事務長は携帯を取り出した。
「はい?うんうん。僕。準夜ナース?」

 あちこちで小競り合いが始まった。日ごろのスタッフへの愚痴が始まった。美野たちナースは僕らドクターへ、事務員たちはナース側へ。ナースも一般病棟、療養病棟、外来としてそれぞれ対立する。ふだんの構図が浮かび上がる。

 そもそも公の飲み会自体、そんな雰囲気になる。各自自分のヘッドへの敬意を表すると同時に、他部署へ引く一線。これは人間の社会的な本能だ。

 事務長は携帯を耳に押し付け、懸命に反対の耳を手で押さえる。
「あーうるさ。ミチルが夜通し勤務するって、僕は聞いたんだけど・・・だ、だって彼女がそうするって」
「そうだっけ?オマエがさせたんでは?」僕は冷酒をガブガブ飲み続けた。

医長はヒレ酒に手を出していた。

「医長。おめえ、いいのか?」
「この魚、あげます」医長はヒレだけ指で取り出した。
「いらんってそんなの!ヒレがなければただの酒だぞ!」
「先輩は最近、怒りっぽいんだから・・・」
「お前のカタブツも、なんとかしろよ!」

 部屋の隅、ザッキーの周囲にナースの人だかりが。さっそく内紛が始まっている。各自言い分をぶつけあっており、これらは決して解決しない。ハマショーの歌うとおり、憎しみは憎しみ、怒りは怒りで裁かれる。

 事務長は部屋の真ん中で、手振りしてる。何か言い訳めいたような。

「で?ミチルは外出して帰ってこない患者を探しに?・・・それで見つかった?」

「な。なんだ?何が起きてるんだ?」僕はわけがわからなかった。
「ユウキ先輩。僕はね・・僕は」医長は目で訴える。
「今日は婦長変だったな。事故でおかしくなったのかな?」
「先輩。僕はね。行こうと思ったら行けたんですよ。センターに」
「はあ?いつの話をしてるんだ?」
「センターに行けるって。みんな言ってたんだ言ってたんだ」
「めめしいやつ・・・」

僕は事務長の言葉に耳を傾けていた。

「なに?GTOで出た?GTOってシロー先生の?」

乱れたピートが、事務長に肩を組んできた。
「♪いいたいことのいえないこんな世の中じゃ〜」
「(一同)ポイズン!」
事務長はピートの腰をつかみ、放り投げた。

「なんでもない・・・で。それから音信不通なんだね。わかった」
事務長は携帯を閉じた。

「事務長。いけるか?」僕は心配になってきた。
「ミチルが仕事をほったらかして、病院を出たらしいんです」
「切れたのか?」
「外出した患者を探しにいったのではという話も」
「GTOを・・シローのGTOを駆ってか?」

事務長は横の女事務員に後ろから抱きつかれた。
「なあ。別れ。わ!か!れ!」
「なあおいおい」
「なあアタイどーすんのー。ねえどーすんの!」
「それはこれから前向きに検討して・・」

僕は呆れ返った。
「だる。ミチルさんに言うぞ・・・」
僕のほうは、医長がしつこくからんでくる。

「ユウキ先輩!こら聞いてるのか!うう・・・」
「はいはい。聞いてますよ」
「1番になれてた!なれてたのに!あいつらが!」
「医長先生。仕事にはね。一番とかはないんだよ」
「上が決める順番なんか!上が勝手に・・・!」

どうやら大学時代の不満をのたまっている模様だ。

「いいじゃないですか医長先生。はいはい。先生はいつも1番ですよ」
「うん・・だったらいいんだけど」
「私たちその他は二番煎じってことで」
「にばんせんじぃ?あ・・はは」医長の機嫌が直ってきた。

