1999年の年末。真田病院は今後の生き残りのため大学病院との連携を図るべく、教授らとのアプローチを試みた。しかし大学医局との壁は予想以上に厚く、またそこには様々な困難が待ち受けていた。
 一方世間は2000年問題対策に追われ、真田病院でもマニュアル作成などで大忙しだった。問題は医療器械面の対策で、とりわけ旧型呼吸器を多数抱えた本院ではそれが最大の課題だった。中でもダイヤルが2〜3しかない<最旧式型>1台は処分が検討された。
 大学病院・業者に協力を要請。デモンストレーションも行われ、とりあえず万全の対策が施されたと思ったとき、<それ>は起こった・・・。

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