「はあ、はあ、はあ」
吐き終わった婦長は、すっくと立ち上がった。見上げる天井。独特の閉塞感。

「う・・・うひっうひっうひっ」
情けない顔になり、涙が一気にあふれ出た。
「ひっひっひっ・・・ひくっひくっ!ふ!ひ!」

足跡が近づいてきた。反射的に声を押し殺す。

「おーい!ミチル!僕だ!」事務長がやってきた。女子トイレだからか、入り口手前で隠れているようだ。

「返事をしろ!いるのか?」
「・・・・・」
「一体、どうした?誰かに責められたか?」
「・・・・・」
「事故はそんな、たいしたことなかったんだろ?田中くんから聞いた」

内緒にしておいてくれるはずが、田中はペラペラバラしていた。

「とすると、職場のトラブルだな。そうだろ?」
「・・・・・」
「大奥たちだろ?かわいそうに。仕事が終わったら、僕の車で送ろう」
「・・・・・」
「そして三宮で買い物しよう!プリリーオーメンライクに!」

事務長の姿が消えたようだった。

今さらというか、誰に相談してどう解決できるというものでもない。
しかし今後、どれだけのものを請求されるのやら・・・。相手はどうみても打撲の印象すらないのが、
なぜ長期に及ぶ外傷と診断されたのか・・・。その医師は信用できるのか。

こういう解決しない雑念に悩むより、仕事にうちこんだほうがいい。そう割り切った。

「よし・・・」
婦長は軽くメイクをし直し、笑顔を作ってみせた。涙目、周囲の発赤はかくせず、前髪を下ろしマスクをすることに。
「泣きっ面に、ハチだしね」

切り替え速く、婦長はダン、と床を蹴り廊下を走った。手前、総婦長がのっしのっし歩いてくる。

「総婦長。頑張ります!」
「があ。廊下は歩くな!」
「すみません・・・」
やむをえず減速した。

カテーテル検査は終了し、ドクターらは詰所で伝票チェック、指示出し中だった。

病棟では医長が電話で何やら話している。

「ええ。ええ。お願いします」
彼はガチャンと内線を切った。

「婦長!どこへ行ってた!」
「え?あ、トイレ・・」
「検査伝票、クラークさんから見せてもらったんだろ!」
「クラークさん?たしかに差し出すのは・・」
「なんとも思わなかったのか?」
「で、伝票を細かくは・・」
「見てなかった?クラークさんは伝えたと言ってたぞ!」

医長の差し出した伝票には<ガフキー5号>とあった。結核だ。

「何を取り乱していたのか知らないが!こういうことは急ぐことだろ!」
「そ、そういう記載があったとは・・・」

「いつもの婦長ならね。伝えてくれるもんだと思ってね」
検査室のヒゲの濃いゴマちゃんも座っている。
「オレが連絡すりゃあよかったな」

医長は手を横に振った。
「い、いえ。ゴマさんはいつもよくやってくれますから。夜間とか」
「オレにも少し責任が・・・」
「そんな。ちっとも」
医長はヘコヘコ食い下がった。

「婦長。当院には結核病棟がない。探すのが遅くなってみろ!」
「ま、婦長も反省しとるんとちゃいまんの」
ゴマちゃんの遠慮が余計、火に油を注ぐ。

「すみません。どうかしてました」婦長はただただ謝るしかなかった。

そこへ僕がやってきた。
「そこかよ、婦長。どこ行ってた?」
「ちょっと下まで・・」
「不安定狭心症の患者な。やっぱりカテはしないと言ってるぞ!」
「そうですか・・・」
「家族がやってきてな。これはいったいどういうことですかって」
「私から謝罪を」
「いや、オレが説明した。揉めてはない」
「ありがとうございます・・・」

僕はおやっと思った。いつも何か言い返してくる婦長が・・・。

リーダー美野がカルテを持ってきた。
「ユウキ先生。鉛筆書き指示の清書をお願いします」
「そうだった。時間がない」
「え?」
「今日は会があるんだよ。会が」
「早引きですか?」
「あ、ああ。代理はシローが」
「それと先生。他にも山ほど指示が・・・!」
「すまんが、シローに聞いてくれ」

シローが現れた。
「僕がやっとくから!さ、ユウキ先生とトシキ医長ははやく!」

僕と医長はそそくさと引き上げていった。

「結核患者の転院の件は僕が!」シローが仕切ることに。
後輩のザッキー、真吾はあちこち歩き回る。

シローは書き物を始めたザッキーを覗き込んだ。
「IVH、なかなか入らなかったんだって?」
「医長にも頼みましたが、ダメでした」
「医長は、以前苦い経験があるからね」
「結局ピート先生に頼みましたよ」
「麻酔科に?まず僕らに頼まなきゃ!」

 まずは同じ科のドクターに依頼してからだ。ザッキーには時折非常識がみられた。

 ナースらは記録の仕上げを行い、情報交換を行っている。なのでこの時間帯はドクターもナースも目白押しで、わりと騒がしくなっている。

 昼の3時。

 そろそろ準夜帯勤務が、家を出たところだ?

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