大部屋で女性部屋。といっても高齢者が主体だ。重症ではないが、重症あがりか転倒などのリスクを背負った人たちが集まる。いや、集められている。

ここも6人部屋のはずが、8人。

77歳のおばあちゃんで、狭心症と気管支拡張症にリウマチ、貧血。心臓カテーテル検査では狭い血管はなかったが、アセチルコリン負荷試験で陽性。冠動脈が痙攣して細くなる、冠攣縮性狭心症、と診断された。すぐさまカルシウム拮抗薬が定期処方に加えられた。

「やってみてよかったな。心カテ」
僕は主治医のザッキーに呼びかけた。
「ま、そうですが・・ユウキ先生のおっしゃるとおりで」
腑に落ちない態度だった。

 僕らの世代のもう1,2つ下の世代はどこかが違っていた。干渉をとかく嫌って、冷めている。僕自身にも欠点はかなりあるだろうが、仕事での態度にもそれが表れている。

 このザッキーは以前からそうだな。気にはなっていた。

医長は聴診を終えた。
「アイバス(冠動脈超音波)の症例をと思ってたのに同意を取っていなかったとは・・!」
当院での症例を集めるため医長はアイバスの検査を各患者に勧めていたが、主治医のザッキーは家族に同意を求めるのを忘れていたのだ。

 大学を離れても、症例報告などはドシドシすることができる。むしろ大学以外のほうが症例の絶対数で勝ることが多い。トシキ医長は症例集めに奔走していた。

「オーベンもきちんとチェックしていないから!」
「す、すみません」
実質オーベンのシローは形無しだった。

 トシキ医長は以前は殴って諭す精神だったが、最近は・・・殴ってばかりだな。

次。83歳女性。脳梗塞後遺症。寝たきりで、仙骨部にじょくそう(褥瘡)がある。かなり深い。ポケット形成まではいってない。

トシキ医長が主治医だ。
「イソジン、今塗ろうか」
婦長はサッと反応し、イソジンゲルがベタベタと塗られた。

「医長先生。イソジン好きだなあ・・」
僕は漏らした。
「アクトシンのほうがいいのでは?」
「感染予防にはこのほうが・・・」

 医長はあまりこの分野には不慣れだった。以前の大学からの伝統なのか・・・。

 今でもイソジン系統ばかり塗る医者もいるが、菌をやたらと死滅させようと躍起になるのはかえって耐性菌を呼び覚ますことにつながる。ズバリ言うが、古い考え方だ。

「そうだ。婦長。酸性水は?」
そう言ったのはシローだった。
「この前言ったでしょ?注文しといてくれって」
「あ、そうでしたね・・」
「ウソマジ?あれいいらしいのに」

酸性水による洗浄が注目され始めた時期だった。

「最近勉強してるなあ、シローは・・」
 僕は最近の彼を見直していた。1年前は直情型だったのが、最近妙に落ち着いている。
「結婚すると、そうなるのか?」
「うーん。そこは複雑ですね」
「家でも育児で大変だろうに・・」

シローに少し陰りが見えたように見えたが、気のせいか。

 次、97歳女性。当院最高齢・・は療養病棟にいる。
横になっており、手足はきつく抑制されている。

「日高さん。ヒダカさん!」
医長が声をかけた。
「傷のところは痛くない?」

 傷というのはカテーテルの入っている右季肋部だ。ほぼ胆のうの位置。胆のう炎を起こし胆のうがパンパンに膨らんでいた。黄疸をきたし、物理的にカテーテル経由で排液。つまりPTGBDを施行した。カテーテルの先端は胆のう内部にある。

 胆のう内に石を認めるが、年齢的なこと・家族の希望もありオペは見合わせていた。

「縛りすぎのような・・」
北野はピンと張った抑制帯を指でなぞった。

「1回、自己抜去したんだよ」
「じこばっきょ・・」
「ドレーンが入ってたとこを手でまさぐって、そのまま抜いたんだ」
「主治医の先生はさぞかし・・」

主治医は聴診器を外した。
「さぞかし、不愉快だった・・・か?」
医長の機嫌が少し直ったのか、日が差したような表情に見えた。

 なんでいちいちこの男の機嫌を気にしなくてはいかんのか・・・?

「あのときは、泣いたよ」
医長は婦長からおしぼりを受け取った。
「次の日また消化器外科の先生に頼んで、また一緒に入れた」

北野はうんうんと頷いていた。
「大変ですね、先生も」
「分かったような口をきくな!」
「?」

 日はまた雲間に隠れた。だが僕らは少しウケた。
するとまた日が差す。

 なんでいちいちこの男の機嫌を気にしなくてはいかんのか・・・?

 68歳女性。高血圧と変形性膝関節症。内服調整中。寝ている。婦長は起こそうとするが・・・
「僕の患者だ。落ち着いてる。次!」

 次、80歳女性。大動脈弁狭窄症による急性心不全。僕の患者だ。左心不全による循環不全の状態に近かったが、利尿剤は使用せずで軽快傾向だ。

「ASで心不全か・・オペですね」
医長はレントゲンを確認。

「いや。今回は脱水が主体で悪化したみたいだ。弁膜症そのものの進行ではなくて」
「でも心不全を発症したらオペにもっていくのが・・」
「そっか?」

頭の硬い男だった。

「医長先生。現在の圧較差は70mmHgで逆流も乏しい」
「進行しすぎるとそうなるのでは?」
「左心室の動きは正常だし、そこまでの悪化は考えにくいっての」
「でもエビデンスでは」
「またそれか?」

インテリあるいはアカデミックな医者ほどエビデンス、エビデンスだ・・・。

医長は聴診を終えておしぼりで手を拭く。
「じゃ、さっさと退院させてください!最近、ユウキ先生の患者さんの出入りが少ない!」
とうとう怒りだし、近くの台のペンをつかんで、所見を記入。

彼は出ていこうとしたが、ばあさんに呼び止められた。
「わわ・・・」
ばあさんは細い手をおもいっきり伸ばしていた。

「え?なんなんですか?」
「わし・・」
「わからないです・・・!出ますよ!」
「わしのペン・・・」

ばあさんのペンだった。

医長の顔が曇ってきた。

僕はまたハッと気づいた。

なんでいちいちこの男の機嫌を気にしなくてはいかんのか・・・(3回目)?

<坊やだから>か?

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