サンダル医長 火曜日 ? サイレン再び
2006年7月10日病棟を一巡り、詰所に最後の確認。
「じゃあ、もう・・ないな?」
「ええ。今のところは」夜勤ナースがモニターを一瞥。
「詰所の奥に、お菓子置いてあるから」
「はーい。ありがとうございまーす」
実はそのお菓子、外来で患者から頂いたものだ。
モノでつるわけではないが、気持ちのお礼というのは大事なことだ。
しかし気持ちだけでは通じない。
女というものは、特にな。言葉、物など。形になるもので伝えないと、伝わらない(言葉でも、形のある言葉だ)。
詰所を出て立ち止まり、時計を眺めた。
「・・・うわあ、夜10時・・・どうするよ?」
エレベーターに乗る。疲れすぎて、階段は損した気分になる。
医局はもぬけの殻だった。真っ暗な電気を再び点けて、ドカッとソファに座る。
テレビをつけるが、興味なくまた消す。
呼吸を取り戻し、ノートパソコンを立ち上げ。覚えてきた入院患者の名前、容態などを新たに打ち込んでいく。
今言うと怒られるが、このパソコンは私用のもので、自宅と病院を行き来していた。
ちょっとゴルゴ調に。
まずは・・・。
? 高齢男性(90歳台)、ザッキーが診てくれた患者。腹部大動脈瘤解離・破裂。
「急でない破裂も、ある・・・!教訓だ。血圧は救急車内では100/80mmHgか。入院後は90台。尿は出てはいる・・止血剤投与に、尿量を確保する程度の血圧低めの管理か・・・」
図を簡単に描く。丸い円(動脈瘤)に沿って内側にもう1つ弧を描き(解離)、その外側に矢印、その外側に血腫・・・血腫はどんどん大きくなっている。これ自体が出血をせき止めてくれればいいが。
「MAP血(濃厚赤血球)の投与中。あとFFPにプラズマネートカッター・・・かなり厳しい。感染症、DMもある。ザッキーの言うように、合併症だらけな・・わけだな!」
でもあの男、CT撮る以前によく診断できたな。生意気で最近は合コン命だと思っていたが。時々おやっと思わせるところがある。
? トシキ、眼科医が蘇生に成功した患者。
「果たしてどれだけ時間が経っていたのか・・蘇生はできたものの、今後の脳への影響は?搬送時間内の蘇生は十分なものだったのか?悩みは尽きない・・・!」
いや、それよりも・・原因が何だったのか。頭部CTは異常なく、心臓や内臓、器質的なものは見当たらない印象だという。見えない犯人を挙げるとしたら・・不整脈か?てんかんか?こういう現場では解答が見つからないまま疑問符で終わることも多い。
それでも思わず誰かに聞きたくなる。しまいにはカルテに書くことだってある。
? 慎吾が診察した、50代女性、瞳孔ピンポイントで頭部CTよりSAH(くも膜下出血)と診断。呼吸抑制あり挿管、人工呼吸管理となる。
「あとで撮った胸部のレントゲンを見ると、肺水腫の合併がみられてる。SAHそのものの影響による以外に、肺水腫によっても急速な呼吸不全が進行したものと思われる・・・だな!」
この症例も・・厳しいな。
伸びをしながら、ため息。
? 研修の2人にお願いした、全身浮腫の中年女性。痙攣ありジアゼパム使用、背景には低ナトリウムあり、さらにその背景には急性心筋梗塞。
「だが時間がかなり経過していた。心不全治療後、カテーテル検査となるだろう・・・かもな!」
しかし、痙攣が出るまで低ナトリウムになる心不全とは・・・前医から入っていた点滴がポタコールだったこともある。
? DOAで蘇生を試みるも効なし。
「ピートと僕との2人で対処してたが・・・やはりもう1人いないと無理だな。DOAは」
人手不足のせいで、処置が遅れたことに変わりはない。民間の病院だけに限らないが、夜間の急変などではたいていの病院がドクター(当直医)1人+ナース1人(当直ナースまたは病棟ナース)。どちらかが呼吸管理、もう一方が心臓マッサージにかかるとして、そうなるとこの2人はしばらく手がふさがる。他にも点滴の準備やら機械の準備などを担当する人手が必要だ。病棟ナースもう1人または寝泊りドクターもう1人とかいればそこは変わってくるだろうが、ほとんどの病院ではそんな人的余裕はない。
