幸い、ミチルは怪我もなく、打撲もないようだった。どこも痛くない。

「うう・・・」

ショックで体が硬直している。いったん車をおそるおそる・・バックした。

助手席側のドアはおそらくペシャンコだろう。

だがそれよりも気になるのは相手だ。

気がつくと、音楽がガンガンやかましい。
「うるさいのよ!あんたは!」

ドアを開け、後ろに停車している黒のセダンへ、タタタと歩み寄る。
右側は大きくへこんでいる。

「す、すみません!」

セダンの運転席のウインドウがサーッと下ろされた。
無愛想な太ったオバサンの顔だ。首の周辺を宝石で飾ってある。

「ちょっとアンタ・・・」
オバサンは今度はウインドウを上げ、改めてドアを開けた。
「あ〜あ・・・」
彼女はまず自分の車のボディを確認にかかった。

ミチルはオバサンの体の周囲を見回した。
「ケ!ケガは?怪我はありませんでしたか?」
「ん?せやな。たたた・・」
オバサンはわざとらしく、腰を押さえた。かなり太っており、変形性の関節症もあると思われるが。

「こ、腰ですか?」
「ああ。そういやなんか痛いわ。首もなんとなく・・・」
「びょ、病院へ!とにかく病院!でも救急車?警察?えっ?えっ?」
ミチルは震えながら、携帯を取り出した。

「今は救急車はええわ。とりあえず、警察呼ぼか」
オバサンは自分の車の凹みを見ながら呟いた。
「あ〜あ・・・ここもやられとる・・・これもや。ツッ(舌打ち)」

ミチルは110番へ連絡した。
『はい。もしもし』
「あの!車が2台ぶつかって!大変なことに!」
『うん。まあ落ち着いて。大丈夫だからねー』
「大丈夫じゃないわよ!」
『大きな事故なのかなー』
「大きいわよ!」
『そこはどちらですか?』
「え?」

見回すが、道路以外何も見当たらない。
近くを高速で車がビュウンビュウンと通り過ぎていく。
思わず指を耳に突っ込んだ。

「道路しか・・・!」
『何か、看板とか建物とか・・・』
「周囲にマンションがありますが・・・名前は」

なんとか場所の特定に四苦八苦し、警察は了承した。

『相手の方は、どんなですか?』
「首と腰が痛いと・・」
『救急車は必要ですか?』
「歩けているようです・・・」
『そうですか。なら待てますね。しばらくそこでお待ちを』
「あの!どれくらい?あたしも仕事場のほ・・」
『あのねー。しばらくそこでねー』
「どこから来るの?」
『そこでじっとしといてねー。さもないとオタク、不利になるからねー(ブツッ)』

電話は切れ、ミチルはまたオバサンに近寄った。

「すみません。私が左をよく見てなかったせいかも・・」
「わしは、ちゃんと見ていたがに」
「すみません。すみません」
どっちに分があるとかそういうことよりも、相手に症状があるのがつらかった。

オバサンは顔を合わさず、また車の傷を指でなぞる。

ミチルははっと気づき、携帯を鳴らした。

『はいこちら真田病院!本日の外来は朝9時よ・・』
「田中君?ミチルなんだけど!」
『ただいまルスにしておりますのでご用の方は・・』
「ちょっと!ふざけないでよ!」
『おおこれはミチル姫。おはようございます』
「い、今何時?」
『ちょうど8時になるとこですね。では』
「ちょっとちょっと!切らないで!」
『事務長はまだこちらには出勤は・・・』
「ではなくて!その!」

ミチルは小さく息を吸った。

「あまり大げさにしてほしくないんだけど・・・」
『おめでた?男?女?それはまだか』
「違うわよ、もう・・・実は交通事故に」
『ええっ?交通事故?婦長が交通事故?大変だ!』
「しっ!小さな声で!」

周囲でざわめきが聞こえた。

「しっ!まだここだけの話にして!」
『無事ですか?婦長さんは?』
「あたしは別に。相手の車に当たったのか、相手がぶつかったのか・・同時なのか」

ショックで思い出せない。

『相手の方は・・・』
「関節の痛みとかあるみたい。病院で診察を受けると思うけど」
『ではぜひうちへ。整形に最優先で診てまらいましょうや』
「うちかあ・・・でもなあ」

真田病院まであと数分の距離ではある。しかしミチルはイヤだった。事の大げさが拡がるのを嫌ったのだ。

「なんとか間に合うようにしようかとは思うけど・・・あたしの車、ボロボロで」
『へいへい』
「迎えに来てくれる?」

ミチルの車の左舷もかなりへこんでおり、これで出勤したら駐車場でバレてしまう。

『じゃあ、あっしが行きましょう・・・場所を』
「助かるわ。場所はね」

伝え終わり、ミチルは携帯を切った。引き続き、車を開けてエンジンを止めにかかった。
「おうわっ?」

 車の中はかなりの大音量だった。よりによって「リング0」の主題歌だ。

 ♪しゅうまく〜へむ〜か〜う
「やめてよ!」
 ミチルは思わず叫んだ。

オバサンはタバコを吸いながら、路側帯に立っている。
ミチルも少し離れて立ち、警察と田中くんの到着を待った。

また電話が鳴る。

「もしもし?」
『ああ、それでな。近所から魚もらったからそれを夕方・・』
「お父さん?もうやめてよ!」
『なんや?どうしたんや?』
「今は電話に出れるような状況じゃなくて!」
『出とるやないか?はっはおかしなヤツや。人のことチホー、チホー言うといて。自分やないか。ははあ』
「切る」
『親子の縁を?』
「ち・が・う!」

