階段を歩いて降りて、重症病棟詰所へ。
詰所では、申し送りが始まろうとしている。

テーブルの周囲に深夜・日勤ナースらが向かい合う。
引き続き、僕のほかドクターが次々と集合してきた。

これは僕が先週、指示していたんだが。要するにドクターも申し送りに参加せよというものだ。
基本的には口を挟まないが、即答できることがあればその場で問題を解決できる。

深夜→日勤ナースへの伝言ゲームというわけではないが、事実がそのまま伝わらず、曲がった内容のまま
ドクターに申し送られることが多々あったからだ。

「では・・・重症部屋から」ベテラン中堅の澪ナースが流暢に申し送る。

「心筋梗塞で日曜日に入院しました、おばあちゃん田中さん85歳。昨日は暴れて大変でした」
「主治医は僕だ。責任冠動脈は左の7番。ダイレクトでステント拡張。あと右にも病変がある。これはまた今度」トシキがいきなりはさんできた。
「胸痛はPCI終了後からはなくて・・」
「CPKは下がってきてるようだが、今日の朝の採血を確認して食事などの指示を出す。リスクファクターは」

「トシキ先生。必要最小限に」僕は注意した。
「え?だってこういうシステムでやるって聞いてたし・・」
「そんな機関銃みたいに喋っても分からんだろ。あ・・!」

気づいたときは遅かった。トシキはすでに半泣きだ。
澪はジッとトシキを威嚇した。

「・・いいですかね。点滴の指示はこのように。血圧コントロール、指示通りにお願いします」
「高血圧はラプチャー(心破裂)の危険因子だ。安静度も徐々に上げていく」トシキの口調は、まだ医長のときそのものだった。
「寝たきりって聞いてますが」

弥生が入ってきながら首をかしげた。
「え?そのばあちゃんって・・・さっき廊下で会いましたけど」
「なに?歩いてたのか?」僕やみんなは、慌てて部屋へ向かった。

たしかに、いない。点滴台もそのまま。
「どこだ?どこへ行った?」
みな、各部屋を探し始めた。

チ−ン、とエレベーターの着いた音が鳴り、ガラッと開いた。
そこから・・・事務長がそのばあさんの腕を引っ張ってきた。

「ばあさんが!ばあさんが受付で尿を!」
「事務長!歩かすな!」
僕は車椅子をサー、と運び、ズドンとばあさんを座らせた。
「部屋部屋!心電図心電図!」

太目の遠藤君は汗をぬぐった。
「はあ!はあ!」
「なんだよ。大汗か?」
「はあ!はあ!疲れた!」
「どあるう・・・!」

みなもとの体制に。
澪が続ける。

「人工呼吸器のついた小川さん、62歳。多発性のう胞腎。今回、感染による敗血症および肺炎の合併」
「・・と今のところ考えてる」僕は付け加えた。
「2日前に酸素濃度は60パー(%)で、SpO2は95%前後」
「微妙だな・・濃度はなるべく下げたいが」
「PEEP追加の指示が?」
「ああ。よく分かったな。あとで書く」

「肝臓癌末期の三島さん。71歳。家族の希望で挿管はなし」
「IVH管理中。酸素はリザーバーマスクまで」シローは付け加えた。

「シロー君!」慎吾が突っ込んだ。
「はい!」
「高カロリー輸液は、癌の進行をかえって進めるって本にはあったぞ?」
「低アルブミンや電解質異常が深刻なんです。そういう意味で投与してます」
「でももう・・ええんじゃないの?」

僕は見かねて意見した。
「慎吾。主治医の意見を尊重しろよ」
「してるって。俺はただ・・何でも言っていいってアンタがこの前!」
「ん。まあそうなんだけど」

無神経な意見は、雰囲気を乱すことがある。言う前に考えることだ。
澪は続けた。

「真珠会から入院した糖尿病の患者さん。インスリン使わず内服でコントロール中・・・骨折はギプス装着中でリハビリ中心」
「療養病棟へ移行、かな・・・」僕はパソコンで<空室照会>。
「退院後はどこへ?」
「この人は家がない。真珠会への入院の際、家を売られた」僕が説明。
「本人が売った?」
「家族がだよ。本人の判断能力がないのをいいことに」

そんな家族も、いる。

「黄疸で入院の48歳女性。絶食補液中」
「腹部エコーはガスが多くてな。CTからも膵臓は分かりづらい」慎吾はCTを掲げた。

トシキは採血データを見た。
「入院して日は浅いが。肝機能は悪いな」
「肝炎ウイルスはマイナス」
「A型を調べてない」
「症状が違うかなって」
「ALPの分画も提出してない。腫瘍マーカーは?」
「CTでみた肝臓は、マスはないだろ?」
「造影なしでか?」
トシキは呆れていた。

慎吾のヤツ。こんな偉そうなヤツだったとはな・・・。
トシキはCTを一通り見た。
「肝内胆管が拡張してる。胆石は否定できないだろうが、胆道系腫瘍の可能性もある」
「今は抗生剤で様子を・・」慎吾ははさんだ。
「アルブミン値2.2g/dlでか?」
「それはまたフォローするから」

ナースらは困っている。申し送りが進まない。
僕はカルテをたたんだ。
「MRCPの予約が来週になってるぞ。遅すぎる」
「受付に頼んだら、そうなってな」
「自分で予約するんだよ。そういうときは」
「あと、何かあるか?」
「胃カメラも時間があるならしとけよ」
「胃は関係ないだろ?」
「ある。十二指腸の乳頭部の観察だ」
「そっか。乳頭部の腫瘍な・・・」

澪は次に進んだ。

「狭心症の58歳男性。個室有料部屋(1日5万円)に入院中。カテは3日後に予定」
「以前、芸人だったって人だ。なかなか言うことを・・」ザッキーは困っていた。
「胸痛は労作時に著明。安静度がなかなか守れてません」
「ちょっとした運動でSTが3ミリも下がるんですよ?医長先生!」
ザッキーは僕を見ていた。

「え?俺に言ってるの?」
「勝手なことばっかりするんです!主治医になりたくないですよ!」
「そういう患者には出て行って欲しいものだが。しかしな・・検査を控えてるわけだし」
「女連れ込んだり、ムチャクチャですよ?」
「そうなのか?師長?」

ベテラン40代の長瀬師長が腕組みしている。
「あれでは検査もまともに受けてくれるかどうか。こちらの話は聞いてないし」
「カテーテル検査の承諾は得たんだよな?」
「はい。そもそもこの患者さんを紹介してきたのが・・」
「どの病院?」
「事務長のお知り合いの、テレビ局の人なんです」

なんか、いろいろ絡んでるんだよな・・・!

「では医長先生」礼儀正しい師長はつぶやいた。
「?」
「医長先生から、また事務長と相談の上、患者さんへの説得をお願いいたします」
「そうだな・・気が重いな。困った困った・・・おい!」僕は思わずトシキに叫んだ。

「えっ?」
「いやいや。トシキ。今お前・・・いや、なんでもない」

彼の口角が・・少し笑っているように見えた。

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