しかも今回はドクターの人数が多かったものの、症例が多くて分散してしまい、急変処置にあたる人員が少なくなってしまった。いや、それか僕の・・僕の振り分け方の問題だったのか。
誰にも責められないのを、逆に恥ずかしくも感じる。
? イレウス+循環不全。
「利尿剤で心不全治療、腸管浮腫の治療・・・でもアルブミン値2.2g/dl。しっしかし2.2とは!」
腸管からのアルブミン喪失が多量だったのだろう。中心静脈より栄養分を確実急速に補給したいところだが、カロリー過剰追加は輸液量を増やし心臓への負担となる。基礎に心疾患があると厄介だ。とにかく長期の腸閉塞は主治医泣かせだ。
「ああ〜。今日は最後にやられたな・・」
よいしょっと荷物を背負う。あとは帰る気力だけ。
「なんかな〜・・これで1日終わるっていうのもな」
むなしくスイッチを切り、廊下へ出た。
パチンパチン、とサンダルの音だけ響く。
エレベーターに乗り、下の階へ。
すると途中、エレベーターが止まった。
なにやら殺気を感じたが・・・
「あ。こんばんは」ばあさんらしき病衣を着た人が、うつむいたまま入ってきた。
「こんばんは。病室は・・・?」
「へっへ。背中が曲がってますさかい。なかなか上が見れまへんでして」
「いやいや、それはいいんだけど。どこ行くの?」
「ちょっと、散歩」
「困ったな。戻りましょうよ」
せっかく地上に降りたエレベーターを、再び空中へ。
「ばあさん、そういや最近入院した?」
思い出せないが・・・そんな気がした。
「へいへい、さようで。田中といいます先週で85になりました」
「そっか。そいつはおめでとう・・・ん?」
確かこの人・・・心筋梗塞で入院した人だ!ステント入れて間もない!
「ばあさん!何やってんだよ!」
チ−ン、とエレベーターが開いたとたん、ナースらは待ち構えていた。
「ばあさん!待て待て!動くな!」
「はいはい」ばあさんは凝固。ナースらは車椅子を取りに行った。
「というか!座ろうよ!安静だろ?また勝手に徘徊を・・・」
「いつ帰れるんですかいな?」
「あのな・・・」
<開延長>を押したまま、車椅子を待つ。
僕はエレベーターを出た。
「すまんが、あとは頼む」
「あ、ちょうどいいところに」ナースの1人が僕に目をつけた。
「何がいいとこだよ。いまさら気づくなよ」
「いろいろとご報告が」
「さっき詰所に寄ったときに報告は・・」
「いやそれがね。さっき慎吾先生が来てね」
「さっき?」
「ええ。それでね。これらを確かめておいたほうがええんじゃないかって」
「だる・・アドバイスだけして帰ったのか?」
「で、当直医にこれから聞こうかなーと思っていた矢先に先生が」
「どあるう!」
「しかも医長先生ときましたもんで!」
「慎吾の奴・・・!」
「ではこちらへ」
中年ナースはご丁寧に、ムンテラ用のイスを用意、僕を座らせた。
「・・何点あるんだよ?」
「20項目ほど・・」
「どある。電池切れてるよ。もう」
「低血糖?」
「あとで、さっきのオレの差し入れ食べてもいいか?」
ばあさんを寝かしに行ったナースが戻ってきた。オークだ。
「ジャーン。差し入れはさきほど、わてらが食べましたーブヒブヒ」
「だる・・」
「さあ先生、今度はタコヤキだー!」
「モアだる。調子に乗るなよな・・」
「ケーキにドラ焼き、アイスクリーム!なんでもいけまっせ!」
「あんたら、ちょっと気が緩んでないか?」
オークはハッと気づき、僕らを制した。
「シッ!静かに!」
「あん?」
「・・・・・」
オークは走って窓を開けた。
すると・・・
かすかだが、なにやら音が聞こえる。
「ブヒブヒ。聞こえますか?医長先生!」
「えっ?なに?救急か?また真珠会か?」
「・・・・・ブヒ。あたいは分かった。いつでもおいで!」
「こら!そんな来られると困るんだよ!待てよ。なんとなく・・・」
視界は暗闇だけだが、音はかすかに聞こえる。
もう1人のナースは全くわからず首をひねっていた。
するとだんだん音が聞こえてきた。
「えっ?な!おい!」
思わずオークの顔を見た。
「チャルメラじゃねえかよ!」
屋台の音楽だった。
