「すみませーん」

忙しい詰所の外から中年女性の声がする。ナースらはIVH介助、次のカテ出しに忙しい。
ベッドの移動もある。力仕事は終わらない。

「すみませーん」

「はーい!」
重症部屋から婦長が出てきた。心筋梗塞患者の心電図記録などを手伝っていた。

「婦長さん。これ」
今日退院する患者の家族だ。カテーテル検査目的で入院、有意狭窄なしで経過観察となった。
その患者のワイフだ。表情に余裕があり、優雅だ。

「えっ?あ、しかしこれは」
婦長は渡された袋を覗いた。どうやらお土産のようだ。
「これはちょっと・・・いただけません」
「まあまあそんなこと言わずに。みなさんで」
「でも・・・」

 一応、詰所の外には<お心遣いは遠慮いたします>の張り紙がしてある。しかしここは大学病院や
公立病院のような厳しい縛りはない。なのでここは臨機応変に・・・

「す、すみません・・・」
と受け取るのが正解だろう。婦長は袋をさげ、詰所の奥へと持っていった。
他のナースら、特にオークらは目で追い続けていた。

詰所奥には、メガネを壊されて仕事にならない新人(池田)が座っていた。

「池田さん。これ患者さんからもらったの。日勤が終わったら開けましょうか」
「はい」
「あっ?」

婦長が気が付くと、背広の男が立っている。好青年だ。
「あ!こんにちは!どうも!」
名札からするとMRのようだ。

「今は勤務の最中ですので・・」婦長はあしらおうとしたが、
「いえいえ。近く行われる勉強会の用事でして」
「あ、すみません。いつも資料をどうも」

一瞬、新人とMRがクスッと笑い申し合わせたようにみえた。

婦長は詰所に戻ろうとしたが、新人に呼び止められた。
「婦長さん」
「なに?」
「すみませんけど。今日の深夜入り、入れません」
「メガネのせい?」
「はい。仕事にならないんで」
「スペアとかなんとか都合、つかない?」
「えーだってさっき婦長さん。なんとかするって・・」
「言ってないわよ」

たしかに言ってたのだが。

「そんなあ、おい、なんとかせいや!」大奥が薬を数えながらせせら笑った。他のオーク2人も隣に座っている。
「レンズを直接、目に貼るとかやな!わっはは!」

新人はミチルの背後に隠れた。
「婦長さん。こわい・・・」
「日勤の午後に言われても、代わりが見つかるかどうか・・・」
「とにかくお願いします」

新人は婦長に託し、また控え室に戻った。

「さてと・・・!」
カテ出しを見届け、IVH介助を見に処置室へ。

処置室ではザッキーが悪戦苦闘している。
「ダメだ。入らないよ!」
頸部をガーゼで押さえている。なかなか入りにくいとみえる。
出血の跡が痛ましい。たぶん何度も穿刺したのだろう。

「脱水があるからかなあ!」
ザッキーは汗だくになりながら、言い訳していた。

「血管が細いんだよなー・・・」
ザッキーはガーゼを外し、またトライにかかった。首の上から下に向かって、急角度で針を入れていく。
注射器を引きながらだが、血液はいっこうに戻ってこない。
「あっ?」
ザッキーの手が止まった。
「エア(空気)?今のエア?」

主任と婦長は冷たく固まっていた。
主任はしびれを切らす。
「別のドクター。呼びましょうか?」
「いや、いい!」
「・・・・・」

主任もそれ以上は言えず、また患者の手を押さえにかかった。シーツに隠れた顔に話しかけるため、主任はシーツ下から顔を覗いた。
「はいはい!もうすぐ終わるからね!」
ザッキーへの密かなプレッシャーでもあった。

婦長は処置室を出て、見回した。医長がいる。助け舟だ。

「医長先生。トシキ先生」
「ん?」
医長は回診の準備のためカルテを数えていた。

「IVHですが。入りにくいようなので」
「ザッキーのか」
「はい。よろしければ先生・・」
「ダメだ。今日は夕方から会がある」
「では回診を延期で?」
「いや。回診はする。処置のことについては、他のドクターへ」
「そうですか・・・」

すると主任が出てきて、医長にガウンを着せた。
「はいはいはい!こっちこっち!」
「な!なにを?」
「はいはいはい!」
「僕は今から、回診が!」
「はいはいはい!大奥さんらも手伝って!」

オークらも早めの仕事終了のためか、すんなり従った。
3人が医長を囲み、処置室へと向かわせる。

「(オーク3人+主任)はいはいはいはいはい」
「回診があるんだ!」
やがてその声は消えていった。

 詰所奥、まだMRが立っている、何やら楽しげに話しているようだ。注意しようと思った、そのとたん携帯が震えた。

「どうしよう・・・今度電話に出なかったら・・・」
心配がよぎり、ミチルは猛ダッシュした。

詰所出口で、クラークとぶつかりそうになった。クラークはちょうど伝票をもってきたのだが・・・。
「婦長さん。この結果、早めにドクターに渡したほうがいい!」
「しといて!」
婦長はドカンとぶつかり、非常階段の入り口へと向かった。

ドカン、と扉を開け、やっと電話に出た。

「もも、もしもし!」
『事故の者ですけど』相変わらず非人間的な態度のオバサンだ。確かに事故以外、つながりはないのだが。
「お、お体大丈夫でしょうか?」
『あんね。京都から今、戻ったとこ』
「そうですか・・・」
『アンタ。電話に出ないってのはどういうことよ』
「仕事中だったので」
『アホ。被害者のことと仕事と、どっちが大事やねん』
「・・・・・・・・・」
『ああ、ほんでな。今後もいろいろ用事があんねんな。それの交通費をな』

婦長は保険会社のアドバイスを思い出した。

「そ、それは保険会社を通して・・」
『なんでやの。保険会社がそんなん出すかいな?』
「・・・・・」
『人をコケにするのもええかげんにしいや!』
「ひっ・・・」
『いたた・・・こりゃかなり後遺症残るでえ・・・たたた』
「しばらくかかりそうでしょうか・・・」
『ああ。診てもらったドクターがな。言うてたよ。これは重症だから、何年も通わないといかんって』
「・・・・・・・・・」

保険会社は<大したことない>って言ってたが。

『いっとくけど。こっちの保険は使うつもりないから。掛け金、上がるし』
「・・・・・・」
『人身事故にしようとな、まあ思うわけやけど。そっちの誠意があったらまあ考えるが』
「誠意・・・」
『アホやな。よう聞けいや。修理費は全部そっち持ちでやな。今後かかる医療費とか交通費とかあろうが?』
「はい・・・」
『それをな、常識のある人間やったらな。ハイすべてこちらが負担しますってな。言うもんが筋やろ!』

メチャクチャな筋だった。

「ほほ・・・保険会社を通して」
『あっそう。ええの?人身事故になるで。そしたらあんた罰が下るで』
「う、うう・・・」
『ま、1日あげるわ。あすまで考えときいや!』

電話はプッと切れた。

「うぷっ!」
婦長は吐き気をもよおし、ダダダと1階まで降りた。すいている外来へ向かい、職員用トイレまで駆け込んだ。

「おい婦長!」最悪なことに、事務長に見つかった。
「どうしたんだ!」

婦長はかまわず、トイレの扉を閉めた。
「はあ、はあ・・・うぷ!」
たまらず、洋式便器の中に吐き出した。

「げろげろげろげろ!」

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