サンダル2 ? 夜の病棟
2005年9月28日夜の9時半。
詰所の中に、僕と学生は丸イスに座ったままモニター画面を眺めていた。
「看護師さんたちは、どこですか?」
学生は廊下を覗いた。
「部屋廻りだろ。巡回だよ」
「何人でですか?」
「うちの病院の場合、2人だよ」
「2人・・・ここには誰もいなくていいんですか?」
「そんな余裕はないよ」
「だって・・・もしこれに異常が出たら」
彼はモニターの心電図を指差した。
「異常が出たらアラーム音が鳴るよ」
「昨日の夜も出続けてました」
「そしたら走ってきただろ?」
「いえ。全然」
「いっ?」
「僕が看護婦さんを呼びに行ったら、怒鳴られちゃいました」
「なんて?」
「うるさい!って」
僕は笑いをこらえた。
「ホントはどの職場でも、人が足りないんだよ」
「増やせばいいのに」
「増やさないよ」
「病院なのに・・」
「病院はボランティア団体じゃないよ。れっきとした<企業>だ」
「えっ?じゃあ社長とかいるんですか?」
頭、痛え・・。
「社長はいないが、経営者はいる」
「お金を出す人ですか」
「そうだ。ここの経営者は誰なのかな・・?」
「院長先生とはまた違うんですか?」
「院長=経営者のとこもあるよ」
ここの経営者の正体を知っているのはうちの事務長だけらしい。
まあ直接関係ないことなので別にいいのだが。
「ま、おかげで暮らしに困らず生きてるよ」
僕は気になる患者のカルテを1冊ずつ出し、流し読みした。指示が拾われているかどうか
確認するためだ。
「しかしこんな状況で、よく医療ミスが起きませんね」
「いきなり何を・・」
「年末は人工呼吸器が故障したと聞きましたが」
「ああ、あれか。なんとかなったよ」
「今日もしまた機械が故障したら・・」
「そういうときのために、当直医がいるんだよ」
「今日の当直医は、眼科の先生らしいですね」
「やれやれ・・・」
どういう医師が当直するか。これはその日、いやそれ以後のADLとQOLに多大な影響をもたらす。
「では何のためにいるのですか?」
学生は容赦なかった。
「はあ?そりゃ・・・当直するため。もしものときの対応」
「その先生は、それができるんですか?」
「で、できるだろな。そりゃ・・」
「なんかそこが、おかしいと思います」
気持ちに素直な学生だな・・。こりゃ仕事したら、敵を作る。
どこかのマンガとは違うのだよ・・。
「あ。ちょうどいいところに」
ナースが帰ってきた。
「なに?もう帰るよ俺。できれば当直医に・・」
「大部屋の患者さんが、右下腹部痛を・・」
「誰の患者?」
「ユウキ先生です」
「なぬ!」
僕は反射的に立った。
ナースは勝ち誇った。
「当直医に言いましょうか?」
「いわんでいいいわんでいい!」
僕は暗く静まった大部屋の、その患者(60歳男性、狭心症)のベッドサイドに立ち電球をつけた。
患者に腹部の手術既往はない。
「こんばんは・・・痛い?」
「こ、ここが」
確かに右下腹部だ。圧痛は・・。
「あっつぅ!」
ありだ。限局性。アッペ(虫垂炎)か、もしくは憩室炎か・・。
便秘傾向あり、後者の可能性もある。
体温計のピピピッという音が鳴る。
「37.2度か・・気になるな。レントゲンと採血を!」
「先生。わたしら人手がないでんねん」
おばさんナースが後ろで答えた。
「できたら先生が採血・・・」
僕はしばらく考えた。
「しようがねえなあ・・・!」
採血し、車椅子でレントゲンへ。学生が押してくれた。
エレベーターへ。
学生は次々と質問する。
「痛みはだんだんひどいですか?」
「よくなったり悪くなったり・・」
「吐き気はありますか?」
「ないなあ」
「最近食べたものは?」
「び、病院食だけだよ」
「下痢は?あ、そうか。便秘だった」
チン、とエレベーターが開く。
近所で待機の放射線技師が現れる。
カジュアルな格好だ。
「ちわ。あれ?当直は・・」
彼はすぐ準備にかかった。
レントゲン終わりCTへ。患者は横になる。
学生は側についた。
「ついときますから、大丈夫です!」
「おい!北野!出ろ!」
僕は外から呼んだ。
腹部レントゲンでは二ボーつき小腸ガスの小さいのが少数。フリーエアはない。腹部CTでは・・・虫垂の部位を観察。
「技師さんよ。どう?」
