ダル4 ? 開業医
2005年11月6日医長はトイレから戻り、またソファに横になった。
「ふう・・・先輩の他の患者さんは落ち着いてますか?」
「まあな」
「詰所で長いムンテラされてましたね」
「よく知ってるな。鹿児島から来てくれた家族がちょうど来てね」
「ああ。てんかん発作の」
彼は起き上がって、眠そうに両目をこすった。
「医長先生。お前も用がないなら、帰れよ」
「いえ・・・さてと」
モバイルで入退院患者のリストを調整している。
「てんかん発作で、退院がしばらく遠のく、と・・」
「わざと主治医に聞こえるように言うなよな!」
「いえいえ。すると、明日入院予定の狭心症が、延期・・」
「悪かったな!」
いちいちムカつく男だ・・・。
「よってカテーテル検査は延期。か」
「だから、悪かったなって。もう」
「するとこの人の検査がさらにズレて・・」
「そうだ。医長。シローはバイトか?」
「先輩、警告してくれましたか?」
「ああ、1回な」
「でも今日は、さっそうと出て行きましたよ。4時54分」
「細かいな・・・」
「きちんと警告してくれないと、困りますよ」
「知ってる。でもお前、医長だろ。お前も協力しろ!」
「ええ。すみません」
「オレに謝るな。患者に謝れ!」
僕は立ち上がって、医局のドアを開けた。
北野はひたすらパソコンを打ち続ける。
「じゃあな北野!シャランラ!」
「しゃ、しゃらんら!」
「だる・・・」
薄暗い廊下へ出た。当時は夏だが、夕方以降になると
エアコンが切れる。医局はガンガンだから、その温度差に
やられてしまう。
日常生活でも急激な温度差で、人間としての水分バランスが崩れがちだ。慢性疾患患者・高齢者・高リスク患者はこれらをきっかけに病気が発症、再発する。温度差が顕著に出やすい移行期、つまり季節の変わり目(秋→冬)(春→夏)にそれが明白だ。
水分バランスといっても、大半が水分過多でなく脱水のほうだ。夜、厚く着こんで寝るはいいが、過剰な熱のせいで体の水分が逃げてしまい(特に夜間)、就寝前のアルコールなどがそれを助長する。
脱水となった血管の中は虚血・血栓傾向が強まり、脱水そのものによる頻脈も手伝って循環動態を狂わせる。頻脈は不整脈を、血栓は動脈系の閉塞(脳梗塞・心筋梗塞)を、脱水は喀痰のネバさを増強する(気管支炎・喘息増悪)。
※ よく脳外科医や循環器医が患者に指導していた「寝る前に水をたくさん飲んどけ」は、予防への根拠は証明されてないらしい。つまり適当なアドバイス。心不全患者では逆に増悪させるおそれあり。
とにかく、温度差を激しくして<変温動物>に成り下がらないようにすることだ。
車で駐車場を出て、松田クリニックへ寄ってみることにした。僕の勘が働いた。半年前、松田先生がシローの家にいきなりやってきたという情報を知っていたからだ。
たぶん、シローはそこで働いている。
住宅団地の真っ只中。例によって路駐の列で、停めるとこはどこにもない。通り過ぎ際に見た看板では、営業時間(8時まで)をとっくに過ぎている。正面にできた調剤薬局もいい迷惑だ。しかし珍しい光景ではない。
「もう9時過ぎてるぜ・・?」
遠方に停めて、クリニックの方へ歩いた。途中、シローの赤いGTOを確認。
吉野家の大きさの規模でしかないクリニックの外で、ばあさんが座っている。
押し車に両手をあてて中腰だ。
「大丈夫・・?」
「ええ。はい。大丈夫です」
「歩ける?」
「あんたも待ってるの?」
「は?」
「何番?」
そうか。順番待ちか。
「僕は・・・まだまだです」
「3時間待っても、まだここで待たされててねえ」
「さ、3時間・・」
そんなに流行ってるのか、ここは?
