婦長は眠そうな病衣の男性患者2人を両脇に従えてやってきた。

「なんんやこら・・」「ねむねむ」

ナースへのセクハラで有名な富田・松木だ。
彼らはそのまま詰所に入れられた。親分の富田は目を丸くした。
「な、なんであんたら。座ってんねん?」

依然、ナース7-8人が禅を組まされているままだった。

「そこ、テーブル座れや」婦長はイスをガラガラと持ってきた。
「こんなん、病院でやってええことか?お?」富田は周囲を見回した。
「あたしは今日で辞める。関係ない」
「ええ〜?婦長さん、辞めるんかいな〜?」
「・・・・・」
「ええ目の保養やったのに〜へへへ。で、今から何すんの?」

婦長は白紙を差し出した。

「念書や。書き!」
「ねんしょ?」
「帰ってや。退院」
「うそ?なんで?」
「なんでもクソもない。重症が入るんや。だから出て」

僕は割り入ろうとした。
「婦長。こういうことは事務長を通して・・あたっ?」動きが見えなかったが、一瞬ではたかれた。

「ここに書いて。<わたくしは入院中の度重なるセクハラに反省し・・>」
「わたしは入院中のたびかさ・・なにい?」富田はペンを止めた。
「ホントのことやろうが!ホントの!」
「そんなおおげさなあ・・・」
「なんなら、法廷で争うか?」

富田の額に、汗が流れた。

「ふ、ふひ・・・ゆるしてえなあ。なあ婦長さん」
「退院には理由がいるやんか!はよ書け!」

周囲の正座したナースらがシクシク泣き出した。
ミチルは一瞥した。

「あんたらのセクハラで、こんだけのナースが泣かされとんやで!」
「ちち、違うやろ・・」
「ちがうことないっ!はよ書け!」

口を閉ざしていた松木が、重い口を開いた。
「あ、あんなあ。婦長さん。わしら、真珠会にもコネあんねやで。ここ退院したら、あそこ行くで」
「行けや」
「あそこは誰でも入院させてくれる。へへ」
「そうやって、国の税金浪費すんのか?」
「へっ?」
「最低の人間やな・・・」

婦長は立ち上がり、2人の後ろに回った。
「さ!時間がないんや時間が!」
習字の先生のように、ミチルは富田の背中に胸を密着させた。
「いっしょに書くんやいっしょに!」
ペンが進みだした。

「うへへ。なんや胸があたって気持ちええなあ・・」
富田はフニャフニャになりながら文章を仕上げた。

「さ、拇印をここに押せや」ミチルは朱肉を用意した。
「ボイン?へへ、ボインでんがなあ・・ぎゃあ!」
婦長は胸の名札の鋼鉄性ワッペンを、前かがみでグリグリ頭に押し付けた。
「ぎゃああ!押す押す!」

横の松木も、自ら文章を仕上げて拇印を押した。

ミチルは近くのコピー機で複製を取った。
「さ。退院退院!」
これでさらに2人、退院となった。知らぬ間に詰所横に来ていたストレッチャーが、1台ずつ運ばれていく。

医長が抱える1台だけが残った。
「先輩。あと1名・・なんとかなるって聞いたんですが」
「ああ。いい。うう」
「先輩!」
「電池が切れそうだよ・・・」

僕は巣鴨じいさんのところへ歩いた。4人部屋だ。

「じいさん。じいさん!」
「グーグー」
「じいさん。起きてるだろ。わかってる」

近くのノートの閉じられた余韻で、すぐに分かった。

「じいさん。このノートは一体」
「わわ!」じいはノートに飛びついた。
一瞬だけ見えたが、どうやら日記帳のようなものらしい。

「巣鴨さん。重症が入って、1つだけベッドが要るんだ」
「外泊は反省してます。反省・・」
「反省して、すむことではないよ」
「私が何かしたんですか!何か!」

深夜とはうってかわって、じいは善人のようにふるまった。

「じいさん。俺に言わすなよ・・」
「証拠があるんですか!証拠が!」
「すみませんが。みなさん廊下へ・・」
僕は他の3人に、廊下へ出てもらった。

「じいさん。タクシーに乗ったダチだけど」
「ダチ?なんのことだか」
「電話してみな。今ごろ倒れてるかもしれないぜ」
「だ、だいたいお前らは!」
「?」

じいは顔面を紅潮させはじめた。
「お前らは!空床がいっぱいできたら!子供みたいな無邪気な顔して患者を欲しがるくせに!」
「?」
「わしらのような手のかからん患者のおかげだろうが!」
「じいさん、それは言いすぎ・・」
「それがなそれがな!ベッドがいっぱいになって満床や満床や!はよ出て行けって!」
「それは仕方ない・・」
「そうやって、わしらがすぐ放り出される!患者の人権も何もあったもんやない!先生あんたは!」

<かよわき>患者の、代弁者なのか・・・?