「ど、どうって。ドクターの意見は?」
「いやいや。君の印象は?」
「やらしい印象はないですね」
「みたいだな」
技師は含み笑いしていた。
僕ら胸部内科は、消化器関係でどうしても苦手な分野があった。そのうち1つが虫垂炎の診断だ。情けないと思うかもしれないが、虫垂炎の診断こそなかなか難しく、確定診断的なものがなかなか得られないのだ。
さきほど技師の言った「やらしい印象」というのは、虫垂の部位に出現するlow density領域。うっすらとぼやけて見える陰影のことだ。
「白血球、増えてるな」
WBC 12000とある。CRPは1.2mg/dlと高くないが、これから高くなる可能性はある。
「外科に相談しよう・・」
外科へ連絡。以上の内容を伝える。
『まずは抗生剤を。腹膜炎の印象はないってことだね?』
30代後半の医師は眠そうに喋っていた。
「オレがそう思うだけだよ。腹痛はブスコパンを?」
『使わないほうがいいなあ』
「じゃ、ペンタジンにするか」
『アミラーゼは上がってないよね』
「ああ」
『じゃ、主治医の判断で。その人は病名は?』
「狭心症だよ。1枝病変で・・」
『ああっと!もういい!オレ心臓分からないから!』
こいつ・・。いっぺん勉強したろうが。
「じゃ、明日の朝診てくれるか?」
『紹介文、書いておいて』
「あいよ!早めにな!」
僕はカルテに書いた。
<深夜に相談した例の方です。お願いします>
「え?それだけでいいんですか?」
学生は驚いた。
「いいんだよ。でも熱が上がったり、腹痛が拡がるようなら・・また呼んでやるぞ!」
それからはそのような報告はなかった。
僕らはエレベーターで医局へ向かった。
「ユウキ先生。消化器外科のドクターって、けっこう年上ですよね」
「なんだよ。オレの言葉遣いがいけない?」
「ちょっと気になりまして・・」
「自分より軽いとみなされないためだよ。トシキが言ってた」
「へえ」
「クマに会ったら逃げずに、立ち向かえとよ!」
「そ、そうなんですか?」
僕はエレベータを出て時計を見た。
11時。
「だる・・・」
詰所の中に、僕と学生は丸イスに座ったままモニター画面を眺めていた。
「看護師さんたちは、どこですか?」
学生は廊下を覗いた。
「部屋廻りだろ。巡回だよ」
「何人でですか?」
「うちの病院の場合、2人だよ」
「2人・・・ここには誰もいなくていいんですか?」
「そんな余裕はないよ」
「だって・・・もしこれに異常が出たら」
彼はモニターの心電図を指差した。
「異常が出たらアラーム音が鳴るよ」
「昨日の夜も出続けてました」
「そしたら走ってきただろ?」
「いえ。全然」
「いっ?」
「僕が看護婦さんを呼びに行ったら、怒鳴られちゃいました」
「なんて?」
「うるさい!って」
僕は笑いをこらえた。
「ホントはどの職場でも、人が足りないんだよ」
「増やせばいいのに」
「増やさないよ」
「病院なのに・・」
「病院はボランティア団体じゃないよ。れっきとした<企業>だ」
「えっ?じゃあ社長とかいるんですか?」
頭、痛え・・。
「社長はいないが、経営者はいる」
「お金を出す人ですか」
「そうだ。ここの経営者は誰なのかな・・?」
「院長先生とはまた違うんですか?」
「院長=経営者のとこもあるよ」
ここの経営者の正体を知っているのはうちの事務長だけらしい。
まあ直接関係ないことなので別にいいのだが。
「ま、おかげで暮らしに困らず生きてるよ」
僕は気になる患者のカルテを1冊ずつ出し、流し読みした。指示が拾われているかどうか
確認するためだ。
「しかしこんな状況で、よく医療ミスが起きませんね」
「いきなり何を・・」
「年末は人工呼吸器が故障したと聞きましたが」
「ああ、あれか。なんとかなったよ」
「今日もしまた機械が故障したら・・」
「そういうときのために、当直医がいるんだよ」
「今日の当直医は、眼科の先生らしいですね」
「やれやれ・・・」
どういう医師が当直するか。これはその日、いやそれ以後のADLとQOLに多大な影響をもたらす。
「では何のためにいるのですか?」
学生は容赦なかった。
「はあ?そりゃ・・・当直するため。もしものときの対応」
「その先生は、それができるんですか?」
「で、できるだろな。そりゃ・・」
