夕方4時にさしかかる。病棟で再び、検査伝票などの確認。
みなの顔の片方に、夕陽が差し込む。

夕方の申し送りに、背中を向けてみな静かだ。

シローがカルテを何十冊と積み上げ、よっこらせとカートに載せる。
「終わった終わった!」
「あらら・・早いな」
「今日は外来夜診なんです!」
「オレもだよ・・・そろそろ呼ばれるかな」
「いいんですか先生?弥生先生、泣かせちゃって」
「あのなあ・・・なんでオレがそこまで気にして」

彼女はホントに<待ってる>のか・・・?

「でもなあ、シロー。オレ、年とったと思うよ」
「そんなこと、言わないでくださいよ」
「以前はな、何にでも積極的だったとは思うんだ。恥も外聞も関係なしに」
「今でも恥はかいてるじゃないですか?」
「だる・・・そうそう。その、<だる>の回数が増えてきたんだ」
「?」

「私語!」トシキが遠くでつぶやいたが、無視。

「あきらめ、という言い方はしたくないがな。あまり、その・・・仕事以外のことがあまり長続きしないんだ」
「生きがいがない?」
「生きがいが仕事なんだ。それは分かるしいい事だとは思う。深みにも入る、それもいい。でもな・・」
「?」
「このまま年とってて、いいのかなって」

僕らしくもない愚痴だった。

「つまりユウキ先生は・・わかった」
「おうおう」
「自分の手で・・自分の力で彼女をモノにしたいと!僕達がせっかく応援してても!」
「シッ!というか、困るんだよ。こう相手を決められちゃあ」

「あ、それダイセク!いや、ゼイタク!」ザッキーがカルテを戻し、立ち上がった。

「ユウキ先生。せっかく今、病棟が平和なんです。なのにダラダラ独身生活なんて」
「おい。お前こそ、人のこと言えるかよ?」
「僕?僕は合コンで毎日が燃えてます。でも仕事はしてますから!」
「なんかこう、スリリングなこととかないかなあ・・・」

もと医長がやってきた。
「ムダ話はそこまで。先輩、明日の朝はフィルムカンファレンスということで」
「知ってるよ。俺が決めたんだから!」
「放射線科の先生も早めに来られます」
「俺が呼んだんだよ。見返りに、救急のこと教えてくれと」

水曜日は早朝からフィルムカンファレンス→申し送り聞き→外来→心カテ→総回診と、かなり忙しくなりそうだ。
前の日はよく寝るに限る。

事務長が腕組みして入ってきた。
「ぶつぶつ・・うんうん。みなさん、頑張ってるね」
「だる・・何しに?お前が来ると、たいてい」
「不吉?」
「もう、しばらく飲むのはやめような!」
「落ち込んでましたよ。ユウキ先生の彼女」
「落ち込んだり、ウサギさん呼ばわりされたり・・・疲れるんだよ正直」
「センセって・・冷たい!えい!」
「つねるな!」

PHSがプルルル、と鳴った。みな一通り確認する。

「だる・・俺のだ。もしもし?」
『へいへい!』
「なんだよ看護士か。イタズラか?」
『夜診、すでにカルテ8冊分!へいへい!』
「わかった・・5分から30分かかる。へいへい」
ブチッと携帯をきる。

「事務長。この看護士おかしいぜ」
「先生もでしょうが」
「ちょっと加減を知らないところがあるんだ」
「いや。前の病院からは優秀だったと聞きましたよ。今はまだお試し期間中(勤務3ヶ月間)ですが」
「仕事だけの関係で十分だ」
「ささ!行った行った!」
事務長は僕を押しのけ、イスに腰掛けた。

「はい」申し送り中のナースが、白電話の受話器を僕のほうへ。

「俺・・?大人気だな。もしもし?」
『事務員、田中です。はっはっ』
「何やってんだよ?やらしいな」
『すんません、焦ってしまって』
「はよ!用件言え!」
『救急車が何台か、こちらの病院に向かってるようで!』