「じゃあ、もう・・ないな?」
「ええ。今のところは」夜勤ナースがモニターを一瞥。
「詰所の奥に、お菓子置いてあるから」
「はーい。ありがとうございまーす」
実はそのお菓子、外来で患者から頂いたものだ。
モノでつるわけではないが、気持ちのお礼というのは大事なことだ。
しかし気持ちだけでは通じない。
女というものは、特にな。言葉、物など。形になるもので伝えないと、伝わらない(言葉でも、形のある言葉だ)。
詰所を出て立ち止まり、時計を眺めた。
「・・・うわあ、夜10時・・・どうするよ?」
エレベーターに乗る。疲れすぎて、階段は損した気分になる。
医局はもぬけの殻だった。真っ暗な電気を再び点けて、ドカッとソファに座る。
テレビをつけるが、興味なくまた消す。
呼吸を取り戻し、ノートパソコンを立ち上げ。覚えてきた入院患者の名前、容態などを新たに打ち込んでいく。
今言うと怒られるが、このパソコンは私用のもので、自宅と病院を行き来していた。
ちょっとゴルゴ調に。
まずは・・・。
? 高齢男性(90歳台)、ザッキーが診てくれた患者。腹部大動脈瘤解離・破裂。
「急でない破裂も、ある・・・!教訓だ。血圧は救急車内では100/80mmHgか。入院後は90台。尿は出てはいる・・止血剤投与に、尿量を確保する程度の血圧低めの管理か・・・」
図を簡単に描く。丸い円(動脈瘤)に沿って内側にもう1つ弧を描き(解離)、その外側に矢印、その外側に血腫・・・血腫はどんどん大きくなっている。これ自体が出血をせき止めてくれればいいが。
「MAP血(濃厚赤血球)の投与中。あとFFPにプラズマネートカッター・・・かなり厳しい。感染症、DMもある。ザッキーの言うように、合併症だらけな・・わけだな!」
でもあの男、CT撮る以前によく診断できたな。生意気で最近は合コン命だと思っていたが。時々おやっと思わせるところがある。
? トシキ、眼科医が蘇生に成功した患者。
「果たしてどれだけ時間が経っていたのか・・蘇生はできたものの、今後の脳への影響は?搬送時間内の蘇生は十分なものだったのか?悩みは尽きない・・・!」
いや、それよりも・・原因が何だったのか。頭部CTは異常なく、心臓や内臓、器質的なものは見当たらない印象だという。見えない犯人を挙げるとしたら・・不整脈か?てんかんか?こういう現場では解答が見つからないまま疑問符で終わることも多い。
それでも思わず誰かに聞きたくなる。しまいにはカルテに書くことだってある。
? 慎吾が診察した、50代女性、瞳孔ピンポイントで頭部CTよりSAH(くも膜下出血)と診断。呼吸抑制あり挿管、人工呼吸管理となる。
「あとで撮った胸部のレントゲンを見ると、肺水腫の合併がみられてる。SAHそのものの影響による以外に、肺水腫によっても急速な呼吸不全が進行したものと思われる・・・だな!」
この症例も・・厳しいな。
伸びをしながら、ため息。
? 研修の2人にお願いした、全身浮腫の中年女性。痙攣ありジアゼパム使用、背景には低ナトリウムあり、さらにその背景には急性心筋梗塞。
「だが時間がかなり経過していた。心不全治療後、カテーテル検査となるだろう・・・かもな!」
しかし、痙攣が出るまで低ナトリウムになる心不全とは・・・前医から入っていた点滴がポタコールだったこともある。
? DOAで蘇生を試みるも効なし。
「ピートと僕との2人で対処してたが・・・やはりもう1人いないと無理だな。DOAは」
人手不足のせいで、処置が遅れたことに変わりはない。民間の病院だけに限らないが、夜間の急変などではたいていの病院がドクター(当直医)1人+ナース1人(当直ナースまたは病棟ナース)。どちらかが呼吸管理、もう一方が心臓マッサージにかかるとして、そうなるとこの2人はしばらく手がふさがる。他にも点滴の準備やら機械の準備などを担当する人手が必要だ。病棟ナースもう1人または寝泊りドクターもう1人とかいればそこは変わってくるだろうが、ほとんどの病院ではそんな人的余裕はない。
しかも今回はドクターの人数が多かったものの、症例が多くて分散してしまい、急変処置にあたる人員が少なくなってしまった。いや、それか僕の・・僕の振り分け方の問題だったのか。