「なんかそこが、おかしいと思います」
気持ちに素直な学生だな・・。こりゃ仕事したら、敵を作る。
どこかのマンガとは違うのだよ・・。
「あ。ちょうどいいところに」
ナースが帰ってきた。
「なに?もう帰るよ俺。できれば当直医に・・」
「大部屋の患者さんが、右下腹部痛を・・」
「誰の患者?」
「ユウキ先生です」
「なぬ!」
僕は反射的に立った。
ナースは勝ち誇った。
「当直医に言いましょうか?」
「いわんでいいいわんでいい!」
僕は暗く静まった大部屋の、その患者(60歳男性、狭心症)のベッドサイドに立ち電球をつけた。
患者に腹部の手術既往はない。
「こんばんは・・・痛い?」
「こ、ここが」
確かに右下腹部だ。圧痛は・・。
「あっつぅ!」
ありだ。限局性。アッペ(虫垂炎)か、もしくは憩室炎か・・。
便秘傾向あり、後者の可能性もある。
体温計のピピピッという音が鳴る。
「37.2度か・・気になるな。レントゲンと採血を!」
「先生。わたしら人手がないでんねん」
おばさんナースが後ろで答えた。
「できたら先生が採血・・・」
僕はしばらく考えた。
「しようがねえなあ・・・!」
採血し、車椅子でレントゲンへ。学生が押してくれた。
エレベーターへ。
学生は次々と質問する。
「痛みはだんだんひどいですか?」
「よくなったり悪くなったり・・」
「吐き気はありますか?」
「ないなあ」
「最近食べたものは?」
「び、病院食だけだよ」
「下痢は?あ、そうか。便秘だった」
チン、とエレベーターが開く。
近所で待機の放射線技師が現れる。
カジュアルな格好だ。
「ちわ。あれ?当直は・・」
彼はすぐ準備にかかった。
レントゲン終わりCTへ。患者は横になる。
学生は側についた。
「ついときますから、大丈夫です!」
「おい!北野!出ろ!」
僕は外から呼んだ。
腹部レントゲンでは二ボーつき小腸ガスの小さいのが少数。フリーエアはない。腹部CTでは・・・虫垂の部位を観察。
「技師さんよ。どう?」
「ど、どうって。ドクターの意見は?」
「いやいや。君の印象は?」
「やらしい印象はないですね」
「みたいだな」
技師は含み笑いしていた。
僕ら胸部内科は、消化器関係でどうしても苦手な分野があった。そのうち1つが虫垂炎の診断だ。情けないと思うかもしれないが、虫垂炎の診断こそなかなか難しく、確定診断的なものがなかなか得られないのだ。
さきほど技師の言った「やらしい印象」というのは、虫垂の部位に出現するlow density領域。うっすらとぼやけて見える陰影のことだ。
「白血球、増えてるな」
WBC 12000とある。CRPは1.2mg/dlと高くないが、これから高くなる可能性はある。
「外科に相談しよう・・」
外科へ連絡。以上の内容を伝える。
『まずは抗生剤を。腹膜炎の印象はないってことだね?』
30代後半の医師は眠そうに喋っていた。
「オレがそう思うだけだよ。腹痛はブスコパンを?」
『使わないほうがいいなあ』
「じゃ、ペンタジンにするか」
『アミラーゼは上がってないよね』
「ああ」
『じゃ、主治医の判断で。その人は病名は?』
「狭心症だよ。1枝病変で・・」
『ああっと!もういい!オレ心臓分からないから!』
こいつ・・。いっぺん勉強したろうが。
「じゃ、明日の朝診てくれるか?」
『紹介文、書いておいて』
「あいよ!早めにな!」
僕はカルテに書いた。
<深夜に相談した例の方です。お願いします>
「え?それだけでいいんですか?」
学生は驚いた。
「いいんだよ。でも熱が上がったり、腹痛が拡がるようなら・・また呼んでやるぞ!」
それからはそのような報告はなかった。
僕らはエレベーターで医局へ向かった。
「ユウキ先生。消化器外科のドクターって、けっこう年上ですよね」
「なんだよ。オレの言葉遣いがいけない?」
「ちょっと気になりまして・・」
「自分より軽いとみなされないためだよ。トシキが言ってた」
「へえ」
「クマに会ったら逃げずに、立ち向かえとよ!」
「そ、そうなんですか?」
僕はエレベータを出て時計を見た。
11時。
「だる・・・」
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