エレベーターが開くと、詰所がすぐ視野に入った。
「急変ってどこだ?どこ?」

廊下で周囲を見回すと・・・1室だけ明かりがもれている。
「あそこかっ!」
ダッシュで駆け足、婦長のごとく処置台を引っ張った・・・が、
勢いあまって台は倒れた。

カランカラン、ドカーン、と消毒液やガーゼが多数、廊下に散乱した。
「くそ!かまうか!」

部屋に入ると、数人のナースの塊が見えた。
「急変はここか!」
心マッサージをしている新人ナース。アンビューバッグをゆっくり送気しているナース。
彼らはみな日勤でいたはずの、そして飲み会に参加していたメンツだった。

ばあさんの横、吐いてる跡がある・・・。
たしかこの人は脳梗塞後遺症で肺炎を繰り返しているばあさんだ。
一説によると、介助の人間の食べさせる速度があまりにも速いと・・・

「アンビュー、そんな速さじゃ!」僕は注意し取り上げ、頻回に送気した。
わしづかみで揉むように空気を送り、反動でバッグはまた膨らんでいく。
モニターは頻脈。少なくとも止まりかかってはいない。

「よし。じゃあ挿管チューブを!」僕は求めたが、誰も動かない。

「何やってる!」

美野ナースが化粧の取れた、少年のような顔をこちらに向けた。
「先生。この方はそこまでしないんです」
「なに?そうなのか?」
「家族の意向で・・・」他のナースが僕にカルテを渡す。

「・・・・主治医は慎吾か。なになに。家族の希望で挿管はなし、か・・・」
アンビューでの送気を止める。
「心臓マッサージも、もう止めろ」
「いえ、マッサージはするんです」
「意味、あるのか?」
「だって慎吾先生が・・・」
「あいつ・・・!どんなつもりだ?」

ムンテラではどうやらそういう取り決めらしい。

「で。家族は?」
「来ません」
「急変だろ?」
「来ないって」
「家族なのに?」
「そういう決まりで・・・」美野は口をつぐんだ。

ボスミンを投与するも脈はみるみる徐脈化し、ついには心停止となった。

「死亡時間は・・・」
「ああ先生。ありがと」慎吾が現れた。
「今、確認した」
「・・・4時50分・・・と。夜間、頻呼吸が続いてたんだ」
「今回も、誤嚥がもとか?」
「88歳だ。もういいだろ」

僕はじっと慎吾を見た。

「慎吾。お前・・ちょっとこっち来い」

僕は慎吾と詰所横のムンテラ室に入った。

「慎吾。あんな変な指示、出すなよ」
「指示?俺が?」
「人工呼吸器につながないのに、心臓マッサージはするだと?」
「それか。それは俺が家族と決めて・・」
「いったいどんな方針なんだ?」

僕がとやかくこうケチをつけるのには理由があった。慎吾は基礎系の教室から臨床医に
なって間もない。数ヶ月は僕らの指導のもとにやってきたが、最近独走することが多くなった。
目を離すとこれだ、ということだ。

「慎吾。俺の話もちょっとは・・」
「主治医は俺だよ?先生。主治医が決めたことなら、それでいいだろ?」
「ハッキリ言わせてもらうが。まだまだなんだ」
「俺がか?<後輩>の俺が?」
「そんな皮肉・・・」
「なあ、もういいかげん・・ひとり立ちさせてくれよ!」
「おい・・」
「いつまでもオーベンコベンの関係じゃあ、大学病院と変わらないじゃないか?」
「飛躍しすぎなんだよ!」
「警察来るから。俺、行くから!」

僕らの言い合いは結局まとまらず、慎吾は不快そうに部屋を出て行った。

「悪い傾向だな・・」
しかし人のことも言えない部分も思い出し、しぶしぶ部屋を出た。ところ。

「患者の前で、なに揉めてんねや?」

ミチルが。婦長が廊下で腕組みして待っていた。
「なに仲間割れしてんねん?」
「婦長!どこにいたんだ!」
「満床やのに、なに入院入れてんねん」
「し、真珠会が一方的に・・・」

婦長はズンズンと僕を押しながらムンテラ室に閉じ込めた。

「なんとかせんか!」
「なんとかしてくれよ!婦長!」
「だいたいお前が、真珠会を怒らせたからとちがうんか!」
「俺が?真珠会?えっ?うっ?」
痛いところを突かれた。非常に気にはしていた。

「言いふらしたろ。絶対に言いふらしたろ!」
「入院患者が5名いるんだよ」
「なーに勝手に入院にしてんねん。外来で治せや!が!い!ら!い!で!」

僕はトボトボ、詰所まで追っかけた。
「すまん。もう仲間割れせんから、せんから・・ううっ?」
詰所の中に入ると、さっきの新人ら含め、日勤だった数人が正座している。
「な、なんで・・・?」

婦長は看護記録を真顔でつけていた。
「あたしをな。なめたらこうなるってことや。なあ!」
呼び睨まれた小奥は、ビクッと二重アゴを震わせた。
「は・・・はい。そうですね」

婦長は入院患者の一覧をじっと眺めた。
「あたしがどこにおったって?」
「は?はあ・・」僕はスゴスゴと腰を低くした。
「余計なお世話や。こいつら引っ張るために、時間かかったんや」
「復讐?」
「なんか、ものすごく腹が立ってきてな」

婦長は一覧から患者を数人分、名前の書いた札を抜き取った。

「こんだけ、早朝に帰らすか!」
「3名か。今1人亡くなったところだ。するとあと1人で計5名分・・・」
「あと1人か。それは、アンタの交渉しだいやろ?」

僕はじいの顔が浮かんだ。

「じいは、ここに居座るって」
「スパイを、いつまでも居させるんか?」
「じ、自信ないな・・・」
「ヘタレやな。お前。ま、頼むで!」
「な、おい・・・!」

婦長は廊下へ出た。今から1人ずつたたき起こして、退院させるとでもいうのか。
すると婦長がまた戻ってきた。

「おい美野!大奥だけやな?あとは!」
「はっ!はいっ!で、でも大奥さんは。日勤の時間に合わせてしか来れないそうです!」美野は崩れかけた正座を直した。
「ええ度胸しとるわ。オバハン!」
婦長は再び消えた。

怖いもの知らずが・・・!

廊下へ出ると、慢性呼吸不全の波多野じいが飛び掛かかってきた。
「うわあ!」
「せ!先生よ!先生!はよう帰らせてくれんかな!」
「じいさん!肺炎が治ったばかりだろ!何日かせめて休養して・・・はっ?」
「うっ?」

僕らは顔を見合わせた。

「そ、そうかじいさん。そうだな。帰ってゆっくり休もうな・・・!」
「そ、そうじゃ。だ、だって病院には菌がウヨウヨしとるからのう!」

説得力のある言葉だった。実際、別室から耐性菌が出たとの情報もある。たしかにそうだな、じい。従うよ。

ゴルゴ13の、脇役のような言葉が浮かぶ。

『さっ・・さすがゴ、ゴルゴ13!か、彼はこのことを予期していたとでもいうのか?しっ、信じられん!ビシッ(着弾)』

「・・・・・」
デューク東郷のようにはいかないが、それらしく眉をひそめた。

「とりあえずベッドが1つ空いた。という事は・・あと3床だな。勝算は、ある・・・!」

睡眠不足で引き算(引き金?)すら、危うかった。

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