2000年。

 無限に拡がる、医師過剰大都市群。そこには、様々な医者が満ち溢れていた。

 大学でふんぞり返る者、片手間でバイトだけする者、開業して数年で店をたたむ者・・・。

 関西ではこの頃から病院間での競争、貧富差が増加し、まさに弱肉強食の時代を迎えていた。

病院経営が安定していた中、僕らは日々診療に追われていた。

金曜日。

 病院の職員駐車場にマーク?を停め、スタッと飛び降りたら水たまり。

 病院のウラ玄関から入る。駐車場には外車など高級車の陳列。

 入り口でサンダルに履き替え。足跡がペタンペタンと響く。が、なんかおかしい。どうやら裏底?がめげ始めたようだ。

「あ〜!だる!だる!だる!」

 エレベーターでなく、階段を利用。患者らと鉢合わせを避ける。職場でのスタンスは、あくまで暖機運転から。
少しずつ復活してくる脳細胞。
途中で買うコーヒー。

「はああ・・・ほんと、だるだる・・・!」

かがむのもしんどい。

小走りに、テケテケと医局まで歩く。

しかし医局のドアを開けたとたん、静寂は破られた。

「北野です!最終日!よろしくお願いします!」
「最終日?」
「え?明日は休み・・・週休2日?えっ?」
「いつから週休2日なんじゃい、ボケえ・・・!」
「え?世間は週休2日?あっ?うっ?」
「アホ!うちは土曜休みじゃなくて、半ドン業務じゃあ!」

脚で軽く北野を蹴り、自分の机へ。
「あ〜だるだる!」
「昨日は休日のところ、お疲れ様でした!」
「向こう、行ってて・・・」
「はいっ!」
北野は医局の端にさがった。

僕はカバンをドサッと机に降ろした。

カバンに入ってるのはノートパソコン、折り畳み傘、読みもしない数冊の本。

横でピートが寝ている。

「深夜にオペか?」
「う?う、ああ・・・」
ピートは眠そうな男前を持ち上げた。

「4時にアッペが来てな。そのままオペになったんだぜ」
「あ、そう・・・、ま。仕事だな」
疲れている他人を見て少し楽になり、僕は立ち上がった。

「外来前の回診だる!」
ロッカーを開け、着替え。
出て行く前、札を<病棟>へ。

廊下を歩き、階段の手すりを、前腕でスーッとスライドする。
これにはかなり練習を重ねた。

勢いで、そのまま詰所へ飛び込む。
掲示板を舐めるように見回す。

<(次に)すべきこと 分かっていれば 手は止まらん>
最初のオーベンの言葉だ。これの裏を返すと、
<手が止まる てことは考え ない証拠>
とも皮肉られた。

循環器科の分野は特にそうだ。次はこれ!次はこれ!の世界だ。
なのでせっかちな人間が多い、というかそうなってしまう。

掲示板から重要事項のみをメモする。で、そこで本日の献立を立てる。
何時から何をして、どうすれば今日の仕事を効率よく時間内に終わらせるか。

 医長はそこが違っていて、終了時間をものともせず仕事を1つずつやっていく。
 自分の体力とも相談せず、ナースにも断りがないので最近ひんしゅくをかっていた。

「失礼します」
 重症部屋。肺気腫+気胸で入院した59歳男性。昨日、僕がトロッカーを入れた。
 肺の外にたまった空気は外へ出せたと思うが、肺がきちんと拡がったかどうかは写真を見ないと分からない。

その山本さんはボーっと天井を見上げていた。

「山本さん。山本さん!」
「ん?おう、ああ・・・!」
「眠れた?」
「眠れませんなあ。となりのイビキで!」
「すみません。大部屋が空いたらそこへ移りましょう」
「この邪魔な管は、いつになったら抜けるんですかいな?」

彼はドレーンをクイックイッと引っ張った。

「だめ!」
「いやいや、もう慣れっこでんがな」
「あのなあ・・・!」

エアリークはない。もう空気は出終わったのか。
吸引圧を高くする前に、念のためあとで写真を見ることにする。

てんかんのおばあさんも、どうやら発作はなかったようだ。
重症板にも記載はない。

横には・・・人工呼吸器のついた患者。強制換気、鎮静下だが努力様だ。
気道内圧が高い。
「呼吸器からの空気が入りにくい・・・?なぜだ?」
思い出した。昨日ナースから電話があった。痰でチューブが詰まりかかって・・。

重症板をみると、医長が挿管チューブを入れ替えてくれて・・・いない!

近くで吸引をしていた、おばさんナースがやってきた。この人はイマイチなんだよな・・。

「はいはい」
「昨日オレ、電話で言ったはずだけど。チューブの交換を医長に」
「え?知りませんよ?」
「あんたが知らんじゃなくて。ずっとこんな音、聞こえてるんだろ?」

挿管チューブから、痰による狭窄音が聞こえる。
おばさんナースは向きを変えた。

「おい!聞いてんのかよ!」
「もう!忙しい!」
「気道内圧上がってて、おかしいと思わなかったのかよ?」
「え?どれが?」

だるう・・・。

だがおばさんナースはこう返してきた。
「ユウキ先生は、医長先生にお願いしたんですかいな?」
「お、おれ?オレはミチル婦長に」
「直接、伝えてもらわんかったんですかいな?」
「そ、そう伝えてくれって」
「はあ。ま、婦長さんも医長を怖がってたしねえ」
「あのなあ・・・」

おばさんナースはドアを開け、詰所内へ入っていった。
ぞろぞろ集まってきている。

波多野じいが寝ている。酸素吸入中。

「やあ。おはようございます。波多野さん」
「これはどうも、すみませんなあ。昨日は・・」
「おしっこの管も、もう抜くから。少しずつ動きましょう」
「はいはい・・・」
じいはそのまま立とうとした。

「誰がすぐに立てと?」
「う、動けって・・せ、先生が言うたんやで」
「な?」

「先生!」
ミチル婦長が後ろに立っていた。後ろの日光で顔が黒い。
「な、なに?」
やはり日光がまぶしくて、僕は手をかざした。

「夜勤ナースに何を言ったんですか!」
「な、何って・・?」
「ユウキ先生がギャーコラギャーコラ叫んでいると」
「何がギャーコラ?ちっ!あいつ・・・!」

ドアに駆け込んだが、ミチルが塞いだ。

「気管チューブは、まだ換えてませんけど!」
「なんだよ。電話でそっちが報告して、確か俺、医長にお願いしてくれと言っただろ?」
「電話?しましたよ。でも医長に伝えるとは言ってない!」
「くう・・・!」

このミチルのキリキリカリカリした不機嫌。
どうやら悪い日に当たってしまったようだな・・・!

「そんなくだらないケンカより、チューブを換えましょうよ!」
シローが手袋をはめていた。北野が手伝う。

「あ、そ、そうだな」
僕は平静を取り戻し、一緒に交換に向かった。
「シロー。すまんな」
「気管支鏡でやります。点数稼ぎのこともあるので」
「なるへそ・・・しっかりしてんな」
「先生、ミチル注意報発令中ですよ。昨日の夕方から」
「そうか・・・早く教えろって!」

北野はわけがわからない。
「話が見えないんですが」
「話は見えんだろうが、ふつう!・・・ありがとう、シロー」
「いえ」
シローは目を合わさなかった。

チューブ交換が終わり、僕は廊下へ出た。

なんとそこに、ミチルがまた立っている。

「なんだよ。一体何人いるんだ?」
「あたしに言づてせずに、あなたが医長に直接言ってちょうだい!」

やはり。悪い日に当たったようだ。いつもの婦長ではない。

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