・」
「そうそう。そこ痛い」
「胸は大丈夫です?」
「そ、そういやなんか・・」

彼女は大きなバッグから聴診器を取り出した。

「ジェニー先生。なんで聴診器を?」
「いつも持ち歩いてるんです」
彼女は彼の聴診までし始めた。
彼は感無量だった。

「そ、外から見たらまるでお医者さんゴッコ・・!」
「こういうの、なんですか?」
彼女は彼にかなり好意的に見えた。
「大丈夫だと思うけど。胸が痛い・・?」
「息をすると、ちょっと」
彼は少し息切れぎみだった。

「気胸ってことないよね」
彼女は僕に指摘した。
「まさか。ないだろ」
「でも、息が苦しそうだし」
「品ちゃん?咳をすると胸に響く、って意味だろ?」
「大きな息が吸えないんだよ」
「ホントか?」

立場上、経過観察というのもどうか。
僕はいろいろ考えた。

「しょうがないな。高速降りて、病院を受診しよう」
少し不機嫌な僕を、彼女は一瞥で感じたようだ。

車は名古屋の市街地へ降り、適当な救急指定病院に停まった。
個人病院の待合室には僕ら4人しかいない。

静かな外来受付へ、病棟からナースが汗だくで降りてきた。
「はいはい?風邪?」
「息も苦しくて」
品川君は立ち上がった。僕が風邪を移したのは悪かった。
まして肺炎や気胸まで併発させたとしたら・・。そんなことはないと
思うが、ジェニーが許さないだろう。

「検査に行ってきます・・」
彼は診察室へ消えた。ドクターは裏口からの登場のようだ。

「ジェニー先生。すまない」
「え?別に・・」
「何が何でも目的地に行こうとしたりして」
「うーん。ま、また今度行きましょうよ」

今度か・・。いつなんだ?もう時間がない。
次はない。

「で、でも・・・」
アパム先生は珍しく動揺していた。
「じぇ、じぇに・・・・でも・・・」
「弘田先生。どしたの?」
「うん。また言いますから」
彼女は遮った。何か隠しているようだ。
女の隠し事は、何かの切り札だ。要警戒だ。

「家族の方も。どうぞ」
ナースが出てきた。僕は反射的に立ち上がり、診察室に入った。
そこには高齢の男性医師がレントゲンを説明していた。

「右の下の、ここ!入院しなさい」
「にゅういんはねえ・・ゴフゴフ!」
彼は困っていた。僕も写真を確認してみた。確かに右の下肺は
脈管が集中してたりして一見肺炎に見えないこともないが、
それはここのレントゲンの質によるもののようだ。

僕の見る限り、肺炎はない。気胸がないのは何よりだが。
あるとしても気管支炎までといったところか。

「肺炎です。入院」
頭の禿げて太った高齢医師は、平然と入院をすすめた。
「大阪が地元でして」
「あんた。死にたいのか?」
医師は彼を脅すように迫った。
「とにかく今日は入院せんといかん!肺炎肺炎!」
医師は譲らなかった。

「はい。じゃあこっちですよー」
ナースは彼の衣服を脱がしにかかった。
「え?うそ?」
彼は僕を見つめた。
「どど、どうしよう?マジ?」
「主治医の先生!」
僕は主治医に問うた。

「自分はヒラの勤務医なので恐縮なのですが。呼吸状態が問題なさそうなら、
大阪へこのまま連れて帰ります。できれば点滴と処方のみ・・」
「う!うるさい!しつこい!」
彼は逆上してきた。
「とにかく一晩でも入院しないと!」
彼は意見を聞くこともなく、入院時指示を記入し裏口へ出て行った。

瞬く間に彼は車椅子に座らされた。

「ユウキ先生。しんどいのは本当なんで。今日は一晩ここにいます」
「強引な病院だな・・」
「先生方は、そのまま行ってください」
「いや、しかし」

ジェニーとアパム先生が歩いてきた。

「入院、するんですか?」
「今日だけね」
「ユウキ先生。写真は?」
「気胸はない。気管支炎かな」
「かわいそう・・」
彼女の目が少し潤んだ。

「すみません。調子が悪いのに・・」
彼女は彼の肩に手を置いた。
「いえ。自分は楽しかったので。生きててよかった」

彼らは知らぬ間に2人の世界を創造していた。

「か、看護婦さん!病棟へ行きますよ!」
僕は車椅子を押し、エレベーターへ入った。

「部屋はここでーす」
ナースに連れられて入った部屋は、天井から経管栄養チューブが
何本もつり下がっているところだった。8人部屋だが、7人はそれだ。
つまり口をきけるような人がいない。

品川君は固まったままベッドに寝かされた。

「ま、明日の朝には帰りますから」
「あのドクターが主治医なら、許可もらうのも大変だな」
「なんとかします。あ、気分マシになってきた。看護婦さん。点滴には何か・・?」
「えー?あ、まだ落ちてなかった」
「・・・・・」

僕ら3人はそろそろ出て行く準備をした。

「3人とも、どうぞこのまま旅を続けてください。ジェニー先生も」
「そんな。行けません」
「今日という日を、彼はずっと以前から楽しみにしていたので」
「え?そうなんで・・」
彼女は僕をチラッと見た。

「どうか。彼のわがままを聞いてやってください。最後のお願いとして」
まるで重病患者のように、彼は力ない声で囁いた。
「真田病院の次期事務長として、お願いいたします」
「・・・・・」
彼女はいろいろ考えていた。

「あたしはいいいけど・・・」
彼女は僕のほうをうかがった。
「弘田先生も、いい?」
「う、うう・・・」

僕らは病院を出た。

彼女は助手席に乗らず、後ろに乗った。
「静岡の海岸でしたよね。何かあるんでしたっけ・・」
彼女はあまり興味なさそうだった。
「何って・・・海だよ」
「海か。うん。行きましょう!」

複雑な思いで、マーク?のハンドブレーキを手前に解除した。

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