「そういや。思い出した」肥満女性はベッドで頭を抱えた。
「なにを?」事務長は目線を合わせた。
「注射や。インスリンのいつもの注射な。あれ・・・量が多かった」

近くで慎吾医師がCTフィルムをシャーカステンにかざした。
「頭部CTは異常なしで、腹部の分も問題なさそうか!な!」
「わ、わたしに言われても・・・」事務長は困惑した。
「シローくんよ!シローくん!」

シローはすでに腹部エコーの所見を書いていた。
「インスリノーマのような、マスの所見はありませんでしたがね・・・当直医の先生が指摘してた」
「おい?当直医がいないぞ?」慎吾は部屋の四隅を見回した。

事務当直がすまなさそうに近づく。
「当直医の先生は、帰られました」
「えっ?なに?」慎吾は驚いた。「勝手に帰っていいのかよ?」
「だ、大学で早朝からカンファレンスがあると」

またその手だ。しかし大学のドクターは早朝にそういうイベント事が控えていることが多く、準備のため出発を早めにすることが多い。
車の渋滞などを考慮するとなおさらだ。

医長は当直医名簿を見て、ため息をついた。
「このドクターは、今後雇わないように!」
「でで、できませんて、そんなの・・・」事務長は小さく漏らした。

そんなことをして、もし大学との関係が悪化でもしたら・・・!
事務長はそこんところは慎重だ。

さきほどの「医局に言いつけてやる!」というエピソードもシャレではない。
バイト先病院での冷遇があれば、発覚次第で大学医局にチクられてしまうケースも多い。

関連病院の頭の痛いところの1つである。

○ 63歳の男性肥満型。胸部痛。胸部CTで肺炎+胸膜炎(肺癌+閉塞性肺炎の疑い)。

新人ナースは患者の指で酸素を測定。
「酸素3リットルで98%あります」
「抗生剤の指示など、すべて書いたぞ。腫瘍マーカーに、喀痰培養、喀痰細胞診も」慎吾は偉そうにカルテを渡した。
「家族への説明は・・」
「いないらしいぞ」
「あっ・・・そ、そうでしたか」

医長は、その患者のカルテにいろいろ記入を始めた。

「では主治医を決めよう。希望者は?」
「先生!タイムです!タイム!あたた!」事務長が尻を押さえながら手を上げた。
「僕の指示の途中で、口を挟むな」
「ではなくて。ベッドがないんです」
「満床なのに・・・こんなに救急を受け入れたのか?」
「し、真珠会からです。彼らはうちが満床なのを知ってて、これだけ送り込んできたんです」
「それで紹介状がないわけか・・・」
「当院の情報が、あそこに漏れてるのは確かです」

○ 55歳男性。透析患者であること知らず、看護部長が点滴を速めに落とす。肺水腫の疑い。利尿剤効き当然イマイチで緊急透析を開始。

医長は透析の器械を確認。
「血圧も下がらずいけてるな・・・」
「やはり入院が必要ですよね」事務長は肩を落とした。
「当たり前だ。いったいどうするんだ?」
「先生方、誰か退院を・・・たったっ」

周囲の医師は、みな冷ややかだった。
事務長は焦る。

「たっ・・たとえば。検査入院とかいますよね。たったっ!」
「検査入院を、中途で退院させるのか?」医長は指摘した。
「たったっ。とうにょうぼう、糖尿病のコントロールとか、ほらほら」
「血糖高いのを、放り出すのか?」医長は譲らない。

事務長としては、貴重な患者を他院に紹介したくない。
話はまとまらないままだった。

○ 中年女性肥満型。意識障害。低血糖。頭部CT異常なし。ブドウ糖で意識を取り戻すが、戻ったとたん前医への帰院を希望。真珠会は患者の存在を否定。

「も、ベッドから降りるで」
患者はよっこらしょっとベッドから・・降りかけたとたん、ベッドごと床まで叩きつけられた。
「ぐわあ!」「があ!」
看護部長を巻き込み、2人は床でもだえるように転がった。

「たたた・・・!」
中年女性は起き上がろうとしたが、腰を押さえながらうずくまった。
シローが医長を見て、あきれ返る。
「また、入院が増えたんじゃないですか・・・?」

医長も女性らと同じく、うずくまるように座った。
「ベッドは壊れてないか?」
「医長・・・!」

○ 嘔吐しまくりの中年男性。高血糖だが心電図でST上昇あり、急きょカテーテル準備となる予定だったが患者が拒否。仕方なくt−PAを開始したところ。

「糖尿病があったから、症状に乏しかったわけだな」ザッキーは腕組みしてモニターを見守った。
「カテーテルは拒否らしいな」慎吾はモニター波形を指でなぞった。
「ええ。交渉人によっては同意を得られるかと思いますが」
「ユウキか」
「ええ」

慎吾はためしに説明してみた。
「あのねえ。いちおう点滴はしてるけど。これだけではどうかなと思うんですよね」
「うっ!うるさい!あっち行け!」
「うぐっ?」
「シッシッ!」
慎吾は犬のように追い払われた。モニターで期外収縮。

「僕の説明では、予後を悪くするだけだな」
慎吾の言葉に、ザッキーは<同感>と首を縦に振り続けた。

「交渉人はまだか?」
慎吾の言葉がむなしく響いた。

事務長は部屋の隅で<考える人>状態だ。

「うちの病院のことを。いったいだれが・・・?」

 その<犯人>と<交渉人>は、暗くて物騒な長い橋を、歌いながら延々と歩いていた。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索