誰にも責められないのを、逆に恥ずかしくも感じる。
? イレウス+循環不全。
「利尿剤で心不全治療、腸管浮腫の治療・・・でもアルブミン値2.2g/dl。しっしかし2.2とは!」
腸管からのアルブミン喪失が多量だったのだろう。中心静脈より栄養分を確実急速に補給したいところだが、カロリー過剰追加は輸液量を増やし心臓への負担となる。基礎に心疾患があると厄介だ。とにかく長期の腸閉塞は主治医泣かせだ。
「ああ〜。今日は最後にやられたな・・」
よいしょっと荷物を背負う。あとは帰る気力だけ。
「なんかな〜・・これで1日終わるっていうのもな」
むなしくスイッチを切り、廊下へ出た。
パチンパチン、とサンダルの音だけ響く。
エレベーターに乗り、下の階へ。
すると途中、エレベーターが止まった。
なにやら殺気を感じたが・・・
「あ。こんばんは」ばあさんらしき病衣を着た人が、うつむいたまま入ってきた。
「こんばんは。病室は・・・?」
「へっへ。背中が曲がってますさかい。なかなか上が見れまへんでして」
「いやいや、それはいいんだけど。どこ行くの?」
「ちょっと、散歩」
「困ったな。戻りましょうよ」
せっかく地上に降りたエレベーターを、再び空中へ。
「ばあさん、そういや最近入院した?」
思い出せないが・・・そんな気がした。
「へいへい、さようで。田中といいます先週で85になりました」
「そっか。そいつはおめでとう・・・ん?」
確かこの人・・・心筋梗塞で入院した人だ!ステント入れて間もない!
「ばあさん!何やってんだよ!」
チ−ン、とエレベーターが開いたとたん、ナースらは待ち構えていた。
「ばあさん!待て待て!動くな!」
「はいはい」ばあさんは凝固。ナースらは車椅子を取りに行った。
「というか!座ろうよ!安静だろ?また勝手に徘徊を・・・」
「いつ帰れるんですかいな?」
「あのな・・・」
<開延長>を押したまま、車椅子を待つ。
僕はエレベーターを出た。
「すまんが、あとは頼む」
「あ、ちょうどいいところに」ナースの1人が僕に目をつけた。
「何がいいとこだよ。いまさら気づくなよ」
「いろいろとご報告が」
「さっき詰所に寄ったときに報告は・・」
「いやそれがね。さっき慎吾先生が来てね」
「さっき?」
「ええ。それでね。これらを確かめておいたほうがええんじゃないかって」
「だる・・アドバイスだけして帰ったのか?」
「で、当直医にこれから聞こうかなーと思っていた矢先に先生が」
「どあるう!」
「しかも医長先生ときましたもんで!」
「慎吾の奴・・・!」
「ではこちらへ」
中年ナースはご丁寧に、ムンテラ用のイスを用意、僕を座らせた。
「・・何点あるんだよ?」
「20項目ほど・・」
「どある。電池切れてるよ。もう」
「低血糖?」
「あとで、さっきのオレの差し入れ食べてもいいか?」
ばあさんを寝かしに行ったナースが戻ってきた。オークだ。
「ジャーン。差し入れはさきほど、わてらが食べましたーブヒブヒ」
「だる・・」
「さあ先生、今度はタコヤキだー!」
「モアだる。調子に乗るなよな・・」
「ケーキにドラ焼き、アイスクリーム!なんでもいけまっせ!」
「あんたら、ちょっと気が緩んでないか?」
オークはハッと気づき、僕らを制した。
「シッ!静かに!」
「あん?」
「・・・・・」
オークは走って窓を開けた。
すると・・・
かすかだが、なにやら音が聞こえる。
「ブヒブヒ。聞こえますか?医長先生!」
「えっ?なに?救急か?また真珠会か?」
「・・・・・ブヒ。あたいは分かった。いつでもおいで!」
「こら!そんな来られると困るんだよ!待てよ。なんとなく・・・」
視界は暗闇だけだが、音はかすかに聞こえる。
もう1人のナースは全くわからず首をひねっていた。
するとだんだん音が聞こえてきた。
「えっ?な!おい!」
思わずオークの顔を見た。
「チャルメラじゃねえかよ!」
屋台の音楽だった。
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