なんだかんだ働くうちに、もう夜の10時。
医局へ戻ると電気がすべて消えている。
パソコンも消えており、北野の姿もない。
明日で彼ともお別れだ。わけのわからん宿題まで出したが。

医局の内線が鳴る。事務当直だ。

『救急からの搬送依頼です』
「当直医はここにはいないよ。当直室は?」
『それが、出ないんです。電話に』

困った奴だ・・・。

『もう3件も断ってまして』
「オレ、違うのに・・・」
『じゃ、来てもらいますね。ガチャ』
「あ、おい!」

微かなピ〜ポ〜・・・が聞こえている。空に何重もこだまする。
遠ざかったと思ったら・・・また聞こえてくる。

「生化学の教授が、どうしたよ?」
僕はドアを開け廊下へ出て、当直室へ向かった。中は真っ暗のようだ。
「起きるんだよ!」
と言いながら、ノックする手はおとなしかった。

・・・・・・・・・・・・・・・

なにも返事はない。

もう少し大きくたたいてみる。
「先生!先生!先生!」

・・・・・・・・・・・・・・・

やはり返事はない。
僕のPHSが鳴る。
「はい?」
『事務当直です。もう来ます』
「わ、わかってる!くっ!」
ドカンと戸を叩き、廊下から階段へ飛び乗る。
手すりを肘でスーッと滑り落ちていく。

救急部屋へ入ると、そこには老ナースが待っていた。
外来の雑用しかしてないような人だ。

「点滴は何を?」
「とりあえずポタコールを」

救急車が到着、僕はトランク側に立った。
ドアが上に開き、まず・・家族らしき中年男性が降りてきた。
引き続き、ストレッチャーを運ぶ救急隊。

「60歳の男性です。近医でメニエルで受診中!レベルは100-200!」
「顔が黒っぽい。呼吸は?」
「あります。1分で24回。1人暮らしで家族が偶然発見」
「いつからこうなったか分からないわけだな!」

マスク呼吸で自発はある。僕は手首で脈を確認しつつモニター装着。老ナースは点滴の準備中。

「おい!あんたもやれよ!」
「・・・・は?だって点滴の準備が」
「サッサとやって手伝えよ!」

呼びかけに対しては寝言のような反応。モニターでは脈は速めのサイナス。
とりあえず徐脈性不整脈ではない。だが頻脈という情報では何も診断はつかない。
あらゆる病気が頻脈の原因になりうる。

動脈血ガス・緊急採血を採取。
「動脈血、そこの機械で測定!」
老ナースに渡すが・・・。
「へ?よう分からん・・・」
「ルートとれよさっさと!」
測定器にかけ、点滴確保。これがまた・・・血管が見つからない。肥満が強い。
検査技師が入ってきて、通常検体を持っていく。

「IVHしよう。頸部からする」
僕は自分でセットを出し、患者・家族に簡単に呼びかけ手袋。
「ナース。ちゃんと首を支えてろよ!」
「・・・え?」
「ボケッとすんな!」

逆流あり、10センチほど入れて固定。点滴調節。
「心電図記録・・・どいてくれ!」
ジャマなナースをどかし、電極取り付け。反応の鈍い人間が足を引っ張ることで、
患者に不利益をもたらすのはゴメンだ。

12誘導は・・・STが全体的に1ミリほど下がっている。そういや眼瞼結膜、白っぽかったな。
超音波を引っ張る。

「STが下がってる。狭心症ですか?」
救急隊が覗いている。
「いや・・・心不全や壁の動きの悪い所見はないな・・・むしろ過剰運動です」
「といいますと?」
「貧血による変化でしょうね」
「原因は?」
「さあ。それはこれから」

奥さんと思われる人が後ろから近づいた。
「なんなのでしょうか?」
「今は貧血としか」
「メニエルでずっとかかっていたんです」
「耳鼻科で?」
「なんでも診てくれるところです」
「どこ?」
「松田クリニック・・・」

くそ!またあそこか!

マーゲンチューブからの出血はなし。
CTへ運ぶ。家族もついてくる。

「検査か何かを・・・?」
「採血を何回かしてくれる以外は何も・・」
「結果は持ってない?」
「くれないんです。ま、いいでしょうって、それだけ」
「・・・・・」

頭部CTは異常なし。脳梗塞は否定できずだが理学所見
からは積極的には考えにくい。がやはり鑑別に。
そのまま胸部CT。

「そのまま腹部も頼む」
技師にお願いする。
「事務長が保険の関係上、CTの部位は1日につき2箇所までって・・」
「あいつ、ほざくなよ。救急で2箇所も3箇所もあるか!」

CTは骨盤部まで。つまり全身をほぼ確認することになる。

「胸部の動脈瘤は・・・ないか。よかった。でも腹部はどうだか・・・ん?」
胸から腹部のほうにスライス画面が切り替わっていく。肝臓が映った。
「あ、これだよ!これ!」
肝臓の右葉内に、うっすらと黒い部分、中に白い部分。白いのは出血で、黒いのは、
いや黒いのも古い出血か。

「肝臓は縮小ぎみだな。肝硬変+肝癌のラプチャー(破裂)かな?」
幸いバイタルは頻脈くらいだ。しかしぞっとした。さっきマーゲンチューブ(鼻から胃に入ってるチューブ)を入れたとき。食道の静脈瘤でもあって当たっていたら・・・。
改めてチューブを確認、出血はない。

「消化器外科を呼んで。彼らの範囲だ」
 当院では現在消化器内科がおらず、この分野は消化器外科に任せていた。コールして彼らが到着するまで、病棟にて待機。止血剤の指示を出す。

「血小板2万!ヘモグロビンは8.8g/dl!」
 技師がデータを持ってきた。肝硬変で血小板が減少し、出血傾向でも相まって肝癌が内部で出血したとみた。通常、こういう出血ではショック状態となる。

 しかしまた松田クリニックとは・・・。どうなってんだ。
これまでのデータをせがんだら、またブチ切れるんだろうな。

 確かに開業医というのがどれほど大変かというのは知ってる。最初に億の借金を抱え、たとえば3-5年の目標を立てて<回収>にまわる。しかしその間にも人件費や思わぬ出費(医師会への出費、検査機器の故障、診療報酬の改正)、患者数の減少があったりで、経営してる本人としては焦ることもあろう。理性と忍耐が必要だ。

 そこで本来の役目を忘れて、利己的診療・利益優先に走ってしまうとどうなるか。

 何も知らない市民が犠牲になる。

 ここはもう、その罪を犯しているのではないか。

 こういう現実にはしばしば直面するが、肩を落とすのではなく反面教師として、自分への教訓にしよう。

 ・・・しかしそれは、その後の現代社会を象徴する縮図でもあった。

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