2001年の初頭。冬の時代がやってきた。

北日本の大学で<名義貸し問題>が表面化し、それは全国の大学病院の威信・存在をも揺るがすことになった。

そこで各大学は名義の引き上げにかかり、引上げを迫られた一部の病院は、閉鎖の危機にさえ見舞われた。真田病院も例外ではなく、経営存続のためには胸部内科の2名の新規採用が不可欠だった。

そのため事務長らは新人発掘に月日・金を費やし、なんとか2名の確保にこぎ付けた。

その一方、病院で抱えきれなくなった膨大な患者数への対策として、新たな計画が実行されつつあった・・・。

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