「あーあ!もうサイテー!」ザッキーの周囲から、美野が立ち上がった。
「待て!話は途中だ!」
負けてないザッキーは論争の継続を求める。

「トーイレ!」美野は襖を開け、靴を履き、こちらを振り返った。
「ユウキ先生!明日からあたし、ひとことだってき・・・」

 不自然に、その襖は閉じられ、彼女は一瞬にして消えた。僕は酔っており、そうとしか感じない。

事務長は食が進んでないようだった。
「ユウキ先生。ちょっと私・・ひどいことしたかもしれません」
「なに?どの女?」
「ミチルですよ。夜勤が1人ずつ抜けたでしょう?」
「その1人ずつが、この飲み会に来てるだろ?何をいまさら・・」
「代わりがすぐに見つかると、私思ってたんです。けどなかなか」
「まあな。ミチルさんがそのまま徹夜ってのもな」

しかし、僕らの言うことはどこかヒトゴトだった。

「それにしても、シローと慎吾は遅いな?」僕は時計を見た。連絡もない。
「それだけ忙しいってことでは?」事務長はうつむいていた。
「そうかな?もう切り上げても・・・」

まさか彼らが準夜勤をさせられているとは気づく道理もない。

 ザッキーの周囲のナースがあちこち見回す。メガネっ子が立ち上がる。
「美野ちゃん。おそいなー・・どうしよっか」
メガネっ子は、さきほどついてきていた<MR男>に手をつないで、指をからめている。
「ね。ヨウちゃん。発表しとこうか?」
「う・・うん」
男は弱々しくうなずく。

「あのー。すみません」メガネっ子は毅然とMR男に並び、仁王立ちした。
「今日はメガネが壊れたってことで、夜勤休んじゃってまーす!池田です!」

みな注目する。
「でも実はダテメガネでーす!」

前置きを終え、彼女は横のMR男をエルボーで突付く。

「すみません。ほらヨウちゃん。言って」
「で、でも」
「言って!」

男は仕方ないといった表情で、事務長や僕らのほうを向いた。
「あの・・・あの!彼女と私は・・・来月で現在の仕事を。仕事を!」
「タイショクしまーす!」メガネっ子は大きくピースした。

みな呆気に取られた。引き続き、MRは気まずそうに・・

「今月でね。せーの・・・」
「3ヶ月でーす!」メガネっ子は吹っ切れたように笑顔を振りまいた。

医長は状況がつかめていなかった。
「何?意味がよく分からない。ユウキ先生」
「あわわ。そ、そりゃ医長先生。3ヶ月って言ってるだろが・・・!」
「3ヶ月・・・?」
「お前、マジでわからんの?」
「え、ええ」彼の酔いが少し醒めてきた。
「あいつらな。どうやら付き合ってたようだぜ」
「あの2人・・付き合って3ヶ月ってこと?」
「いや、付き合い始めたのはもっと前だろ!」
「え?だって3ヶ月・・・」
「付き合い始めて3ヶ月ってくらいで、発表なんかするかよ!」

事務長は手を額に当てて、うずくまっていた。
「困ったな。女はこれだ・・・なんでナースは女社会なんだ?」
「となると、いったん休職か?」
「産休は数ヶ月は認めますが・・・やれやれ。また誰か雇わなきゃいけない」

 事務長としての悩みだ。ナースは妊娠したとしても生活もかかっているわけで、お腹が大きくなる時期まで働く人もまれではない。

 7ヶ月まで働いて、残り2ヶ月休んで生んでそして1ヶ月してまた復帰・・というのは民間病院ではよく聞くパターンだ(育児休暇は1年くらい取れるはずだが)。その間の数ヶ月間は臨時で誰か雇うか、詰所に辛抱してもらうか。後者のことが多い。

 なのでナースの仲間内にとって妊娠というエピソードは、例えは悪いが諸刃の剣?である。

 ただ若い子の場合、特に新卒で妊娠した場合はそのまま辞めてしまうパターンも多いのだ。これから乗り切らねばならない、その時なのにだ。これで悩まされる病院も多い。

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