日勤がすべて引き上げると、詰所はも抜けの殻になる。空しく響くナースコール。

準夜勤の仕事。食事介助の続き、夕方の内服処方。

大部屋中心のBチーム、中野はドスドスとワゴンで薬を運ぶ。何やら鼻歌を歌い、時々声が混じる。
「フンガフンガ〜フランケン・・・」

ミチルは<特攻野郎>Aチーム、重症患者のバイタル確認。本来は中野が担当だったが、能力の差で婦長が引き受けた。

心筋梗塞の患者が・・・いきなり廊下へ出てきた。
「おお、婦長さん。これ外してくださいや!」
というか、点滴がもう外れている。腕からは血がポタポタ落ちている。

「ちょっと!まだポータブルトイレでしょうに!」
ミチルは噴火し、早足で患者をベッドへ押しやった。
「安静の指示なのに!」
「ああ、安静やったらそんなに!急かさんといてえな!」

坂巻さんはそのままベッドに寝かされた。すかさずバイタルを確認。
「血圧140/70mmHg、プルス(脈)18/15秒→72/分、整・・・モニターでは・・・不整脈なしST低下はなし・・・ふう!」
「ちょっと、お仲間に会わせてくださいな」
「仲間?」
「今日の朝、知り合いになった患者さんがいてますのや」
「知り合いになる時間なんてあった?」
「朝、詰所に入ってきたオッサンいるやろ?」
「富田58歳APとDM!」ミチルはとっさに情報が出た。

坂巻はお茶をグビッと飲み干した。
「はあ。お〜い、お茶!」
「何がお茶よ!水分制限あるやろ?」
「おおっ?なんか、機嫌悪いですなあ?」

この患者は・・医師や日勤ナースの前ではヘコヘコしていたが。こういう性格なのか、富田に毒されたのか。

「なあ婦長さん。お友達んとこ、行かしてえな!」
「あかん!」
「じゃあこの、抜けた点滴、差し替えてえな!」
患者はグッ、と腕を差し出した。立っていたミチルの大腿にポン、とぶつかりはせず柵に当たった。

「このベッド柵、どけてえな!」
「なんで?ええやん」
「よいしょっと」患者はどさくさに腕を柵の中に通し、ミチルの腰を横からつい?叩いた。

どうやら富田に妙なことを吹き込まれたらしい。手口が似ている。

「ちょっと。何する?」
「若い子はええなあ。弾力が違う。だんりょくが!」
「明日、事務長に言うて帰らすからな」
「婦長さん!点滴の続きは!」
「待っときや」

ミチルは廊下に出て、退職間近の高齢ナース、中野をつかまえた。

「ちょっと。頼める?」
「ほげ?」
「点滴。中野さんへのご指名があってね」
「ふげ?ものずきやな?」
「中野さん待望の、年下の男やで」
「やるざますやるざます!♪やられざますのドラキュラ〜!」

中野はワゴンを止め、ドスドスと軽快に重症部屋に入っていった。

ミチルは呼吸器2台ついている患者の部屋へ。1人ずつ、痰を吸引する。
観察する両目を・・患者の頭側にある呼吸器から患者の顔・・・胸郭の動き・・・足へとスキャンし、膨大な情報を得る。

どの患者の場合、どこを観察するか、その優先順番を自ずとインプットしていれば情報は自然と把握される。

体位変換の時間。中野の手を借りながら、横向きの患者を反対向きに。体力勝負だ。
中野は大汗。

「ふげー。2人勤務はつらいわ。婦長さん」
「今はそうなんやから、仕方ないやろ?」
「誰かさんがなー、もうちょっと・・・いやいや」
中野はイヤミを言いかけ、病室を出ようとした。

「待ちいな。聞こえんかった!」ミチルが呼び止める。
「ふげえ・・・妥協するからわしらがこんな目に」
「なに?じゃあアンタが話し合いに出てみる?ねえ!」

知らない間に2人は廊下へ出た。

「ふんげげ。わしは婦長やないし、そんな権限ないし」
「だったら外野がガヤガヤ騒がんといて!うっとうしい!あっ?」

婦長は呼吸器のアラーム音に飛びつき、重症部屋に向かった。
「転棟してきた、療養病棟の誤嚥性肺炎・・・!」

挿管チューブより吸痰。窒息による急変の除外。モニターは頻脈。SpO2は85%と不十分。1時間前の観察では99%だった。
血液ガス測定は、ここに着いたばかりの1回分しかしていない。そのときのCO2は69mmHgと高め。呼吸回数を増やして過換気ぎみにしてはいるが、主治医(ユウキ)はそのあと動脈血を取っていない。

「今日の当直は誰・・・そうか!」
内線で医局をプッシュ。
「シロー先生?」
『はいっ!なにか!』
「呼吸悪化患者重症部屋SpO2低下来て!」
『うわっ?はいはい!いきます!』

シローは手すりを滑り落ちながらやってきた。
「ユウキ先生!ちゃんと見ろよな!アンビューは?」
「やってる。酸素だけの問題なのか・・・」
「酸素を増やそうか。いったん上がったら測定する」
「このASRの呼吸器ついてる人も!」

シローは横の患者のところへ。アラームが鳴りまくる。
「ファイティングしてる。呼吸器からの呼吸と本人の呼吸がかみあってない」
「鎮静はしてるで!」
「十分じゃないんだよ。増やそう」
「血圧低め!」
「じゃあ患者さんの呼吸を優先し、自発に置き換えよう!」
「1回換気量は多すぎない?」
「そ、そうだな」
「PEEPかかってるけど!」
「へ、減らそう・・・」

