詰所へ戻って指示を書く。
「では、復活した波多野じいは、ニップネーザルを1日1回、2時間・・と」
「毎日ですか?」
学生が指摘する。

「いや、そういう決まりはないけど。でもひとたび必要と判断されたらすべきだな」
「また二酸化炭素がたまってきますか?」
「感染症が軽快しても、もとの肺気腫はそのままだ。進行する病気だし」
「進行したらどうなるんですか?」

学生は全く遠慮なく聞いてくる。いい意味での図々しさは必要だが、どうも最近の
若いのは・・。

「進行したら・・・そうだな。通常の呼吸でももたない可能性が出てくる。人工呼吸管理
がついたりすれば、気管切開での管理だな」
「なんだ、そうか」
学生君は1歩下がった。

「この1日2時間ってのも、決まったことではないがね。あちこちでいろんな試みがあって、
スタンダードなガイドラインってものはないから」
「では先生も勝手にされているだけのことですか?」
「悪かったな・・!」

アルコール性肝障害で入院の巣鴨さんの入院時データが帰ってきた。
「主なものは出てるな。血小板は6万か」
「DIC?」
「(無視)肝硬変へまっしぐらだな・・半年前は9万だった。アルブミンは幸い3以上はあるな」
腹水がたまってきて、いわゆる非代償性のタイプになれば・・・予後は悪い。それにこの患者は
食道の静脈瘤ももってる。

「主治医として注意はしてきたが。だめだ。病識がない」
「びょうしき?」
「自分がどういう病気にかかってて、それがどのようなものかという危機感・・みたいなもんだ」

不機嫌なトシキが入ってきた。伝票を1枚ずつ数えている。
こっちへやってきた。

「先輩の患者さんのもチェックしましたけど・・・」
「あ、そ」
「アルコール性肝障害の」
「ああ、今見てるんだよ」
「私も検査室で確認してきましたが・・・採血のオーダーだけで、画像検査が」
「CTなどの画像は、また予約する」

実は画像検査は本人の希望で見合わせだった。これまで4ヶ月に1回CTや超音波など
やってきたが、いつも同じ結果でウンザリだという理由からだ。

「医長先生。また本人と話しながら、確認するよ」
「ですが、採血だけの入院っていうのは、病院のコスト面で」
「なんだよ。またそれか」

当時、僕は病院のコスト面などの話には全く無頓着だった。

「事務長も言ってましたが、先輩は検査件数が比較的少ない」
「必要なのはしてるぞ」
「患者の希望を聞きすぎですよ。金かかるだのメンドクサイとかで検査を拒否されて、
そのままじゃないですか」

確かにそうだった。僕は最近患者の希望に押されぎみだった。メンドクサイというのは別にして、費用面のことで検査を反対する患者が増えたのだ。懐事情への配慮を考えると、どうしても強引に推し進めるわけにはいかない。

「先輩。もしそれで後になって異常が見つかって訴えられでもしたら」
トシキは予想以上に機嫌が悪かった。ただこの言葉は彼の言葉ではない。

「医長先生。事務長からなんか言われたんだろ?」
「え?それは・・」
「お前の立場は分かるよ。でも採血は出せる分はいろいろ出したぜ」
「それなんですが、困ります。今まで黙ってたんですけど・・」
医長は巣鴨さんのカルテを開いた。

「PTとHPTを同時に測定したり、糖尿病でもないのにいきなりHbA1c出したり、肝硬変になりつつあるのが分かってるのに?型コラーゲン、ヒアルロン酸・・」
「はいはい。もうやかましいわよ・・」
「AFPとPIVKAIIの同月測定もダメですって、医局会でも言いましたよ」
「すまん、寝てた」
「寝てたって・・」

彼は少し目に涙を浮かべていた。かなり怒っている証拠だ。
彼は真っ直ぐな性格で、病棟の仕切りはもちろん事務側の意見も尊重していた。押しつぶされやすい立場だが、意見をはっきり当事者に伝えるという点では尊敬すべきものがあった。

「先輩。これも言いにくいですが・・」
「なんだよ?まだあるの?」
「ニップネーザルのマスク。フェイスマスクのことで」
「ああ。昨日、事務長にお願いしたよ」
「ああいう新たな物品の取り寄せも、私を通してしていただかないと」
「やれやれ・・わかったよ」
「・・・・・」
「もうないか?他に?」

僕の目をずっと見る老ナースを尻目に、放射線部へ。

「ちわ!」
放射線部に入ると、老いた技師長が旅行雑誌を読んでいる。
どこの病院でもそうだが、技師長ってこういうタイプ、多いよな・・。

「あ!こんにちは!」
「なんか・・あった?」
「先生の患者さんで?あそうそう!心臓MRIね!」
彼は1枚ずつ写真を飾った。

「心電図と同期して・・・キレイに撮れてるでしょう?」
「ああ。どうもどうも」

学生が後ろから覗く。

「心臓のMRIは、どういうときにとるんですか?」
「誰?この人?」
「も、申し遅れました!北野です!医学部3年生!秋より解剖実習が始まります!」
「ほー・・」
技師は気にも留めず写真を閲覧した。
「心臓のMRIでね。肥大型心筋症の患者さんなんだよ」
「ひだいがた・・」
「このユウキ大先生がね、超音波検査をして心筋の厚みを測定したんだけど、どうも
よく見えないらしいんだ。検査がヘタでね。へへへ」

「こらオッサンそこまで!」
僕は笑いながら制した。
「心筋の厚みが不均一だったんで、確かめたかったんだ」

当時心臓のMRIはまだこれからといった雰囲気で、遅延造影MRIなど特別な検査も
当院ではまだしていなかった。

「じゃ、また病棟へ上げておいて」
「ほいほい」
技師は写真をしまい、また旅行雑誌を読み始めた。

「ん?」
僕はPHSを耳にくっつけた。
「なに?ピートか。救外?・・・・・」
学生は目の前で何やらブツブツ。質問してるようだが。

「・・・・わかった!」
電話を切り、部屋を出た。
「北野くん!今から紹介が来る!」
「紹介患者さんですか?」
「他院でAMIを起こしたようだ!だが・・電話口はかなり混乱してそうだ」
「重症なんですか?」
「AMI自体が重症だ!」

僕らは走り続ける。

「先生!先生!」
「なんだ?」
「AMIってなんですか?」

僕はビックリした勢いで、急ブレーキで止まった。

「おまええがタンロンかあ!」
「?」

再び走り、突き放した。ナンセンスな行動だ。

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