NURSESIDE A ? 一触即発
2006年2月21日2001年春。月曜日。
朝の高速道路を白いクーペが走る。
お気に入りのラルクを聴きながら病院に行き来するのが、彼女のストレス解消法だった。
週休2日は優遇されている立場にも思えるが、その分この曜日へのプレッシャーは重かった。
プリクラだらけの携帯、ジューク(19)のメロディが鳴る。
「もしもし?」
彼女は器用に片手運転を始めた。
「お父さん?」
『ふんがあ。今日の夕食は、何合炊いとったらええんや?』
「なに。またそれ?」
『なあ。何合炊いたら・・・』
「じゃあ2合。でもあたし、今日は晩遅れるかもよ!」
『時間通りに終わらさんかいな!』
「そうもいかないのよ。今は重症の患者さんがいっぱいで」
『頑張らんかあ!戦争やと思ってやれ!』
「な、なによ・・・」
娘としては、<そうか。がんばれよ>くらい言って欲しかった。
彼女の父は団塊の早期世代であったが、このたび早期退職を迫られた。つまりリストラである。退職して父は生きがいを失い、いっそう老け込むようになった。母親は毎日コーラスに出かけており、父親は家で○○○○ビデオを見るか、娘に電話するのが日課だった。
一方、娘は婦長という大役を任せられ2年が経とうとしていた。前の婦長が何か問題を起こしてクビになり、主任であった彼女が急遽任された。29歳であった彼女も、31歳となっていた。彼女が言うには、女の25歳以降はまさに<坂を滑り落ちるような>早いものだったという。
笑った後に残る目じりのシワが気になる、今日この頃。
婦長のメリットは絶大な権力とコスト(給与)面。完全週休2日。勤務表を操れること。デメリットは・・当然、全責任を負うこと、夜間の連絡、場合によって駆けつけ。人手が少ないとき自分がカバーする場合もある。
彼女の悩みはそれだけではなかった。旧体制派・・つまり真田病院が古い病院であった頃からの古参グループの圧力。それだ。人間関係。病院での自主退職の最も主な原因は、人間関係だ。いくら評判の良い病院でもそれだけは予測できない。
ナースのうちオーク軍団は高齢者が多いため、ほとんどは療養病棟・軽症病棟での配属だが、重症病棟ではまだ3人、その<旧体制派>が残っている。オーク軍団の頂点にいるその3人は、影の三羽ガラス(正直どうでもいいのだが)と言われていた。
それにしてもこの月曜日の朝。言いようもない朝の緊張感がミチルの肩にのしかかってくる。
クーペは左車線へと移動を始めた。前方の見通しは良好。
父親はまだ喋りつづける。
『患者さんの話をよく聞いて!ちゃんと目上の意見を聞いて!』
「残念!<目上>は私でした!もう新米とは違うんだから!」
『言う事聞かんスタッフには、激を入れるんや!』
「あたしにはそんな。無理よ」
『ヒック』
「また飲んでる!」
『お前は人がよすぎやからな。ゆ、油断したらそのうち痛い目にあうで!』
「るさいわね・・・!あいませんよーだ!」
『親に<うるさい>はないやろ。食わせてもろとる親に。その親にお前・・・!』
実際、家族を食わせているのはミチルだった。
『まあお前は婦長になってやな、そのなんやな。給料は上がったりいの、周りから尊敬されえの・・・高飛車になりおって』
父親はなにかと文句をつけたかった。娘は無視した。
『ま、それはええわい。お前の問題じゃ。わしらは知らん。なんでわしが悩まんといかんねん?』
「さあね」
『お前ももう、三つ子じゃないんやから!』
「・・・・・」
『ところで今日の夕食は、何合炊いとったらええんや?』
「はあ?それはさっき言ったじゃない!」
『ほらほら!すぐカッとなるお前は。患者さんにもそんな態度で接してるんか!ええか。話しかけるときのコツはやな!ぶつぶつ・・・!』
父親の痴呆、よけいなおせっかいがミチルの悩みの種だった。
「さっきから黙って聞いてたら!失礼な!あたしの仕事ぶりも知らずに!」
『親やから!心配するんじゃ!』
「こっちの言う事にもたまには、うなずいたらどう?」
『便が出そうやな。じゃ、運転気をつけろよ』
「聞いてないわね・・・」
『おいお前、ところで前を見てるんか?油断すな!運転中に電話なんかしおって!』
「そっちがかけてきたんでしょ?」
『事故でも起こしてみい。そんなお前を誰が世話できるっちゅうねん?』
「気をつけるのはお父さんのほうよ!いつも酒飲んで道路で倒れたり!」
『わしか?わしはもう年やからええんやが。だってお前はひとりもんやし・・・へへ(ブツッ)』
「なにぃ?うるさい!あ!くそ!切りやがった!」
ラルクの<ネオ・ユニバース>はもう終わりかかっていた。
「あのオヤジ・・・エロビデオ隠してること言うたろか!」
彼女は気を取り直した。ここ数ヶ月、彼女は自分の怒りをコントロールできていた。
「さあさ、急ごう!はいどぅはいどぅ!」
ミチルは指示器を左に落とし、高速道路をゆっくりと外れていった。
「あのオヤジ。なにが<ひとりもん>よ!失礼な・・・!」
ミチルは大きな口を開けて歌い始めた。
「♪めぐりあ〜えて・・・よかあったあああああふう!イエーイ!がんばるぞー!」
下り坂で合流したと思われたとたん、助手席に大きなセダンが左からモロにドカンとぶつかった。
「きゃああああああ!」
クーペはそのまま坂道を滑り落ち、側道沿いの街路樹に突っ込んだ。