ミチルの指摘は荒いが無駄がなかった。
「ちょっと!採血もアンタがやって!」
「検査室へ持っていくのは?」
「アンタがやるのよアンタが!」
「な・・?ふだんはナースがやってくれるのに」

婦長の頭に血が上った。

「ただでさえ2人で忙しいのに!そんなことも手伝えんのか!」
「しますします」
シローはおとなしく従った。

「主治医に連絡しとく!」婦長は電話に手を伸ばした。
「ちょ、ちょっとなんでだよ!」シローはあわてて手を重ねた。

「なにする!お前も富田に吹き込まれたか!」
「富田って・・・?」
「主治医に連絡するのがいかんのか!」
「というか。僕は当直なんだ」
「知ってるわいそんなの!」
「最近決まったことなんだ・・・!」

シローの言う<決まったこと>。業務があまりに忙しくなると、ミスが出やすくなる。その対策の一環として<完全当直制>なるものが打ち出された。これにはもちろん賛否両論があるのだが。患者によほど生命的危機が訪れない限り、ナースからのコンサルトは主治医でなく当直医に行うというものだった。実際こういう形をとってる病院のほうが多い。

<主治医制>だと、毎日同じ医師が夜間頻繁にコールされ、医師の業務体力に格差が生じてしまう。

なお、シローは厳密には当直医ではない。当直監視係だった。大学から派遣の当直医はまだ未熟な者が多く、サポートが義務付けられていた。

「でも夜中やないから、よかろうが!」それでも婦長は受話器を挙げた。
「ダメだ!いいかいミチルさん!」
「なにが!」
「ユウキ先生らは、今日重要な会があるんだ。聞いてただろ?」
「・・・・・」
「会の途中で呼ばれても、出られないことも多いし!」

婦長は電話をチンと置き、スーと息を吸った。

「フ−ン。弁護側は以上ですか?」
「な。どしたの?」
「以上ですね。オブジェクション(異議あり)!」婦長はパッと手を挙げた。
「だからなんだよ!」
「フッフ−ン」

婦長はポケットから、チラシ紙を取り出した。

「じゃあなんや。この<お知らせ>は!」

このチラシは・・・詰所奥のゴミ箱に入っていたものだ。

「集合場所。キタ新地の○○ビル3F」
「か、かせよっ!」シローが飛び掛るが、モデル並み長身のミチルはヒラリとかわす。
「ダメ。なになに。6時半。ドクター、MRこぞってお待ちしております!幹事MR:○○。どうや!」
「ドクター・・・だからって。胸部内科とは限らないさ!」
「結局アンタも、ベータ、ディ、グルか・・・」

シローは弁解に慣れておらず、歯を喰いしばった。

婦長は時計を見る。
「そういや、外出届けのオッサンも行方知れずやしな・・・」
「なに?」

中野が戻ってきた。
「点滴、5回目でやっと入った入った。ふげげ!げ?」
「中野さん。あたし。ちょっと外すわ」
「ほげ?」

ミチルは髪をほどいた。バサッと長い髪が乱れ咲いた。

そこへ真吾が現れた。
「うわっ!ちょっとドキドキ!」
「ほお・・・グルがもう1人いたか」ミチルは真吾、シローを見据えた。

「ふんげ。婦長さん。気分悪いんか?」
「悪いっちゅうもんやないわ!」
「病院行っとく?」
「アホが。ここが病院やろ!」

婦長は注射器や記録板をまとめて運んできた。

「さ。あんたら。罰としてちょっと交代な」
「罰?」シローは目を丸くした。
「ちょっくら行ってくるから」
「待ってくれよ。ぶち壊しにするとか・・・」
「ぶち壊し?せんよ。せんせん。これら、やっといてな。痰の吸引、体位変換、血糖測定、心電図、ACT測定」
「こんなに?」
「こんなにって。あんたら。これがナースの仕事やで」
「うぉおお・・・!ガンツカテの測定記録まであるのか?」

中野は身を乗り出した。
「うぉー!でガンツのオーカミ男!」
「うわっ?」シローと真吾は引いた。

中野は人手が増えたこともあり、詰所内で軽くダンスした。
「♪おれたちゃジュンヤ、3人ぐ〜みよ〜!」

ミチルは詰所奥で着替え始めた。真吾が横目で見る。
「覗いたら、ヨメサンに報告するで!」
「み、見てない!」
「シロー先生。車貸してえな!」

シローはおやっとした表情。
「ミチルさん。自分の車は・・・?」
「事故ってな。アホやったわ」
「アホって?」
「正直者は、バカをみるっちゅうことかな?」
「ミチルさん・・・交通事故を?」
「ならな。そのバカを見せたろうやないか!」

ミチルは着替え終わり、ツカツカと詰所を横切る。その寸前、流れてきたモニター波形をピリッと破った。

「ミチルさん。鍵を!」シローはキーを投げた。ミチルはサッと受け取り、波形の紙をピンと飛ばした。
「ボケッとせんといて。3連発やで」
「うっ・・・」みないっせいにモニターに近寄った。

廊下にはコン、コン、コン・・・と足跡が響く。

2分後。地下のゲートが開き、ガオオオン、と赤いGTOが飛び出した。

ミラーで化粧直し。

「待っとれよ!おっまえらあああ〜あああ!」

・・・・・・・すべてはこの夜に。

次回、裏面<NURSESIDE B>へ・・・。

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