医局へ戻り、とりあえず5分休憩。
「さーてと、今日は5時まで3時間弱・・・」
「どうなりました?」
僕の机の向こう側、顔は見えないがトシキの声だ。

「いろいろ決まりましたか?」
「まあね。ウィーン会議みたいだったな」
「?」
「踊るだけで進まず。お前、今日の仕事は?」
「終わりました。とっくに」
「だる・・・一言余計だよ」

僕はいったん脱いだ白衣を、再び羽織ろうとした。

「ユウキ医長」
「なんだよ。トシキ、もと医長」
「・・・・・弥生先生に・・・何か怒鳴ったので?」
「弥生先生は、検査の見学に行ったんだろ?」
「自分は腹部超音波してましたが・・彼女、私の横におりました」
「そうか。よかったよかった」
「でも先生。彼女、元気なかったですね。おかしいな」

まあな・・・。
僕は医局のドアをガラッと開けた。
「トシキ以外は、まだ病棟ってことだな?」
「はい。しかしトイレかも。はたまた遅い昼食か」
「だる。聞いてみただけだよ!」

タタタ、パッと手すりに飛び乗り、そのままスルー、と階段に沿ってスライド。
下から登ってくるドクターらスタッフが次々に壁側にどいてくれる。

タタン、と重症病棟詰所。
リーダーの美野が待ち構えていた。

「また君か・・」
「また、だけ余計です!<股漏れ先生>!」
周囲でクスクス笑いが聞こえた。

「そのあだ名も、誤解されやすいんだからやめろって」
「慎吾先生のネーミングが傑作で」
「あいつを思い出させるな。で?」
「朝の申し送りのときで、だいたい大まかな内容は聞けてます・・」
「そっか」

僕は自分用の引き出しを開け、ゴソゴソと結果伝票をまさぐった。
その分のカルテを探し・・・なかなか見つからない。2時半ということもあり、
日勤ナースらが申し送りに備えて看護記録を仕上げ中だ。

亀のようにのろい、しかし手ごわい中野おばさんナースが独占していた。

「中野さん。悪いけど・・カルテ貸してくれ」
「ほんげ?今になって?」
「今から診察とかいろいろして、それに要るんだよ」
「ふーん。じゃ、診察しておいで」
「なぬっ?こやつ・・・」
「ぶつぶつ・・・」彼女は異次元へと入っていった。

僕は、カルテから看護記録を次々とはずしていった。
「すまんが・・・たのむ!」
「ふげ?ありゃりゃりゃ」

医師の記録と看護記録が別々のとこもあれば、ひっついているところもある。
うちでは一体型だった。

台車に乗せ、ガラガラと自主回診。

何か気配を感じた。
振り向くと、太っちょの遠藤君だ。黒ぶち眼鏡が、怪しい。

「なあんだ。そこにいたのか?」
「び、びっくりせんでも、ぶつぶつ・・・ほにゅにゅらにゅふ」
「気持ちだるう・・・」
「回診?」
「外来とか会議とか、いろいろあってね」
「弥生さんが落ち込んでて・・」
「うん。まあその話はあとから」
「弥生さんが・・・」

あまりにうっとうしく、僕はキッと振り向いた。

「ヤヨイヤヨイって、そんなに気になるのか!」
「ていうかーどうしたんかなーって」
「患者を気にするようになれよ!」
などと無責任な言葉が出た。

重症部屋。小川さん。この患者さんは、朝の申し送りで・・・。

「人工呼吸器のついた小川さん、62歳。多発性のう胞腎。今回、感染による敗血症および肺炎の合併」
「・・と今のところ考えてる」僕は付け加えた。
「2日前に酸素濃度は60パー(%)で、SpO2は95%前後」
「微妙だな・・濃度はなるべく下げたいが」
「PEEP追加の指示が?」
「ああ。よく分かったな。あとで書く」