僕は戸を開け、耳を澄ました。

「いや・・・なんも聞こえんぞ?うっ?」

突然、7〜8匹のハチが上から入ってきた。

「(ナースら)きゃあああ!」
アシナガバチは僕らの頭上を越え、中央テーブルのナースに向かって飛んでいく。
みな反射的にテーブル下にうずくまった。

「ハチハチハチ!」事務長はひっくり返り、床にしりもちついた。
思わず尻を撫で回した。以前、針が刺さったことがあったからだ。
「ハリハリハリ・・よりはマシか」

ハチの群れは、部屋を360°、グルングルンと<回診>した。
再び閉め戸の外にも数匹がくっついている。

「医長先生!ご裁断を!」ザッキーがうずくまったまま叫んだ。
「なんで医長なんだよ?関係ないだろ?」

「叩き落してください!」事務長も床にうずくまっている。
「殺虫剤とかないのか?何か策を!孔明!」
「ええっ?」
「孔明!何か策を!」
僕はテーブル中央の上、輪ゴムの塊をつかんだ。

「あんなのに刺されたら、ひとたまりもないぞ!」
右手の?・?指にゴムをひっかけ、獲物を探す。左手に下敷き。
「いた!あそこ!」
窓の内側に1匹。輪ゴムをズドン、と飛ばし1匹はどっかにすっ飛んだ。
「つぎ!そこ!」
モニター画面。羽に命中し、地面へ。下敷きで叩く。

事務長が頭を押さえている。
「ユウキ先生!モニターなど医療機器はくれぐれも!」
「そこ!」テーブル上。看護記録の上に死骸がポン、と転がった。

「(ナースら)きゃあああ!」

「お前らもなんとかしろ!」
僕以外は、全員うずくまったままだった。

「でもよかったじゃないですか先生!」シローが床に顔をうずめたまま。
「なんで?そら!撃墜!」
「スリリングを待ってたんでしょう?そういう医長を待ってたんですよ!」
「どういう?そら!」
蛍光灯のハチに命中。あと1匹になった。

追いかけると、奥の流しへ。

「蛇口!」流し蛇口の1匹を撃墜、それはスポンと排水口の奥に入った。
真上の蛇口、お湯のまわすとこに手をかける。

シュワルツネッガーらしき言葉が浮かんだ。

「そこにいろ!ハスタラビスタ!」
ザザー、とお湯が垂直に吹き出し、排水口は湯気で包まれていった。
振り向くと、詰所テーブル周辺は皆が拍手している。

「いやあいやあ。こういうことなら!」
僕は活気を取り戻した。

「何をやってるんですか医長先生!」
田中くんが走ってやってきた。
「救急車救急車!」
「来たのか?」
「まだですが。あれ絶対、真珠会ですよ!」
「なんで来ると分かる?聞こえなかったぞ?」
「近辺に出かけた、ケースワーカーからの情報です!サイレンがこっちに向かって大量に聞こえてると!」
「どんな耳、してんだ?」

田中君はドカドカ、と窓側に走ってきた。
「ほら!こうすればよく聞こえる!」
誰が止める間もなく、彼はガラッと戸を全開した。

「(ナースら)きゃああああ!」

再び外からハチの大群が入ってきた。さっきの2倍はいる。
僕は時計を見た。

「やべ!外来行かないと!田中くん!」
「ブンブンしか聞こえない!あ?」

確かに、ウーウーというサイレンが聞こえてきた。

「来たな。たしかに何台も。救急隊からの連絡は?」
「それが!ないんですよ!いたいっ!」
彼はどうやら・・腕を刺されたようだ。

僕は一目散に走り、ハチをかわしつつ詰所ドアノブに手をかけた。
「来ないな。よし。ワン。ツー・・・スリー!」
ドカン、とドアを駆け抜け、ダンとひと蹴りし、そのまま手すりに飛び乗った。

時間があるうちに指示。
「内視鏡室!胃カメラ気管支鏡スタンバイ!」
「放射線部!救急に備えCTは空けておく!」
「検査室!各種キットの確認!キャリブレーションはOKか?」

ウーウー、とサイレンは中まで聞こえてきた。

弥生先生が途中、合流。階段を降りてくる。
「ユウキ先生!ヒジ、汚れませんか?」
「救急が大量に来る予感!」
「ええっ?どうしよう!」
「手伝えよ!」
「さっきはすみませんでした・・」
「オレに謝るな!患者に謝れ!」

PHSに報告が入る。

「内視鏡室、いつでもOK!」
「放射線部OK!」
「検査室いけます!」

戦闘態勢に入った。

「砲撃、開始!(言ってない言ってない)」

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