医局では事務長が秘書と話していた。

僕は医局のテレビをつけた。しばらくソファで休憩。秘書さんの入れたコーヒーをみんなで味わう。

深く腰掛けていた僕は、もぞもぞと動き始めた。

「じゃ、オレはもう1回・・・重症の患者回診と、落ち着いている患者の回診を。
5時半までには戻る」
「自分も行きます」
学生は脱いだ白衣をまた着た。

「今からはオレのペースでやるから、ついて来られるのは・・」
「迷惑ですか?」
「そうじゃないけど・・」

学生はついてきた。僕はいきなり走り出す。

「逃げるんですか?」
「いやいや!いつもこんな調子なんだ!」
「いきなりダッシュするから・・」
「ダッシュダッシュ!バンババン!」

僕は軽症の病棟へ降り、掲示板を確認。要注意事項のみメモ。
その患者からまず回診。

大部屋へ。中年男性。

「先週の血管拡張・・してからは、どうです?」
「ああ。大丈夫。どうもない」
横に同じく中年のワイフ。
「ユウキ先生。どうもありがとうございます」
「いえいえ。処置を始める時間が遅くなって大変・・・?」

ワイフの動きがおかしい。男性がめくばせすると同時に、ポケットに
手を入れている。そのまま一目散にこっちへ。刺されるかというくらいの気迫だ。

ワイフはカーテンをサーッと閉め、僕の白衣に片手を突っ込んだ。
「これ!これ!」
小声だが息荒く、ワイフは何度もポケットに押し込んだ。
「え?なに?え?」
僕は慌ててポケットに手を入れようとした。

「気持ちですけえ!少ない!ほんとに少ないんやあ!」
「だ・・ダメだよ!ダメ!」
小声での奮闘が続く。

「こら!いかん!いかんって!」
ワイフが睨みをきかせた。
「遊んでっていうわけやない!本とか買って欲しいんや!」
「ほん?」
「医学書とか、専門書!」

やっと落ち着き、僕は苦い顔をした。
「困ったなあ・・・やれやれ」

何が困っただ。

僕と学生は廊下へ出た。
学生はニヤニヤしている。
「お金もらったんですか?」
「しっ!」
僕は人差し指を立てた。

「でも先生。詰所には<一切お断りします>と」
「うん。そうだけど・・・だけど」
「・・・・・」
「気持ちは素直に受け取ったほうが」
「それってどうかと思いますが」

学生はシビアだった。

「ではユウキ先生は、それで医学書を買われるのですか」
「お!おう!当たり前だろ!ダッシュだ!」
「あ!」

次の部屋へ。高齢女性。

「痛みはマシ?」
「へえへえ。マシなんやが・・・ここが、かい」
「痒い?じんましんっぽいな。わかった!」

メモに指示内容を書く。

次の部屋。そんな感じで進む。詰所へ戻り、指示を書き
準夜帯のナースに直接提出。

またダッシュだ。別の病棟。掲示板確認、回診、指示。

別の病棟、回診。

最後に重症病棟詰所。
「追加の伝言はないな・・」
「これは、看護師さんからの伝言ですか?」
「そうだよ。シローのアイデアだ。入り口の、廊下に見えない部分に
ホワイトボード。各ドクターあての指示が書いてある」
「便利ですね」
「夕方ドクターが回診に来たかどうかも分かるしな」

詰所近くの重症部屋。呼吸器の音があちこちで聞こえる。
1人ずつ、モニターや重症板を確認。

気づいたところだけ再確認、指示。人が少ないときの指示は、
直接申し送る。電話で意味の問い合わせがあると混乱の
もとになりやすいからだ。

「・・だよ。いいか?」
ナースに促がす。
「わかりました。先生、今日も飲み会でしょ?」
若いそばかすナースが微笑んだ。

「ち・・違うよ」
「月曜日は毎週飲み会でしょ?」
「ちち・・・ちがわい」
「何かあったら、呼びますねー」
「まず当直医!」
「今日の当直医は開業医のおじいちゃんですって!」
「だる・・・」

僕らは引き上げ、医局へ戻った。
他のメンツは私服に着替えている。

「トシキ先生は・・」
学生は見回した。
「あいつは夜診の外来だ。それに・・トシキは酒が飲めないんだ」
「え?そうなんですか?」

僕は淡淡と着替えた。

「勉強はできるヤツなんだけどなー・・・」
「真面目な方ですね」
「あれでもうちょっとギャグが分かる奴だったら」
「・・・・・残念です。あまり面白くないですね」
「おい」

学生はどうやら優等生タイプのトシキを見習いたいようだった。

医局のドアがいきなり開いた。
「さ!行きましょうか!」
事務長が女性を2人、連れてきた。

「事務長!こっちへ!」
事務長は僕に近づいた。
「ユウキ先生!書類書きましたか?」
「これ」
「ありがたきしあわせ・・」
「廊下にいるギャル2人。あれ、どこから?」
「ザッキー先生に頼まれて、誰でもいいからと。OLです」

20代前半の長身ギャルだ。

「オーエルか・・・よくもまあ、そんなコネがあるよな」
「以前はもっと可愛かったんですがね」
「ぱっと見た印象では、ヒュージョーンズ4度だな。北野、分かる?」

「ヒュー・・・?」
「呼吸器の自覚症状による、障害度分類。4度は・・・じっとしたままでもハアハア!」
「どういう意味ですか?」

シローとザッキーは腹を抱えて笑った。

事務長は腕組みした。
「そのうち1人は軽めですが、いいですかね?」
「話し相手だから、そのほうがいいよ」
「深入りはそうですね、しないほうがいいですよ」
「なに?」

僕らは静まった。

「以前、私はそれで痛い目に遭いましたから」
「はあ?」
「そのコ、以前持ち帰ったんですよ。そしたら・・」
「おいおい。ンなこと、すらりと流すなよ!」
「別れたら、わたし死ぬとか」
「バ、バカヤロ・・・そんな奴・・・・連れてくるな!」
「え?だって・・」

事務長はとぼけた。だがコイツは明らかに俺たちで遊んでる。

「だってザッキー先生が誰でもいいって・・」
「はいはい!もう!しょうがねえな!」
僕は事務長の動物的な行動が腹立たしかった。

「おい、ザッキー!」
「はい!」
「カンチョーしろ!」
「はい!」
ザッキーは迷わず、事務長の下から両手をセッティングし、突っ込んだ。

「いてて!」

時計が5時半を指した。

僕らは笑いながら廊下へ出た。学生は顔が引きつっていた。

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