PTを患者の部屋に残し、婦長は詰所へと戻った。

事務長と田中くんが中にいる。結核患者の転送準備だ。
シローは紹介状を書き上げた。

「紹介状に、レントゲン・・・と!」
「はいはい」田中くんは資料を受け取り、1つの大きな袋に入れた。

「では、私の車で連れて行きますので・・・患者さんは歩けるんですよね?」
「歩けます!元気なじいさんだよ!」
シローは次の仕事にとりかかった。

田中君はちょっぴり不安だった。排菌している患者と、車という狭い空間でいっしょにドライブするのだ。
「あ。ミチルさん!」
「は?」
口の軽い田中くんに腹を立てていた婦長は、サラッと流した。しかし彼は追いかけてくる。

「相手の方、どうなりました?」

あたりが急にシーンと静まった。

「知りません!」
「え?どうして?相手の人。ほら。打撲程度ですんだとか・・」
「シッ!」
ミチルは赤面したが遅かった。周囲は何か恐れおののくような雰囲気に包まれた。

今の内容では、まるでミチルが誰かに暴力をふるったかのような内容だ。
事務長は心配そうに婦長をみつめた。

「ま、いいじゃないか婦長。もう時効だし」
「なにが時効よ!勝手に!」

田中君は患者を車椅子でゆっくり運んでいった。

日勤の仕上げをする中、リーダー美野は電話対応に追われている。
「はい。はい・・・ええ。婦長さん」
「なによ!」
「ひっ・・・」

事務長は怒った表情のミチルに近寄った。
「仕事は仕事。やらなきゃいかん!」
「知らん!」
婦長はまたドカンと事務長のつま先を踏んだ。
「いたい!」
「だから知らん!」

大奥を除き、ナースら一同は数歩後ろに退がった。

「ふちょうさん。ふちょうさん」
リーダーが泣きそうに受話器を持った手を伸ばしている。
「ユウキ先生から、ユウキ先生から・・・」

婦長は震えた受話器を奪い取った。
「はい。何?」
『ACTは測定したか?ACT』
「もう、いちいちいちいち・・・!」
『いくらだった?』
「いくらってえ?」

勢いで受話器は引っ張られ、電話機ごと床に叩き落された。
リーダーは持ち上げたが・・・
「ああ。切れてる・・・ていうか、壊れてる?」
「ったく。電話で呼べばいいと思って!」

事務長はため息をついた。
「じゃ、私はこれで。今日は用事があるので、早めに失敬する」
「なあなあ」大奥が歩み出た。

「あんたら2人。なにかあったやろ?」

婦長は無視し、リーダーの申し送りの準備を手伝った。
事務長は壊れた電話を取り外し、修理のため持っていく。

「ふちょうさん、ふふ、ふちょうさん・・・」
詰所の隅で、リーダーはまたうつむいていた。
「また電話が・・・」
もう1つの電話機から、受話器を婦長に渡した。

「さっきはごめんね。はい。もしもし!」
『今日、勤務の春日の父親でございます』
「ちちおや・・・?」にしては声が若かった。鼻づまりのような・・・。
『本日娘がそちらで準夜勤の仕事に入るところだったのですが・・・調子が悪くて』
「ご病気に?」
『と、とても電話に出られる状態ではないので。それで・・』
「では勤務は休まれる、ということで?」

心配したせいか、婦長はだんだん冷静になってきた。

『いつも婦長さんにはご迷惑をかけて申し訳ないと、娘がいつも・・・』
「いえ。それはいいんです。ではお大事に」
婦長が電話を切ろうとしたとたん、リーダーはササッと電話機を下に差し出した。

「大丈夫よ。今度は壊さないから」
婦長は受話器を軽く、チンと振り下ろした。

「さて困ったわ。準夜に入るはずの新人が病気で」
そう言ったとたん、周囲が妙にせわしくなってきた。それぞれの仕事の加速度が増す。
「誰に頼んだらいいか・・・・深夜帯もそういや1人休むのよ・・・・」

婦長は勤務表とのにらめっこを続けた。

ポクポクポク・・・・しかしこれはトンチで解決する問題ではない。
誰かが譲歩しなければいけない。

だがどう考えてもこの人手不足、過酷勤務の中、人手を調達するのは不可能に近かった。

婦長は主任をチョロっと一瞥した。しかし・・
「あたし?フン。もう辞める身だし」
「ダメかな。どっちかをあたしがするとして」
「婦長が夜勤?誰かにさせたら?」
「いないから、あなたに聞いてるのよ」
「なんであたしが」
「でも誰かがしないと」
「ほ、他はどうなんや?」

婦長はチラッと大奥のほうを見た。

「あたい?あたいはアカンよ。絶対。100%」
「大奥さん。どうか・・・」
「アンタ。なんか聞いたけど、うちの小奥にガンつけたんか?」
「あたしは何も?」
「とぼけるな。アンタに何があったか知らんが。トイレでこそこそしやがって」
「それは・・」
「それでも婦長か!」

大奥はドカンと椅子に座り、看護記録の仕上げをしていった。中・小奥もそれにならった。

婦長は脱力感のあまり、奥の控え室へ。
入ると同時に、例のMRがあわてて飛び出していった。

「いつまでいたのよ。いつまで・・・?」

奥ではまだ、新人の池田が座っている。

「池田さん。仕事にならないんだから、もう帰りなさい」
「えっ。あっ」
さっきまで笑顔だったようなほころんだ顔で、新人は取り乱した。

「ここであまり私的な会話は謹んで。はあ」
「婦長さん。何かトラブルとかあったんですか?」
「周りはなんて言ってる?」
「相手を殴ってケガさせたとか・・・」
「あたしが?」
「不倫相手?えっ?」
「あたしが不倫?あっはは」意外な内容に、笑うしかなかった。

「あーあ。面白いわね。で?」
「なんか事務長が受付嬢と親しいから、それでムキになって八つ当たりして関係のない人をケガさせて・・・えっ?」
「・・・・・人のウワサもええとこやな」
婦長にまたツノが生えた。

「ああ!かか!帰ります!」
新人はメガネを額に押し当て、つまずきながら出て行った。
「おつかれです!」
「・・・・・」

ミチルは応えなかった。ふと隅に動く物体・・かと思ったら、満杯のゴミ箱。
その真上にクシャクシャになった広告紙。さきほど誰かが丸めて入れたのか。

やっぱり気になり、婦長はそれを取り、広げた。そこには・・・

『集合場所。キタ新地の○○ビル3F。6時半。ドクター、MRこぞってお待ちしております!幹事MR:○○』

「なんなの。これは・・・」
下には地図。それとタクシー券の入っていたと思われる小封筒。
「ふーん・・・・あやつら。会があるって言ってたけど・・・」

婦長はその紙をポッケにしまった。
「ひょっとして新人も・・・」

婦長に再びアドレナリンが流れ出した。

「いい度胸や!」

怒りの銃弾が1つ、また1つ充填されていく。

「・・・先生よ。弾はまだ残っとるがよ」

とは言ってない。

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