「院長先生と、若い先生・・どっちのほう?」
「え?僕は・・・わ、若い方」
「そうよなあ。若い先生やったら、すぐ診てくれる」
2診制か。開業医で2診制って、よほどもうかってるって証拠だ。
クリニックの中を覗くと20人ほどの席がすべて埋まっており、立っている
人も同じ数くらいいる。テレビもない部屋で、みなじっと待っている。
「ば、ばあさん」
「はいな」
「院長先生は・・どう?説明してくれる?ちゃんと」
「わしゃ素人やから。説明はまあしてくれても分からんが」
「・・・・」
「命を預けてるからね、あの先生に」
「そこまで?」
「身寄りもないわしに、頼れるのはここだけなんでなあ・・・」
「・・・・・・」
「息子も娘も、みいんなよそへ行ってもて・・・」
クリニックから1人出てきた。
「ばあさん、空いたよ。そこ!」
「ほうほう」
バアさんはゆっくり立ち上がってドアを開けたが、空いた席はまたたく間に
立見席の人間がゲットした。
すごい光景だ。
バアサンは、命を預けると言ってたな・・・。僕が知ってる限りでは、松田先生の実力ではマウスの面倒がやっとだ。
1時間ほど周囲をウロウロしたが、クリニックの込み具合は変わらず、営業は終わる様子もない。
「だる・・・」
ま、シローがここに来ているとわかっただけでいいか。
僕はキーを廻し、今度こそ、と帰りの途についた。
「ふう・・・先輩の他の患者さんは落ち着いてますか?」
「まあな」
「詰所で長いムンテラされてましたね」
「よく知ってるな。鹿児島から来てくれた家族がちょうど来てね」
「ああ。てんかん発作の」
彼は起き上がって、眠そうに両目をこすった。
「医長先生。お前も用がないなら、帰れよ」
「いえ・・・さてと」
モバイルで入退院患者のリストを調整している。
「てんかん発作で、退院がしばらく遠のく、と・・」
「わざと主治医に聞こえるように言うなよな!」
「いえいえ。すると、明日入院予定の狭心症が、延期・・」
「悪かったな!」
いちいちムカつく男だ・・・。
「よってカテーテル検査は延期。か」
「だから、悪かったなって。もう」
「するとこの人の検査がさらにズレて・・」
「そうだ。医長。シローはバイトか?」
「先輩、警告してくれましたか?」
「ああ、1回な」
「でも今日は、さっそうと出て行きましたよ。4時54分」
「細かいな・・・」
「きちんと警告してくれないと、困りますよ」
「知ってる。でもお前、医長だろ。お前も協力しろ!」
「ええ。すみません」
「オレに謝るな。患者に謝れ!」
僕は立ち上がって、医局のドアを開けた。
北野はひたすらパソコンを打ち続ける。
「じゃあな北野!シャランラ!」
「しゃ、しゃらんら!」
「だる・・・」
薄暗い廊下へ出た。当時は夏だが、夕方以降になると
エアコンが切れる。医局はガンガンだから、その温度差に
やられてしまう。
日常生活でも急激な温度差で、人間としての水分バランスが崩れがちだ。慢性疾患患者・高齢者・高リスク患者はこれらをきっかけに病気が発症、再発する。温度差が顕著に出やすい移行期、つまり季節の変わり目(秋→冬)(春→夏)にそれが明白だ。
水分バランスといっても、大半が水分過多でなく脱水のほうだ。夜、厚く着こんで寝るはいいが、過剰な熱のせいで体の水分が逃げてしまい(特に夜間)、就寝前のアルコールなどがそれを助長する。
脱水となった血管の中は虚血・血栓傾向が強まり、脱水そのものによる頻脈も手伝って循環動態を狂わせる。頻脈は不整脈を、血栓は動脈系の閉塞(脳梗塞・心筋梗塞)を、脱水は喀痰のネバさを増強する(気管支炎・喘息増悪)。
※ よく脳外科医や循環器医が患者に指導していた「寝る前に水をたくさん飲んどけ」は、予防への根拠は証明されてないらしい。つまり適当なアドバイス。心不全患者では逆に増悪させるおそれあり。
とにかく、温度差を激しくして<変温動物>に成り下がらないようにすることだ。
車で駐車場を出て、松田クリニックへ寄ってみることにした。僕の勘が働いた。半年前、松田先生がシローの家にいきなりやってきたという情報を知っていたからだ。
たぶん、シローはそこで働いている。
住宅団地の真っ只中。例によって路駐の列で、停めるとこはどこにもない。通り過ぎ際に見た看板では、営業時間(8時まで)をとっくに過ぎている。正面にできた調剤薬局もいい迷惑だ。しかし珍しい光景ではない。
「もう9時過ぎてるぜ・・?」
遠方に停めて、クリニックの方へ歩いた。途中、シローの赤いGTOを確認。
吉野家の大きさの規模でしかないクリニックの外で、ばあさんが座っている。
押し車に両手をあてて中腰だ。
「大丈夫・・?」
「ええ。はい。大丈夫です」
「歩ける?」
「あんたも待ってるの?」
「は?」
「何番?」
そうか。順番待ちか。
「僕は・・・まだまだです」
「3時間待っても、まだここで待たされててねえ」
「さ、3時間・・」
そんなに流行ってるのか、ここは?
「院長先生と、若い先生・・どっちのほう?」
「え?僕は・・・わ、若い方」
「そうよなあ。若い先生やったら、すぐ診てくれる」
2診制か。開業医で2診制って、よほどもうかってるって証拠だ。
クリニックの中を覗くと20人ほどの席がすべて埋まっており、立っている
人も同じ数くらいいる。テレビもない部屋で、みなじっと待っている。
「ば、ばあさん」
「はいな」
「院長先生は・・どう?説明してくれる?ちゃんと」
「わしゃ素人やから。説明はまあしてくれても分からんが」
「・・・・」
「命を預けてるからね、あの先生に」
「そこまで?」
「身寄りもないわしに、頼れるのはここだけなんでなあ・・・」
「・・・・・・」
「息子も娘も、みいんなよそへ行ってもて・・・」
クリニックから1人出てきた。
「ばあさん、空いたよ。そこ!」
「ほうほう」
バアさんはゆっくり立ち上がってドアを開けたが、空いた席はまたたく間に
立見席の人間がゲットした。
すごい光景だ。
バアサンは、命を預けると言ってたな・・・。僕が知ってる限りでは、松田先生の実力ではマウスの面倒がやっとだ。
1時間ほど周囲をウロウロしたが、クリニックの込み具合は変わらず、営業は終わる様子もない。
「だる・・・」
ま、シローがここに来ているとわかっただけでいいか。
僕はキーを廻し、今度こそ、と帰りの途についた。
コメント