だった人だ。「あとで書く」がこんな時間になってしまった。

 人工呼吸器を装着して6日目。感染源は・・・肝臓の、のう胞内と考えている。というか、それ以外エビデンスがない。最初は肺もきれいだった、尿も・・・。このような状況のため、全身検索というわけにはいかないが。敗血症となりエンドトキシン吸着を行ったものの菌は肺に2次感染を起こし、今はそちらがメイン。

僕は呼吸器をあちこち調節した。
「酸素濃度は60%か。PEEPを追加してと。1回換気量も増やして・・・これでどうかな」
「はい?」遠藤君が後ろから覗き込んだ。
「なんだ?」
「何か用ですか?」
「遠藤君に?ないよ」
「なんだ・・・ひとり言か」
「(だる・・・)」

酸素濃度、何とか45%にまで減らすことができた。
「遠藤君は、大学病院では呼吸器を?」
「あんまり・・・」
「この際、いろいろ見ておけよ」
「どの器械が、一番いいんですか・・・」
「一番いいの?というか、それぞれ扱いに長所・短所はあるけど。基本的には同じだよ」
「で、病状はよくならないんですか・・・」

この男・・北野みたいに。

「レントゲンでの肺炎の陰影は・・・右下肺に広範」
「大きいですね」
「あくまでもレントゲンだから」
「MRSAは・・」彼はカルテをめくった。「うわ。出てる」
「出てるったって、培養での話だろ?」
「でも出てる」
「だけど、今の起炎菌かどうかは言い切れない」
「でも出てる出てる・・・」彼はしつこく、ネバかった。

彼は1ページずつカルテをめくった。
「炎症反応は、よくなっているんですか?」
「ええ。少しずつこのように・・・って、教授回診みたいだなおい!」
「別にそんな本気で怒らんでもいいのにひゅふぶちゅちゅ・・・」
「怒ってはないよ。もうそうやってゴネるな」
「別に・・・ぶつぶつ」

あまりにネバいので、次へ。

次の人は、朝の申し送りで・・
「真珠会から入院した糖尿病の患者さん。インスリン使わず内服でコントロール中・・・骨折はギプス装着中でリハビリ中心」

だった人だ。中年女性。車椅子で座っている。

「やあ。どこか行ってきたの?」
「タバコ買いに行こうと思って」
「ダメだよタバコはあ!」僕は注意した。
「なんで。真珠会では許されてたで」
「待って。診察させて!遠藤くん、聴診を」

遠藤君は断りなく、聴診。
「・・・・・わかりません」
「何が?」
「いや。異常が」
「異常?別にそんなつもりで頼んだわけじゃないよ」
「ハアン・・・?」

生意気な奴だ。

僕は患者に説明した。
「エーワンシーは、来たときの12.5%から徐々に下がってる。2ヶ月目、今回は10.4%」
「思ったよりは下がってませんな?」
「いやいや。急に下がると目に悪いので」
「そっか。今の食事でええんやな?」
「いいと思うよ」

彼女は、引き出しからリンゴを取り出した。
「今、1日1個なんやけど。2個にしてもいい?」
「ああ!ダメだよそれ!」
「だ、だって。みのもんたさんが、テレビでこれがええって」
「くぅ〜!あいつら、いいかげんにしろよ!」
「スーパーへこっそり行ってん。そしたら、あっという間に売り切れてんねん」
「とにかくそれ、やめましょ・・・!」

引き出しの中の5個を含め、リンゴはすべて取り上げられた。

僕は廊下を歩いた。
「教科書だの問題集では出くわさないことに、いろいろぶつかるよ。さて次の患者さんは・・」
「あんまり重症いなさそうなんで、この辺で」
「なんだよそれ。せっかく人が丁寧に」
「また検査のときとか」
「そういう態度してたら、嫌われるぞ?」
「だって弥生さんが・・」
「またそれか?お前は彼女の何なんだ?」

近くに師長が通りかかった。
「ほらほら!そんなところで女性の取り合いなどしない!」
「ちち、ちがう!」僕は言ったが弁解のようだった。
「医長はきちんと常識を持って行動する!」
「だる・・・言うてもあかんわ」

それはそれは、疲れる回診だった。

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