申し送りは終わり、各ナースらは持ち場へと向かった。
リーダーは新人の美野(医局人気ナンバー1)が担当した。若すぎて頼りないのはみな経験することだ。

美野の補助として、婦長は横で見守る。

「ふちょうさん。顔悪い」
「なんですって?」
「あ。間違えた。顔色悪い」
「いつものこと」
「なんかこうイライラしてません?」
「ふう。あなたたち若いコって、どうしてそうズケズケ聞くの?」
「えー。なんか気になるしぃ」

今の若いコは、以前と全く違う。厳しく指導してもついてはこない。ミチルは限界を感じていた。
まして言葉遣いの指導まではする気になれない。

トシキ医長がやってきた。この男が現れると、氷が張り付く。

「おはよう。変わりは?リーダー美野」
「あ、はい」
「あるのか?ないのか?」医長はせわしく片足をタンタン叩く。
「えーっと・・・かっわっりっは・・・」
「外来の合間に来たんだ。今のうちに!」
「大部屋の連合弁膜症の方。夜間に38℃の熱。他のバイタルは異常なし」
「昨日の夜、抗生剤の指示を出した。IEの除外診断のためにエコーを行う。で・・・以後は?」
「そのあっとっは・・・待ってくださいね・・・」

気まずい沈黙が流れる。しかし医長にしては怒らない。
若い子にどこか照れがちな医長は、どこかヒンシュクだった。

「えーと。下がりました」
「なにが?熱か?何度にだ?」
「今日の早朝5時は37.6℃」
「少しずつは効いてきたか・・・」
「何の熱なんですか?」

医長は少しムッとした。
「それは今日の検査でこれから・・!」
「あ。1時間前が38.6℃。上がってますね」
「な・・・!」
「抗生剤が効いてない・・?えっ?」まるで誰かのような口ぶりだ。

婦長はイライラして、報告書を優しくだが奪った。
「かして。医長、続けます。まず重症部屋の心筋梗塞の逆巻さん。カテ後の胸痛はなし。これが早朝の心電図。ST低下のさらなる低下はなし。不整脈もなし」
「モニターでも単発くらいかな・・」
医長はモニター画面を指でなぞると、時間をさかのぼった脈が全て流れるように出てくる。

「不穏がありまして。当直の真吾先生からはセレネースの指示が」
「・・・?」医長は重症部屋をガラスごしにのぞいた。

「スヤスヤ寝ているじゃないか」
「さっきまでは暴れていたようです。また夜間が心配です」
「真吾は、見にきたのか?ここまで」
「いえ・・・」

医長は大きくため息をついた。
「いい度胸だ・・・仕事を増やしてやる」

主任が重症部屋から顔だけ出す。

「アウトプット測定の用意はできています」
「今からする」
「分かりました!」

ミチルは何やらサインして、報告にもどる。

「それと先生。坂巻さんの家族の方が、説明を聞きたいと」
「今は無理だ。午後、外来が終わってからだ」
「新幹線で名古屋まで帰る予定があると。仕事の関係で」
「心筋梗塞だぞ?そう簡単に帰ってもらうと困る!」
「は、はい。ですが」
「仕事と家族の命と、どっちが大事なんだ?」
「・・・・・・(あたしに聞かれてもそんな)・・・・・・」
「家族にはせめて、夕方まで残ってもらうように伝えてくれ」
「つ、伝えてみます。もう1人の入院。肥大型心筋症。呼吸不全で入院」
「レントゲンは?」

医長はシャーカステンに用意されたレントゲンなどの検査を見渡した。
「高熱もあったそうだな。肺炎の影が・・ないともいえない。CTを今すぐ」
「昼前でもいいでしょうか・・?」
「今すぐ。すぐだ!はやく!」
「はい。報告では夜間にボルタレン座薬を使用・・・」
「バカ!これを見ろ!」
医長は外来カルテをたたきつけた。

「喘息があるんだ!なのでここにほら!書いてあるのに!」
外来カルテの表紙に<NSAID禁忌>と赤で書いてある。
婦長もギョッと驚いた。

「指示を出したのは真吾か!」医長は噴火した。
「そ、そうです。電話で」夜勤明けがカウンターから振り向いた。
「電話で。で?君ははいそうですか、と指示を拾ったのか?」
「はい・・・」
夜勤明けは気まずそうにうつむいた。