朝の高速道路を白いクーペが走る。
お気に入りのラルクを聴きながら病院に行き来するのが、彼女のストレス解消法だった。
週休2日は優遇されている立場にも思えるが、その分この曜日へのプレッシャーは重かった。
プリクラだらけの携帯、ジューク(19)のメロディが鳴る。
「もしもし?」
彼女は器用に片手運転を始めた。
「お父さん?」
『ふんがあ。今日の夕食は、何合炊いとったらええんや?』
「なに。またそれ?」
『なあ。何合炊いたら・・・』
「じゃあ2合。でもあたし、今日は晩遅れるかもよ!」
『時間通りに終わらさんかいな!』
「そうもいかないのよ。今は重症の患者さんがいっぱいで」
『頑張らんかあ!戦争やと思ってやれ!』
「な、なによ・・・」
娘としては、<そうか。がんばれよ>くらい言って欲しかった。
彼女の父は団塊の早期世代であったが、このたび早期退職を迫られた。つまりリストラである。退職して父は生きがいを失い、いっそう老け込むようになった。母親は毎日コーラスに出かけており、父親は家で○○○○ビデオを見るか、娘に電話するのが日課だった。
一方、娘は婦長という大役を任せられ2年が経とうとしていた。前の婦長が何か問題を起こしてクビになり、主任であった彼女が急遽任された。29歳であった彼女も、31歳となっていた。彼女が言うには、女の25歳以降はまさに<坂を滑り落ちるような>早いものだったという。
笑った後に残る目じりのシワが気になる、今日この頃。
婦長のメリットは絶大な権力とコスト(給与)面。完全週休2日。勤務表を操れること。デメリットは・・当然、全責任を負うこと、夜間の連絡、場合によって駆けつけ。人手が少ないとき自分がカバーする場合もある。
彼女の悩みはそれだけではなかった。旧体制派・・つまり真田病院が古い病院であった頃からの古参グループの圧力。それだ。人間関係。病院での自主退職の最も主な原因は、人間関係だ。いくら評判の良い病院でもそれだけは予測できない。
ナースのうちオーク軍団は高齢者が多いため、ほとんどは療養病棟・軽症病棟での配属だが、重症病棟ではまだ3人、その<旧体制派>が残っている。オーク軍団の頂点にいるその3人は、影の三羽ガラス(正直どうでもいいのだが)と言われていた。
それにしてもこの月曜日の朝。言いようもない朝の緊張感がミチルの肩にのしかかってくる。
クーペは左車線へと移動を始めた。前方の見通しは良好。
父親はまだ喋りつづける。
『患者さんの話をよく聞いて!ちゃんと目上の意見を聞いて!』
「残念!<目上>は私でした!もう新米とは違うんだから!」
『言う事聞かんスタッフには、激を入れるんや!』
「あたしにはそんな。無理よ」
『ヒック』
「また飲んでる!」
『お前は人がよすぎやからな。ゆ、油断したらそのうち痛い目にあうで!』
「るさいわね・・・!あいませんよーだ!」
『親に<うるさい>はないやろ。食わせてもろとる親に。その親にお前・・・!』
実際、家族を食わせているのはミチルだった。
『まあお前は婦長になってやな、そのなんやな。給料は上がったりいの、周りから尊敬されえの・・・高飛車になりおって』
父親はなにかと文句をつけたかった。娘は無視した。
『ま、それはええわい。お前の問題じゃ。わしらは知らん。なんでわしが悩まんといかんねん?』
「さあね」
『お前ももう、三つ子じゃないんやから!』
「・・・・・」
『ところで今日の夕食は、何合炊いとったらええんや?』
「はあ?それはさっき言ったじゃない!」
『ほらほら!すぐカッとなるお前は。患者さんにもそんな態度で接してるんか!ええか。話しかけるときのコツはやな!ぶつぶつ・・・!』
父親の痴呆、よけいなおせっかいがミチルの悩みの種だった。
「さっきから黙って聞いてたら!失礼な!あたしの仕事ぶりも知らずに!」
『親やから!心配するんじゃ!』
「こっちの言う事にもたまには、うなずいたらどう?」
『便が出そうやな。じゃ、運転気をつけろよ』
「聞いてないわね・・・」
『おいお前、ところで前を見てるんか?油断すな!運転中に電話なんかしおって!』
「そっちがかけてきたんでしょ?」
『事故でも起こしてみい。そんなお前を誰が世話できるっちゅうねん?』
「気をつけるのはお父さんのほうよ!いつも酒飲んで道路で倒れたり!」
『わしか?わしはもう年やからええんやが。だってお前はひとりもんやし・・・へへ(ブツッ)』
「なにぃ?うるさい!あ!くそ!切りやがった!」
ラルクの<ネオ・ユニバース>はもう終わりかかっていた。
「あのオヤジ・・・エロビデオ隠してること言うたろか!」
彼女は気を取り直した。ここ数ヶ月、彼女は自分の怒りをコントロールできていた。
「さあさ、急ごう!はいどぅはいどぅ!」
ミチルは指示器を左に落とし、高速道路をゆっくりと外れていった。
「あのオヤジ。なにが<ひとりもん>よ!失礼な・・・!」
ミチルは大きな口を開けて歌い始めた。
「♪めぐりあ〜えて・・・よかあったあああああふう!イエーイ!がんばるぞー!」
下り坂で合流したと思われたとたん、助手席に大きなセダンが左からモロにドカンとぶつかった。
「きゃああああああ!」
クーペはそのまま坂道を滑り落ち、側道沿いの街路樹に突っ込んだ。
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