松田医院紹介の患者が戻ってきた。
「写真は?」

僕は放射線部の人間とヒソヒソ話したあと、患者に向き直った。
「これはCTの写真。心臓と肺の間に、影があります・・・2つある」
「癌か?」
「今は何かがある、それしか分かりません」
「ちゃんと松田先生のところには通ってたのにな・・」
「レントゲンでもそれは・・明らかです」

左の肺門部が盛り上がって見える。
これは・・今までの写真が欲しいところだな。

僕は事務長経由でこれまでのレントゲンの取り寄せを依頼した。

「いろんな方向から調べましょう。造影CTを。3Dの立体画像も。
気管支鏡も・・」
「おいおい。わし、時間ないんやで」
「今日でなく、近日で」
「松田先生はな、今日1日だけ行ったらそんでええって」
「そんなことはないよ」

説得が大変だった。しかしなんとか検査予定が立てれた。
痰は出ないとのことで、喀痰検査は出せず。

学生がCTと教科書を照らし合わせていた。
「どれがリンパ節で、どれが腫瘍なんですか?」
「1つはリンパ節の純粋な腫脹で、もう1つはリンパ節と腫瘍が一塊になったものだ」
「TNM分類は、と・・」
「気管分岐部のリンパ節と、肺門の癌+リンパ節か・・・」
「T2N2M0ってことは・・・?A期ですね!ってことは手術ですか?」
「いや。当院ではまず化学療法で癌を縮小させて手術へもっていく」

術前化学療法=induction therapy行い、手術へもっていくというやり方だ。目的は2つ。腫瘍による周囲への直接浸潤やリンパ節腫脹をなるべく縮小させて、より切除しやすい状態にもっていく(down stage)という目的が1つと、もう1つは微小な(CTで映らないような)遠隔転移を抑制することにある。

※ 術前補助療法=ネオアジュバント療法=neo-adjuvant therapy
術後補助療法=アジュバント療法=adjuvant therapy

今回のケースでは術前の化学療法になるから正確には術前補助化学療法=ネオアジュバント化学療法=neo-adjuvant chemotherapy
という表現になる。

胸部外科と相談の上、決めることになるだろう。

さてさきほどの尿蛋白指摘の男性の採血結果がもどってきた。
「IgAは結果待ち・・・それ以外の一般検査は問題ないな」
「では残りの結果は・・・また来ないといけませんね」
「電話でいいよ」

最近、当院で始まった電話対応のサービスだ。事務長のアイデアで、検査結果を電話で応答する。
患者にとっての利便性が目的ではあるが、彼の狙いは患者の隠れた本音を聞きだすというものだ。

病院で言えなかったことが、リラックス状態の家庭電話からなら言いやすいという配慮だ。このアイデアにより、外来患者はますます増加の傾向にあった。

「返事を書いて、と・・・!はい!」
ベテランナースに渡し、時計をみる。PM1時。
「まだちらほら患者が来るだろうけど、いったん上に上がる。転倒した患者のこともあるし」
「外科から返事」
ナースは入院カルテを渡した。

『有木さんは、ご指摘のように虫垂炎もしくは憩室炎の可能性が高いので、抗生剤投与を継続の上・・』

「外科転科にしてくれたほうがいいのに・・」
僕はさらに返事を書いた。
『了解しました。ただし今後症状悪化時は準緊急のオペも検討されると思いますので、そちらへのコールを
病棟へ伝えておきます』

「・・・と!今度はちゃんと来てもらわないとな!以上!
僕と学生はエレベーターに乗った。

「結局、手術にはならないんですね」
「病院それぞれの外科のキャラによるなあ。しかしこればかりは文句はつけられん」
「波多野じいさんは退院できそうですね!」
「思ったより早くな。ああでも!」

僕は止まったエレベーターから出た。

「説明はオレからするからな!」
「ああ先生!」
学生の叫びとともにドアは閉まった。

「ん?おお!」
振り向くとじいさんばあさん集団だ。
みんなこっちを睨んでいる。

また間違ってリハビリで降りた・・・。

「先生、関節がまだ痛いんですわい」
さきほどのリウマチ患者がリハを中断し、近づいてきた。
「うん、まあそこはオーベン、いや・・整形の先生と相談して」

なんとか逃げた。

医局ではみなたむろっている。

「北野!今日はMRの説明会があるから!」
隣の会議室では、MRがすでにプロジェクターをセットしている。

みんなぞろぞろと部屋に移っていく。昼ごはんを兼ねた説明会というわけだ。長いすが4列ほど並び、高級な弁当がズラッと並んでいる。僕と北野は後ろのほうに並んで座った。

「いつも弊社の抗生剤を使用いただき、ありがとうございます」
MRはペコッと頭を下げた。まだ新人のようだ。隅で上司が目を光らせる。

「では本日は新規発売となります、降圧剤について」
部屋の電気が消える。

みな気にもとめず弁当を開けていく。うな重弁当だ。
実は僕が陰ながらリクエストしたものだった。

「うは〜、うなぎだ。うなぎはちょっと・・」
北野はあまり気が向かないようだった。
「北野君。偏食してたら患者に指導はできないぜ」
僕は物凄い勢いで食べ始めた。一般的に循環器医の食べる速さは特別だ。

2分でなくなった。

「なんか、早すぎると寂しいなあ、口が・・・」
説明は淡淡と進む。

「・・・という非常にリーズナブルな薬でございます!何か質問などは・・?」
電気がつけられた。トシキが最前列で手を挙げている。

「そのARBは、腎機能の悪い患者に関しては?」
「は、はい。腎機能がそこそこ悪い患者さんでも使用が可能でして」
「そこがACEIとの違い?」

ARBは従来のACEIを越えるべく作られた血圧降下剤だ。薬価が高い分、いかにメリットが大きいのか。咳が出ない、代謝経路が違うというだけでは納得しない。業界は必死だった。

「むしろ腎機能が少々悪くても、腎血流増加のためにむしろ投与をすべきという意見もあります」
「それ本当に大丈夫なのか?」
「わ、わたくしたちからはそのような事は・・」
「なら、安易に言うな!」
トシキはまだ不機嫌だった。

「これは申し訳ありません!」
年配MRが沈黙を破った。
「なにぶん新米なもので!」
「腎機能でも段階があるんだ。もっと具体的に数字で言ってくれないと分からん!悪いとか、
そんな素人用語を使うな!」
トシキはお茶を一気飲みし出て行った。また目が潤んでいた。

「あいつ、よく泣くな・・・」
僕もつられて茶を飲んだ。

「どうか採用のほうをお願いいたします!」
MR2人は頭を下げ、説明会は終了した。

「画期的な薬なんですか?従来のACEIに問題が・・?」
学生は医薬品集を読んでいた。
「業界ってのは、常に売れていなくてはいかんのだ」
シャア調のセリフが思わず出た。
「選択的に作用する、というのが今の新薬の売りなんだ・・でも」
「でも?」
「医者には選択させようとしない」
うまく表現できず、弁当箱を捨てた。

この頃から、製薬会社の説明会・講演会は巧妙になってきた。
いろんな有利なデータを巧みに出しては、欠点を覆い隠す。
それにはマニュアル的なものも存在するという。

その中から確かなものだけを吸収するのが重要だる!

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