彼女は指を押し込むように携帯を切った。

オバサンは横目でミチルを睨んでいた。
彼女も負けず電話し始める。

「ああ。うん。そうなのよ。じこ。ふうん?いきなりぶつけられて。なんかうん。あちこち痛い。
アーイタタ・・・」
彼女は実にわざとらしく四肢をさすった。

すると後方彼方から、ミニバイクがドドド・・と駆けてきた。どうやら警察の到着だ。
ヘルメットを脱ぐと、もう60代くらいの爺さんのようだった。

「うわあ。結構派手にやっとりまんなあ!ええ?」
完全な他人事のように、爺さんは車を見回した。
「うわっ。ここも。ここも。ひえ〜・・・うわっ。うわっ」

ミチルには時間がなかった。
「あの」
「はいなっ?」
「状況の説明を。急ぐので」
「はいな。じゃあ聞かしてもらおか」

爺さんはやっと仕事の顔に。

するともう1台のミニバイクがまた後ろからドドド・・とこちらへやってきた。彼も警察だ。
ミチルは爺さんに説明を始めた。おばさんは離れている。

「あたしは高速道路を降りて、一般道路に合流」
「ははあ。アンタは高速道路を降りて、一般道路に合流したと!高速道路やな。高速!有料のな!」
「・・・・え。ええ。で、そのままドカンと」
「待てよ待てよ。こうそくどうろ・・・こうそくどうろ・・・はいと!いっぱんどうろから。まてよ。まてまて」
爺さんはメモが遅かった。

「そしたらはい!一般道路に入りました!入ろうとした!」
「はい。そこでドカンと」
「待ちいな。アンタは運転しとった以外何か・・」
「け・・・携帯で話してました」
「おっ?それはいかんな〜いかんいかん!」
「あ、でも携帯は切りました。そのあとの事故で」
「いやいやアンタの口ぶりでは、携帯で話しよった最中に」
「正確には、携帯を切ったあとでして」
「うん。まあホントかどうか別として」
「ホントよ!」

バカな警察相手に、ミチルは怒りを抑えるのがやっとだった。

もう1人の警官は、オバサンから事情聴取。
ミチルを何度も指差している。

「ミチルさん・・・やな。アンタから当たった覚えは?」
「左は確認していたんですけど・・・急にドカンと音がして」
「ほう!見てはいたけど音がした!」
「はい。でもあまりのショックで状況が」
「向こうの車は前から後ろまでキズありまっせ。ドカンやなくてズズズって擦ったんちゃいますの?」
「後ろから当たって、あたしはブレーキ押して、そのまま相手が前方へ・・・だったかな?えっと・・・」

よく思い出せない。

「ま。あんたはそう言うてるけどもな。相手の話が優先や。被害者の」
「被害者?」

警官は退がり、もう1人の警官とペチャクチャ話し始めた。

「ミチルさん!」
田中君が自家用車から降りてきた。スーツ姿だ。
「大丈夫で?」
彼はミチルをの周囲をクルクル回り、向かい合って立った。

「ミチルさん。詰所はもう、申し送りの時間ですね」
「午前中の出勤は無理かなあ・・・」
「相手の方、もし病院に行くのであれば。ぜひ当院へ」
「あの。うちを勧めないで!」
「なして?」
「知られたくない!」
「最近うちも患者数が少なくて、へへ」

警官が戻ってきた。

「ああ。ダンナさんでっか」
「いえ。以前ふられまして」
田中君は本音を喋った。

警官のじいさんは頭をポリポリ掻いた。

「あのねえ。ミチルさんとやら。相手の証言ではね」
「はい・・・」
「あんたが一方的にぶつかってきよったって。で、引きずられたって」
「そ、そうなんでしょうか?」
「そ、そうなんでしょうかって?わしらはただ、現場検証してるわけやからね」
「あの方を病院に」
「ああ。どこがあるかいな。この近くは・・・」
「<なにや救急病院>が」

田中くんは驚いて身を乗り出した。
「ミチルさん。そこは真珠会が乗っ取・・・」
「ダンナさんは黙っといてもらえまっか」
警察官は病院の名前をメモした。

「そうでっか。これはご親切に。じゃ、保険屋にも電話しといてえな」
「はい」
「ミチルはんには同行はして欲しくないと、被害者の相手さんからの伝言や」
「・・・・・」

ミチルはあちこちに、ペコッと頭を下げた。
「本当にすみません・・・」
「へッ」
オバサンはふてくされ、車に乗り込んだ。

強烈な日差しが、いきなりミチルの眼を鋭く貫く。
「くっ!」

 ♪・・・まぶしすぎて、あしたが・・・がみえ〜な〜い・・・

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