「手がかからん、ってことはないやろ?」婦長は部屋の入り口で、斜めに立っていた。
「婦長さん!もも、戻ってたんか?」
「あたしが消えて、もう戻ってこんとでも思ったんやろ?」
「いやいや。そんな」
「あたしは今日で辞めるよ。たしかに。でもな・・・」
「・・・・・・・」
「1人でも道連れにせんとな」
「わしは弱者や。弱者やで?老人やで?」
「で、金のためにわしらを売ったんか?」

じいの表情がこわばった。

「たかが金で!されど金ってか!」
「金なんか・・・」

婦長はズカズカ歩み寄り、テレビ下の引き出しをガラッと開けた。

「これは何や!これはあ!」

引き出しの中には・・おびただしいくらいの現金が入っていた。札束で、キレイに揃ってある。
「み、見るな!これは!」
「今回だけやない。今までずっと、つるんでたんだろが?どんだけ情報流した?」
「パパ、パチンコで勝った!勝った金や!」
「あの腕でどこがパチプロや!」

婦長の怒りはおさまらない。

「婦長さん!生保を差別しとる!差別や!」
「バカが。あんたらみたいな生保が増えて、ホントの生保が迷惑しとんや!来い!」
じいはスリッパを出され、そのまま詰所前まで連れて行かれた。

「婦長。どこへ?」医長は手を伸ばした。
「そのストレッチャーから離れんときいや!」
「くっ・・・!」

婦長はじいを連れたまま、エレベーターに入った。
僕はそれ以上、ついて行けなかった。

「さ、ここや」婦長は屋上のまぶしい空を見上げた。
「洗濯もんでも、干しますかな?」
「あの隅・・・見てみ」

婦長が指差すと、病衣を来たばあさんが1人で屋上の隅で立っている。
だでなく、何やら浪曲を歌っている。

「あのばあさんは療養病棟の人や。毎日ここで、歌を歌う」
「ちょっとボケとる人やな。知ってる知ってる」
「あんたのノートブックに書いてる通りや」
「な・・・!」

ばあさんは、声を高らかにうたっている。
婦長はタバコを吸い始めた。長い黒髪がメーテルのごとく、たなびく。

「ふ〜。ええ天気やな・・・」
「婦長さん。ま、ここはお互い水に流して」
「あたしがな。2年前。ここの宮川ってドクターに失恋して、すごく落ち込んだとき」
「い、いきなりなんや?」

婦長は手すりに手をやり、下を見下ろした。

「あのとき、本気で死のうかと思った」
「ほう・・・」
「毎朝、誰よりも早く出勤するのが取り柄やった。でな、毎朝ここへ来てた」
「いろいろあるんやなあ・・」
「そんなとき、あのバアさんにいろいろ勇気づけられた。悩みとかいろいろ聞いてもらって」

バアさんはアルツハイマー痴呆が進行し、現在はコミュニケーションは全く取れない状況だ。

「あのバアさんはな。これはアンタさえ知らんことやけど」
「・・・・・」
「若いときに主人を亡くし、子供5人を1人で育てて来たんやで。1人でな」
「ふむ・・」
「子供が巣立ったころ、腰や膝を悪くして。というかもう体がボロボロだった」
「ふむ・・」
「子供は遠方に行き、親の恩も忘れて・・・」

院内放送が鳴り始めた。
《 職員の方々は、大至急、病院前駐車場に・・・ 》

「ホントに働けなくなったバアさん、まあ当時はオバさんやったあの人は、仕方なく生活保護を申請した」
「わしら酒飲みとはえらい違いやな・・・とでも言いたいんか?だってわしら、職探しても」
「でな。聞けや!バアさんはな。ずっと金を貯めとった。生活保護の金さえ貯金して」
「貯金か・・・えらいな」
「いつかは戻ってくるであろう、わが子達のために・・・」
「戻っては来んかったんやな?」
「そのために生活を切り詰めるのが、どんだけ大変だったのか。金のためになんでもするアンタにはわからへん。永久に・・・」

じいは肩を少し落とした。

婦長はタバコをポン、と屋外へ飛ばした。
「真珠会でも、どこへでも行きいや。じいさん」
「・・・・・」
「あそこ行ったら、どんな目に遭うか知らんで」
「びょ、病院やし大丈夫やろ」
「甘いな・・・!じゃ、退院ってことでな!」
「うう・・・しゃあないか」

婦長が差し出した書類に、巣鴨じいさんは拇印を押した。

エレベーターを出ると、医長が貧乏ゆすりしたまま立っていた。
「婦長。ベッドは・・・」
「空いた」
「そうか!ありがとう!」医長の表情が和らいだ。

引き続き、院内放送が鳴る。
《 職員の方々は、大至急、病院前駐車場に・・・ 》

ミチルはパキ、パキと指をひとおおり鳴らした。

至急の集会は、おそらく人事異動の話があって、それから・・。
交通事故の例の<被害者>が、金取りにここにやってくる。

「さ。仕上げといくか!」

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索