「どしたんです?」ザッキーがガムを噛みながら現れた。
「これだ」医長はカルテをザッキーに見せた。
「・・・これはいかんでしょう?前にも・・・」

以前NSAIDで喘息が悪化したことがあった。

「心筋炎だって完全に否定できてないんだ。安易にNSAIDを投与されたらたまらない!」
医長は各患者の重症チャートを確認していった。
「何かあったら真吾と君らの責任だ!」

婦長は深く頭を下げた。
「申し訳ありません・・・」
「君は悪くないだろ。悪いのは夜勤だ」
夜勤明けはカウンターに向かい縮まってしまった。

「なになに?どうしたの?」今度はシローが現れた。
「これだ」医長はカルテをザッキーに見せた。
「えーっ?マジ?これはいかんでしょう?」
夜勤明けはさらに小さくなった。婦長はみかねた。

「今後はそのへんの指導もきっちりと・・・ですが真吾先生にも」
「ホント、頼むよ」ザッキーは時計を見ながら指示を書き始めた。

そこへさらに、僕が現れた。
「え?どしたの?」
「もういいじゃないですか・・!」
婦長は僕を睨んだ。

オークら、他のナースらはミチルをキキョロキョロ見ている。
何か言って欲しいのか。

「いいって?は?なにを?」
「きちんと話しておきますので!」
「だから何?」
「ですから!先生方にも落ち度はないとは言えませんので!」
「・・・・・さっぱりわからん」

カウンターで夜勤明けナースがうつむいており、マスクをサッとかけた。
目の周囲が真っ赤だ。僕は近づいた。

「彼女。風邪か?」
「ちがいます!」
婦長は両手でカルテをトントン、机を打った。よくやるしぐさだ。

婦長は申し送りを続けようとした。
「新入院は以上で、あと重症部屋の」
「アウトプット測定だ!」医長は無視してか重症部屋に向かった。
「・・・・・・・・」
婦長は仕方なく、続きの申し送りをリーダーに頼んだ。

「おれ。何かあった?」ザッキーが目前に現れた。美野は微笑んだ。
「おめざめ?」
「なんで土曜日、来なかったんだよ。電話したのに」
「えへ・・・」
「彼氏?PTの?」
「ちょっと温泉に」

僕は少し気になった。
「おお・・・・温泉りょこう・・・?はうわ!」
「彼と温泉旅行?2人で?」ザッキーが追求する。
「そうでーす」
「ラブラブだね」
「そうでーす」
「だって。ユウキ先生」

「なんでオレにふるんだよ!」
僕は困惑した。

シローがモニターを追いながら笑う。
「ふるんじゃなくって、ふられたんでは?」
「こやつ!」
僕はシローを追いかけ、廊下へと走っていった。

婦長は美野の腕をつかみ、横へ放り出して報告を始めた。

「ザッキー先生は・・・2日前にDCした患者さんはその後もサイナス。不整脈はありません」
「今日、運動負荷して退院だな」
「では指示をまた」
「ああ。カテ熱の患者は?」
「カテーテルを抜いて、あれからは高熱はありません」
「微熱は?」
「・・・・36℃台。ですが先生。末梢血管のルート確保が困難で」
「うっそ?なんとかなるでしょ」
「私もこのあと確認しますが、どうも難しいようで」
「入れなおす?そんな時間はないよ?今日は。RIの当番に、カテカンファ、健診の出張もある」

その患者は食欲不振で入院していたが、栄養はもっぱらIVHだった。熱が下がって数日は末梢血管点滴でいく考えだった。
しかし手足とも点滴の入る場所が見つからない。

「ま、がんばってよ」ザッキーは軽く流した。
「わ・・わかりました」
「あとは?」
「食道エコーがこのあと控えています、神野さん。患者さん本人が検査をしたくないと」
「おいおい。2日前、同意書をもらったよ?」
「ですが、現時点では」
「納得したんだよ?そうか。家族がいないから・・・」
「情報では、同室者が何か吹き込んだという噂もありますが」
「説得しといてよ。検査は予定通り、やるから」
「あ・・・!」

ザッキーは走っていった。

「先生!ザッキー先生からもう1度説得を!」
「しといて!」
ザッキーは消えた。

うずくまっていた美野が起き上がった。
「婦長さん。どうしましょうか・・・」
「あたしが1度、説得してみるわ。はっ?」

ポケットに振動を感じた。電話だ。
「ちょっとあたし!」
「え?婦長さん!どこへ?」
「行かないとわたし!」
「どこへ?あたし1人にされたら!」
「ちょっとだけ!」

ミチルは急いで廊下へ出て・・・患者用トイレへと駆け込んだ。

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